第75話 スター・ツナ尽くし前編/炙りマグロの和風カルパッチョ
捕獲したスター・ツナは、マッコウクジラのドッキング・ベイには収まりきらない巨体――いや、頑張れば入らなくもないんだが、残念なことにこの巨大マグロは宇宙船ではないため、ドッキング・ベイの持つ自動ガイド機能が働かないのだ。
手動で無理やり押し込めば、船体を傷つけるリスクが高い。
そのため、解体作業は宇宙空間で行うことになった。
俺は作業用ポッドに乗り込み、全長120メートルの獲物と対峙していた。
右腕のマニピュレーターには工業用レーザーカッター、左腕には巨大なフック。
気分は解体業者か、あるいは神話の巨人を捌く料理人だ。
「いいかねアキト君。まずは腹部を切開し、内臓を傷つけずに取り出すんだ。特に肝臓の横にある青く発光する器官、あれは『エネルギー変換炉』だ。非常に不安定だから慎重に扱いたまえ」
通信機から、シュタイン教授のやかましい指示が飛んでくる。
彼はブリッジからポッド付属のカメラで作業を監視し、自分の欲しい「研究素材」の確保に目を光らせていた。
「へいへい、分かってますよ。爆発させちゃ元も子もないからな」
俺は慎重にレーザーメスを走らせる。
分厚い皮と鱗を切り裂くと、中から眩いばかりの光が漏れ出した。
血ではない。高純度のエネルギー流体だ。これがこの生物の体液なのだ。
「おお……! 素晴らしい! その変換炉だけで、小都市の電力を賄えるぞ!」
「そいつは重畳。……だが教授、俺の目当てはその奥だ」
内臓の奥に隠された、ピンク色に輝く肉の壁。
エネルギーを蓄え、霜降り状に脂が走る筋肉の塊。
大トロだ。
俺は巨大なブロックを切り出し、保冷コンテナへと放り込んだ。
カマ、背身、腹身。
食材として最高な部位と、教授の研究用サンプル――骨格、神経系、内臓、そして生体工学的に繁殖の可能性を探れそうな生殖腺らしき器官――を次々と仕分けていく。
宇宙空間での解体ショーは、優に十時間は超える長丁場となった。
◇
作業を終え、船内に戻った俺たちは、早速「試食会」の準備に取り掛かった。
正直、ポッドの操作で身体はヘトヘトだ。指一本動かすのも億劫なくらいだが……調理ができるのは俺だけだし、何よりこの極上の獲物を前にして、食わずに一眠りするなどあり得ない。食欲が疲労を凌駕している。
キッチンの調理台には、人の胴体ほどもある巨大な「大トロの柵」が鎮座している。
室温で置いているだけで、脂が溶け出し、表面が艶やかに光り輝いている。
包丁を入れると、抵抗なくスッと刃が沈んだ。
「……凄まじい脂だ。もはや肉というより、固形のスープだな」
俺は切り出した刺身を皿に並べる。
だが、ここで問題がある。刺身に不可欠な「わさび」がないのだ。
この強烈な脂を受け止めるための、清涼な辛味が足りない。
ついでに言えば、今ある「醤油もどき」は煮炊きに使う分にはいいが、単体で繊細な生魚の味を引き出せるほどの完成度ではない。
「……仕方ない。今回は『変わり種』でいくか」
俺はオアシスの市場で仕入れた食材を取り出した。
『ホオズキ・モドキ』。……正式な名称はまあいいだろう、ホオズキのようなものだと分かっていれば十分だ。鮮やかなオレンジ色の果実で、強い酸味と独特の香気がある。
そして、『岩塩』と『粗挽き黒胡椒』。
……まぁ、厳密には岩塩でもないんだがな。レプリケーターに塩化ナトリウムをぶち込み、結晶構造を調整して小さな8面体に再生成させた代物だ。要はミルで挽いた荒い塩が使えるということだ。
俺は大トロの表面をバーナーで軽く炙った。
ジュワッという音と共に、脂が焦げる香ばしい匂いが立ち上る。
そこへ岩塩と黒胡椒を振り、薄くスライスした『ホオズキモドキ』を乗せ、最後に醤油を数滴垂らす。
和風カルパッチョだ。それともソースもオイルもない以上、タタキのアレンジと呼ぶべきだろうか。
とにかく酸味と香りとで脂を乗り切る作戦である。
もう一品は、「カマの塩焼き」。
こちらはシンプルだ。巨大なカマをオーブンに放り込み、塩だけで焼き上げる。
素材の力が全てだ。
「お待たせしました。スター・ツナ尽くしです」
俺は料理をテーブルに運んだ。
香ばしいカマ焼きの煙と、炙りトロの妖艶な香りが充満する。
「うわぁ……! キラキラしてる!」
ミナが目を輝かせ、ルシアも興味深そうに皿を覗き込む。
だが一人、エマルガンドだけが顔を引きつらせていた。
「あ、あの……アキトさん。これ、焼いてないですよね? こっちの切り身……」
「ええ。刺身ですから」
「ひぃっ! な、生魚なんて野蛮です! 未開の惑星じゃあるまいし、寄生虫とか、未知のウイルスとか……絶対にお腹壊しますよぉ!」
彼女は涙目で首を振る。
まあ、宇宙時代において「生食」はゲテモノ食いに分類されることが多いらしい。加熱殺菌された合成食が常識の彼らにとって、生肉は恐怖の対象なのだろう。
「嘆かわしいな、エマルガンド君」
教授がナイフとフォークを構え、呆れたように言った。
「野蛮などととんでもない。生食を否定するのは、君の教養不足を露呈しているに過ぎん。」
「各星系や種族の記録を紐解けば、鮮度管理技術を極限まで高めることで、素材そのものの味を楽しむ高度な食文化は散発的ながらも確実に存在してきた。生体工学や食品研究に携わる者ならば、知っていて当然の知識だよ」
「で、でもぉ……」
「それにだ。このスター・ツナは高純度のエネルギー生命体に近い。その体内環境は常にプラズマと高熱に晒されている。細菌や寄生虫など、入り込む余地もない無菌室なのだよ。論理的に考えて、これほど安全な『生肉』は宇宙に存在しない」
教授はそう言い切ると、炙りトロを一切れ口に運んだ。
「……む」
咀嚼し、目を閉じる。
「……素晴らしい。口内温度で脂が瞬時に気化し、濃厚な旨味が脳髄を直撃する。そこへ、この果実の酸味とスパイスが鋭く切り込み、後味を爽やかに洗い流していく。……野蛮? とんでもない。これは計算され尽くした『芸術』だ」
教授の賛辞を聞き、ミナとルシアも次々と箸やフォークを伸ばす。
「おいしい!」「溶けました……」という歓声。
孤立したエマルガンドは、恐る恐るフォークを手に取り、震える手で切り身を口に運んだ。
「……んぐっ」
覚悟を決めて飲み込む。
直後、彼女の表情が凍りつき――そして、とろけた。
「……なにこれ……お、おいひぃ……!?」
一度味を知れば、あとは早かった。
彼女は誰よりも早く次の切り身に手を伸ばし、夢中で食べ始めた。
現金なやつだ。
俺も自分の分を口にする。
表面の香ばしさと、中の冷たく濃厚な脂のコントラスト。
酸味とスパイスが良い仕事をしている。確かに美味い。絶品だ。
生の魚を食べられる日がこんなにも早いとは思いもしなかった。
だが――。
(……やっぱり、違うな)
俺は心の中で独りごちた。
この脂を受け止めるのは、酸味じゃない。
ツンと鼻に抜ける「わさび」の辛味と、ふっくらと炊き上げた米に上等な酢の合わさった「シャリ」の甘みであるべきだ。
この料理は、素材のポテンシャルの半分も引き出せていない。
今の俺にできる精一杯のご馳走ではあるが、最高到達点ではない。
「……いつか、必ず」
俺は残りのトロを見つめ、誓った。
本物のわさび、醤油を、赤酢を手に入れ、本物の米を育て上げ、この最強の素材と合わせた時。
その時こそ、俺の旅のひとつの終着点になるだろう。
今はまだ、この不完全だが最高に美味い「余韻」を楽しもう。
俺はありえないくらい大きなカマ焼きの分厚い身をほじくり、大きく口を開けた。
ホオズキ、意外とおいしいんですよ。
調べられる限りでは白身に合わせているようですが、大きく外れはしないはず。
調味料をどこまで解禁してよいやら、悩みどころです。
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