第79話 路地裏に「油そば」の足跡を
『蜘蛛』との取引で得た最優先取引権の確認もそこそこに、俺たちはオアシスの市場で大量の「黒い実《蕎麦の実》」と、出汁の材料となる乾物を確保した。
支払いは、カレーのレシピ提供の対価として貰った報酬で行った。
その額、50万クレジット。
少ない? いや、これでも一般市民の年収数年分にはなる大金だ。輸送船やテクネ・プライムの取引額がおかしいだけで、たかがカレーの作り方を教えただけで家が建つ額が貰えるなんて、どう考えてもバグっている。
まあ、今の俺には「はした金」に見えてしまうのが恐ろしいところだが。
次なる目的地は、オアシスの最下層。
廃棄プラントの排熱と、澱んだ空気が溜まるスラム街だ。
俺たちがそこへ向かった理由は単純だ。
この「黒い実」を常食している彼らに、正しい食い方を教えるためだ。
貴重な食材が「泥団子」なんて不名誉な名前で呼ばれ、ただ腹を膨らませるだけの餌として消費されている現状が、俺には勘弁ならない。
「うぅ……。やっぱり空気が悪いですぅ。マスクをしていても喉がイガイガします……」
エマルガンドが涙目で訴える。
ミナと共に作業が一段落したため駆り出されたのだ。なにより、今回やることには人手が必要だ。
「我慢しろ助手。終わったら美味い賄いを作ってやる」
「……本当ですか? じゃあ、頑張りますぅ」
現金なやつだ。
昼時の広場に到着すると、そこには既に大勢の住人がたむろしていた。
彼らの手には、黒っぽい粘土のような塊が握られている。
蕎麦粉を水で練り、適当に加熱しただけの代物だ。
「……なるほど。あれはあれで『そばがき』の一種だな」
俺は呟いた。
そばがきは、蕎麦粉を熱湯で練っただけのシンプルな料理だ。醤油や薬味があれば立派な酒の肴になるが、彼らのそれは味付けもなく、ただ生命維持のために胃に詰め込むだけの塊に見える。
「おい、あんたたち! ここは俺たちの縄張りだぞ!」
「なんだその袋……まさか、俺たちの『泥』を奪いに来たのか?」
武装したゴロツキや住人たちが、俺の持っている蕎麦粉の袋を見て殺気立つ。
彼らにとって、この不味い粉は命綱なのだ。
「奪うんじゃない。もっと美味い食い方を教えに来たんだ」
俺はミナに合図を送った。
「展開しろ」
「了解、社長! みんな、配置について!」
ミナが指を鳴らすと、後方から追従していた数十機の自律ドローンが一斉に動き出した。
それぞれがコンテナや調理器具、ミナ特製簡易コンロのパーツを抱えている。
ドローンたちは空中で連携し、瞬く間に資材を組み上げていく。
あっという間に、広場の一角に立派な「野外キッチン」が出現した。
一瞬で構築された調理場に、ゴロツキたちが呆気にとられる。
「ルシア、粉の準備は?」
「完了しています。加水率45%になるよう、気温と湿度に合わせて調整済みです」
俺は調理台の前に立ち、鉢に蕎麦粉を入れた。
ショータイムだ。
水を回し入れ、指先で素早く粉と水を馴染ませる。
小さな粒を大きな塊へとまとめ上げ、全身の力を使って練り込む。
バン! バン!
空気を抜くように生地を叩きつける音が、静まり返った広場に響く。
練り上がった生地は、艶やかな光沢を放つ黒い宝石のようだ。
次に、ミナがジャンクパーツから削り出した麺棒で生地を伸ばす。
円から四角へ。厚みを均一に、薄く、広く。
そして、畳んだ生地に包丁を入れる。
トントン、トントン……。
リズミカルな切断音が心地よい。
ただの泥の塊だったものが、細く、長い「麺」へと姿を変えていく様に、住人たちが目を見開いて釘付けになっている。
「……なんだあれ。泥が、糸になったぞ?」
「魔法か?」
ざわめきが広がる中、俺は切り揃えた麺を大鍋へ投入した。
ただし、たっぷりの湯で泳がせるわけにはいかない。ここでは水は貴重品だ。
少量の水で蒸し上げるように加熱し、麺のコシと香りを閉じ込める。
蒸し上がった麺をザルに上げ、湯を切って仕上げる。
「よし、盛り付けだ。エマルガンド、器を頼む!」
「は、はいぃっ!」
エマルガンドが慌てて使い捨て容器を並べる。
俺はそこへ麺を盛り、特製のタレを回しかけた。
今回は「かけ蕎麦」のような汁物ではない。
市場の片隅で二束三文で売られていた『謎の乾物』をじっくり香りを抽出した合成食用油と醤油もどき、合成酢を混ぜ合わせた濃厚なタレを絡める「油そば風」だ。
これなら汁を飲み残す無駄もないし、カロリーも確保できる。
具材は、オアシスで安く手に入れられた乾燥野菜くらいだが、布教用としては十分だろう。
「さあ、食ってくれ! 代金はいらねえ、感想を聞かせてくれればそれでいい!」
俺が声を上げると、最初は警戒していた子供たちが、匂いに釣られて恐る恐る近づいてきた。
一人が容器を受け取り、フォークで麺を巻き取って口へ運ぶ。
「……!!」
子供の目が見開かれた。
「……熱い! 熱くて、ツルツルしてる! それに、なんだこれ、すっごくいい匂いがするよ! しょっぱくて甘くて……う、うまい!!」
その叫びが合図だった。
大人たちも雪崩を打って押し寄せ、我先にと蕎麦を求め始めた。
「なんだこれは! あの泥団子と同じ匂いなのに、食感が全然違う!」
「ツルツルしてて、喉越しがいい! それにこのタレ、濃厚でうまいぞ!」
ズルズルと麺を啜る音が、広場中に響き渡る。
それは単なる食事の音ではない。彼らが「餌」ではなく「料理」に出会った、文化的な革命の音だ。
「あんたたちが食ってたのは『そばがき』ってやつに近い。あれも少し工夫すればうまくなるし、こうやって細く切ってやれば、もっと喉越しが良くなるし、色んな味付けが楽しめるんだ」
俺は麺を打ち続けながら説明する。
「粉を水で練る。それを薄く伸ばして切る。たったそれだけの工夫で、泥団子はご馳走に変わるんだよ」
住人たちが頷きながら、真剣な眼差しで俺の手元を見つめている。
彼らはただ施しを受けているのではない。「作り方」という知識を盗もうとしているのだ。
それでいい。技術は広まってこそ意味がある。
「アキトさん、こっちの列、容器が足りませんよぉ!」
「社長、麺棒の予備出すね!」
「集計中。現在の提供数200食を突破。……住人たちの生体反応が活性化。表情筋の弛緩と血流の増加を確認しました」
エマルガンドが走り回り、ミナが機材を調整し、ルシアが全体を管理する。
その光景を、広場の隅から監視している視線があった。
『蜘蛛』の配下だ。
俺はそれに何もしない。
見ているがいい。
たかが一杯の麺料理が、この街にどんな熱狂を生むのかを。
湯気と笑顔に包まれた路地裏で、俺は確かな手応えを感じていた。
これはただの炊き出しじゃない。
小さいがしかし確かな「食の足跡」の一歩なのだ。
そばがきを出すような蕎麦屋で酒を嗜むようなことをしてみたい。




