第77話 スター・ツナ尽くし後編/脳天の煮付け
船内の照明が「夜間モード」に切り替わり、通路は薄暗い静寂に包まれていた。
ステーキの興奮と満腹感で、クルーたちは皆、それぞれの個室で泥のように眠っている。
だが、俺の目は冴えていた。
スター・ツナのエネルギーが、まだ体内で燻っているせいかもしれない。
あるいは、まだ「片付けていない大物」がキッチンに残っているせいか。
俺は一人、調理台の前に立っていた。
目の前には、冷蔵コンテナから引きずり出した「スター・ツナの頭部」が鎮座している。
その横には、解体時に慎重に取り出した「眼球」があった。
直径、約80センチ。
100メートルを超える本体からすれば、計算上は2.5メートルほどあってもおかしくないのだが、実物はそれよりずっと小ぶりだ。
それでも十分すぎるほどでかい。いや、でかすぎる。
ゼラチン質の膜に覆われ、白濁した光を放つそれは、食材というよりは生物兵器のパーツに見える。
「……さて。こいつをどう攻略するか」
俺が腕組みをして唸っていると、背後でドアが開く音がした。
「……ふむ。君は元気だな」
シュタイン教授だ。
寝間着代わりにラフなシャツを羽織り、手にはマグカップを持っている。
「教授こそ。爺さんは早起きだな」
「馬鹿を言いたまえ。未知の食材を前にして、安眠できる神経など持ち合わせていないよ。……で? その『眼球』を煮付けるつもりかね?」
教授が興味深そうに巨大な球体を見上げる。
「ええ。コラーゲンの塊ですからね。煮込めばトロトロになるはずです。ただ……」
俺はナイフの柄で、眼球の表面をコンッと叩いた。
硬い。ゴムのタイヤを叩いたような感触だ。
「デカすぎる。そして、構造が複雑すぎる」
「だろうね。本体が100メートルある割には、眼球自体は直径1メートルに満たない程度か。想像よりは小さいが、これは惑星の水域に生息するような魚類の目玉とは訳が違う。高エネルギーのプラズマ流域を視覚以外のセンサーで補って泳いでいるためだろう。」
「外膜は多重構造の耐熱・耐圧シェル。内部は衝撃吸収用の高密度ゲルと、複雑な眼筋によって構成されている」
教授が眼鏡の位置を直し、分析的に述べた。
「これを丸ごと鍋に放り込めばどうなるか。……外側のシェルが熱を遮断し、内部のゲルが沸騰。逃げ場を失った熱エネルギーが内側から暴発し、キッチンごと吹き飛ぶのがオチだ」
「……やっぱり、そうか」
俺は苦笑した。
しがない定食屋の厨房担当や休日の趣味料理人に留まる俺の手に負える代物ではない。
これは料理じゃない。「巨大構造物の均一加熱実験」だ。
「ルシア。起きてるか?」
『はい、マスター。常に待機状態です』
天井のスピーカーから、即座に応答がある。
「こいつを『可食状態』まで煮込むためのシミュレーションをしてくれ。条件は、全体を均一に加熱し、硬い結合組織をゼラチン化させ、かつ爆発させないことだ」
『承知いたしました。……対象の質量、熱伝導率、タンパク質の変性温度より算出します』
数秒の沈黙。
ルシアが弾き出した回答は、無慈悲なものだった。
『回答。現在の設備――業務用スチームコンベクションオーブンを用いた場合、以下の工程が必要です。
1. 解体および臭み抜きの前処理に10時間。
1. 55度の低温スチームによるタンパク質固定に6時間。
2. 真空パック状態で85度の加熱を18時間。
3. 味を含ませるための冷却と再加熱に14時間。
……計38時間のプロセスを推奨します』
「さ、38時間……!?」
俺は絶句した。
ほぼ二日だ。ラーメン屋の仕込みでもそこまではやらない。
「ふむ。妥当な数字だ。それにその試算にはこの強固な構造体の解体時間を含んでいない。……アキト君、残念だが今夜の夜食には間に合わんよ」
「……くそっ。負けだ」
俺は潔く敗北を認めた。
これはまたの機会とするしかない。
「眼球は冷蔵庫へ戻す。鮮度維持フィールドは優秀だ。そのまま放りこんでおくだけでも半年は新鮮さが保たれる。……だが、こっちは別だ」
俺は視線を、もう一つのブロック――『脳天』へ移した。
頭のてっぺんから切り出した、棒状の肉塊。
大トロ以上に脂が乗り、それでいて筋肉質な食感を持つ、マグロ一匹からわずかしか取れない希少部位だ。
こいつなら、普通の鍋で勝負できる。これもまた大量であることに変わりはないが、普通に切り分けることができる部位だ。
「教授、手伝ってもらえますか? こっちは『今』食います」
「やれやれ。君の食い意地には呆れるが……断る理由はないな」
教授がニヤリと笑い、袖をまくり上げた。
俺たちは巨大な鍋に、醤油もどき、合成酒、そして合成砂糖をたっぷりと投入する。
煮汁としては正直落第だが、素材の力がこの欠点を凌駕してくれるだろう。
さらに、様式美……もとい風味付けとして『タマネギモドキ』と、蜘蛛からカレーの構成要素として受け取ったサンプルに含まれていた生姜のような根菜の薄切りを大量に加える。
煮汁が沸騰したところで、ぶつ切りにした脳天のブロックを投入。
落とし蓋をして、強火で一気に炊き上げる。
グツグツ……コトコト……。
静かな船内に、煮汁が跳ねる音と、甘辛い醤油の香りが満ちていく。
魚の脂が溶け出し、醤油と混ざり合って生まれる、懐かしい匂い。
それは換気システムに乗って、居住エリアまでも広がっていく。
15分後。
予想通り、食堂のドアが次々と開いた。
「……んぅ。……なんか、すごくいい匂いがする……」
寝癖をつけたままのミナが、ふらふらと入ってくる。
続いて、目を擦りながらエマルガンドも現れた。
「……夢かと思いました。実家の母が、ご馳走を作っている夢……」
全員、匂いに釣られて起きてきたゾンビのようだ。
だが、その目は期待に輝いている。
「おはよう、諸君。……いや、こんばんはか? とにかく、夜食の時間だ」
俺は鍋の蓋を開けた。
立ち上る湯気の向こうに、飴色に輝く煮付けが姿を現す。
大げさな比喩ではない。
煮汁を煮詰め、照りを出した『脳天』は、持ち前の脂と相まってもはや宝石のような輝きを放っている。
「完成だ。『スター・ツナ脳天の煮付け』。……熱いうちに食うぞ」
大皿に盛り付け、テーブルへと運ぶ。
そして、その横には再び「白い山」――合成炭水化物・ライス型を用意した。
炊く手間が無いことだけはこいつを褒めてやらないでもない。
「いただきます!」
全員が揃って手を合わせる。
ミナが待ちきれない様子で、脳天の肉に箸を伸ばす。
箸先が触れただけで、ホロリと身が崩れた。
「……!! やわらかっ……! とろける……!」
口に入れた瞬間、ミナが煮付けと同じくらいとろけた表情になる。
俺も一切れ口に運ぶ。
……凄い。
繊維の一本一本にまで煮汁が染み込み、噛む必要すらない。
舌の上でゼラチン質が融解し、濃厚な甘辛さと共に喉を滑り落ちていく。
ステーキのような爆発力はないが、身体の芯から温まるような、深く、優しい旨味の奔流だ。
「……ふぅ。趣は違うが、これもまた暴力的なまでの旨味だね」
教授も、とろとろになった身を堪能している。
「脳組織に近い部位は、良質な脂質とアミノ酸の宝庫だ。加熱することで細胞膜が壊れ、スープの中に全ての旨味が溶け出している。……眼球の実験は先送りにして正解だっただろう。これだけで、我々の脳は十分に『報酬』を受け取っている」
俺は煮汁をたっぷりと絡めた肉を、合成ライスの上にワンバウンドさせてから口に放り込んだ。
……合う。
合成ライスはパサパサとしていて、噛んでも噛んでも米本来の甘みが出てこない味気ない代物だ。だが、その淡白さがこの濃厚すぎる脂と味付けを受け止めるクッションとして機能している。
煮汁を吸ったデンプンの粒が、口の中で解けた魚肉と混ざり合い、擬似的な「丼めし」の快楽を生み出している。
「……悔しいが、食える。食えてしまう」
だが、これは妥協だ。
本物の炊きたての米があれば、この煮付けのポテンシャルはさらに跳ね上がる。
米の甘みと粘り気。それがこの濃厚な脂を受け止め、中和し、次の一口を欲させるサイクルを生むのだ。
「……はぁ。やっぱり、米が欲しいな」
俺は空になった茶碗を見つめ、溜息をついた。
最高の魚を手に入れたからこそ、欠けているピースが明確になる。
「アキトさん、そんなに落ち込まないでください。この『ライス型』も、煮汁と絡めばおいしいですよぅ? ……おかわり、ありますか?」
エマルガンドが空の皿を差し出す。その口元にはしっかりとタレがついていた。
まあ、彼女が満足ならそれでいいか。
満ち足りた空気の中、俺は窓の外の星雲を見つめた。
マッコウクジラはまだ、ゼノ・ミストの霧の中に停泊している。
オアシスへの帰還まで、数時間。
腹は満ちた。データも取れた。
そして何より、『蜘蛛』との約束――「本物のカレー」を作るための材料と、俺の覚悟が決まった。
「……さて。腹も満ちたことだし、出発するとするか」
俺は立ち上がり、さらに煮詰まって黒蜜のようになった煮汁を舐めた。
「ルシア、スラスター起動。オアシスへ戻るぞ」
「承知いたしました、マスター。……帰還コース設定、抜錨します」
船体に微かな振動が走り、マッコウクジラが眠りから覚めたように唸りを上げる。
この味を覚えているうちに、次なる美食への一歩を踏み出すとしよう。
100mのSFマグロの調理の設定にはかなりAIの本領を感じた。
というか雑に100mにしたときに体積が爆増することを考えてなかった。
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