第74話 星の海を泳ぐ巨影
ガス星雲『ゼノ・ミスト』の内部は、光とノイズの迷宮だった。
極彩色のガスが視界を遮り、強力な電磁干渉がセンサーを白く塗り潰す。
通常の商船なら、いや、それなりの探査船だとしても、わずかに踏み込んだだけで方向感覚を失い、遭難していただろう。
「マスター。全方位センサー、感度低下。ノイズ率80%を超過。……これ以上の索敵は、雲の中で針を探すようなものです」
ルシアがコンソールを操作しながら、冷静に報告する。
だが、その声には微かな焦りが混じっていた。彼女の自慢の演算能力も、物理的な情報の遮断には勝てない。
「やっぱり、普通のセンサーじゃ無理か」
俺はため息をつき、後方の席を振り返った。
「ミナ、第2ドッキング・ベイに繋いである『あれ』を使うぞ。ヴァーナから押し付けられた『新型自律観測ユニット』だ」
「えっ、あれを使うの!? 本当に?」
ミナが目を丸くする。
無理もない。あれはテクネ・プライムを出る際、『機工の魔女』ことヴァーナが「極限環境での耐久テストと、センサーの感度調整を行いたい」と言って託してきた代物だ。実質3000万クレジットの依頼だ、果たさねばなるまい。
『試作型深層探査プローブ』という触れ込みだが、サイズは小型の探査艇並みにデカい。
「あいつの言葉を信じるなら、こういう環境でこそ真価を発揮するはずだ。……艦載機用ドッキング・ベイ、開放。発進シークエンスへ移行」
「了解! 接続バイパス確立、固定アーム解除!」
「……ったく。初めてここを通るのが、あんな無骨な観測装置になるとはな」
俺はぼやきながら、発進承認のキーを叩いた。
本来なら、小回りのきく移動用のシャトルや連絡艇、そして防衛用の艦載機が出入りするための場所だ。
ミナがコンソールを操作すると、船体側面の装甲がスライドし、気密ハッチが開く重低音が響いた。
ドッキング・ベイから、黒塗りの無骨なユニットが滑り出る。
宇宙空間に放出されたそれは、スラスターを噴射して自律機動を開始し、船体の上部へと回り込んだ。
カメラアイが赤く輝き、複数のアンテナが展開される。
「うわ、ヴァーナさんの手作り!? すごい、信号処理のアルゴリズムが変態的だよ!」
送られてくる膨大な観測データを見て、ミナが感嘆の声を上げる。
ユニットが起動した瞬間、ブリッジのモニターが激しく明滅した。
ザザッ……ピ……ピピッ!
砂嵐のようだったノイズが、波が引くように晴れていく。
ガスの濃度、電磁波の強弱、そして重力波の微細な乱れ。
それらが色分けされた等高線のように表示され、混沌とした星雲の「地図」が浮かび上がった。
「すごい……。ノイズをキャンセラーで消すんじゃなくて、ノイズそのものを環境データとして解析して、地形を逆算してるんだ」
ミナが興奮気味に解説する。
流石は魔女の道具だ。性格は最悪だが、腕は確かだ。
「反応あり! 右舷前方、距離8000。……デカいよ、社長!」
レーダーの中心に、巨大な輝点が現れた。
全長、推定120メートル。
ゆっくりと、だが力強く、ガスの海を泳いでいる。
「……出たな」
俺はスロットルを握る手に力を込めた。
間違いない。この宙域の主、『スター・ツナ』だ。
「微速前進。気づかれないように背後を取るぞ」
マッコウクジラが音もなく接近する。
霧が晴れた先に、その姿が露わになった。
青白く発光する流線型の巨体。
鱗の一枚一枚が装甲板のように重なり合い、ヒレの隙間からはプラズマの光が漏れ出している。
魚というよりは、生物的なフォルムをした巡洋艦だ。
「美しい……。見てくれたまえ、あの流線型を。星間物質を効率よく取り込むために進化した、完成された捕食形態だ」
シュタイン教授がモニターに張り付いて絶賛する。
「あいつ、何を食ってるんです?」
「この星雲に漂う高純度のエネルギーガスと、そこに発生するプラズマ微生物だ。言わば、純粋なエネルギーを脂として蓄えている『泳ぐ原子炉』だよ」
「泳ぐ原子炉、か。……つまり、食えば力が湧くってことだな」
俺の解釈に、教授は「君というやつは……」と呆れつつも否定はしなかった。
距離3000。
射程圏内だ。
「ミナ、釣り竿の準備は?」
「冷却完了! いつでもいけるよ!」
「ルシア、射撃補正。狙いは背びれの下、重心点だ」
「承知いたしました。……ターゲット、ロック」
俺は息を止めた。
これは戦闘じゃない。漁だ。
相手に気取られる前に、一撃で動きを止める。
「――撃てッ!」
ズゥゥゥン……!!
船体下部のマスドライバーが吠えた。
射出された重力アンカーが、虚空を切り裂き、スター・ツナの巨体へと突き刺さる。
命中。アンカーの爪が鱗を食い破り、深々と突き刺さる。
直後、弾頭を中心に空間が歪んだ。
重力波だ。
見えない鎖となって両者を繋ぐ。
ギャアアアアオンッ!!
アンカーを伝って、骨に響くような咆哮が伝播する。
驚いたスター・ツナが、爆発的な加速で逃走を図った。
マッコウクジラの巨大な船体が激しく軋む。
重力アンカーを通じて、凄まじい「引き」が伝わってくる。
「ひぃぃッ!? だ、駄目です! データでは知っていましたけど、実物は桁違いすぎますよぉ! あんなの生物じゃなくて怪獣じゃないですかぁ!」
エマルガンドが頭を抱えて悲鳴を上げる。
さらに、サブモニターにはノイズ混じりの文字列が奔った。
『――<<強大>>……<<生命反応>>……<<脅威>>……』
船内LANの奥底で、バイオ・コアがざわめいている。
「マスター。バイオ・コアが反応しています。対象の放つ生物的波動があまりに強大で、共鳴しているようです」
「カボチャまでビビらせるとは、大した貫禄だな」
俺はスロットルを握る手に力を込めた。
「警告。対象、推進力増大。後方へのプラズマ放出量が急増。……本艦の推力と拮抗しています!」
ルシアが冷静さを欠いた警告を上げる。
モニターの中のスター・ツナは、全身から青い稲妻を放ちながら暴れ回っていた。
ほぼ空荷とはいえ、500m近いマッコウクジラの化け物みたいな出力と張り合うとはな。
100メートル級の巨体が本気で暴れれば、並の船なら引きずり回されて空中分解だ。
「逃がすかよッ! こっちはお前を食うためにここまで来たんだ!」
俺はスラスターを最大出力で噴射し、強引にブレーキをかけた。
綱引きだ。
宇宙船と怪魚の、命懸けの力比べ。
「ミナ! アンカーの出力上げろ! 引き寄せるぞ!」
「やってる! でもこれ以上上げると砲身が溶けるよ!」
「構わん、壊れても文句は言わねえ! 焼き切れる前に手繰り寄せろ!」
ギリギリと音を立てて、二つの巨体が接近していく。
スター・ツナが抵抗し、尾びれを振るって衝撃波を放つ。
シールドが明滅し、船内が揺れる。
だが、俺たちの食欲は、そんなものでは揺るがない。
「距離500……300……! 射程に入ります!」
「よし! 教授、急所は!?」
俺は叫んだ。
無闇に撃てば身が傷む。一撃で、確実に仕留める場所が必要だ。
「すまない、詳細なデータがない! 高エネルギー反応が強すぎて、内部構造までスキャンできん!」
教授が叫び返す。
流石の教授も、初見の巨大生物、しかもプラズマを撒き散らす相手の急所までは特定できないらしい。
頼みの綱が切れた。だが、俺の脳裏に教授の言葉が蘇る。『泳ぐ原子炉』。
「……原子炉がエネルギー源なら、これが効くだろ」
俺は獰猛に笑い、コンソールから中口径ガウス砲の弾種選択キーを叩いた。
「ルシア! 電子攪乱ビームを照射! EMP弾頭と同時に叩き込め!」
電子攪乱ビーム。このところ出番の無い、至近距離に迫ったミサイルや魚雷のセンサー類を焼き切るための近接防御兵器だ。
だが、今のこの距離なら十分に届く。
「電子攪乱に加えてEMP弾ですか? 生物に対して……いえ、理解しました」
ルシアの瞳が冷たく光り、即座に意図を汲み取る。
「自身の発生させるプラズマ電位に依存した生態。電子攪乱で生体電位を乱し、そこへ強力な電磁干渉《EMP》を流し込むことで、確実に強制シャットダウンさせます」
マッコウクジラの船体各所から、電子攪乱ビームが放たれる。
主砲のイオンキャノンほど強力ではないが、敵の知覚を狂わせる目眩ましには十分だ。
スター・ツナの動きが一瞬鈍った隙に、中口径ガウス砲の砲塔が旋回し、暴れる魚の巨体を捉える。
距離100。
目の前に、巨大な魚の顔がある。
その瞳は、怒りに燃えているように見えた。
「いただきますッ!!」
カッッ――!!
無音の閃光が弾け、衝撃波だけが船体を揺さぶる。
放たれた特殊弾頭が、スター・ツナの至近距離で炸裂した。
物理的な破壊ではない。青白い電磁の嵐が、巨体を包み込む。
ギャッ――……。
断末魔すら上げることなく、スター・ツナの巨体がビクンと大きく跳ね、糸が切れた操り人形のように脱力した。
推進器の光が消え、巨体は慣性だけで漂う肉塊へと変わる。
「……対象、生命反応停止。……神経活動、沈黙しました」
ルシアが静かに告げる。
ブリッジに、重い沈黙と、その後の爆発的な安堵が広がった。
「やった! 釣れたよ!」
ミナが飛び上がって喜ぶ。
エマルガンドはその場にへたり込み、教授は「見事だ」と拍手を送った。
俺は汗を拭い、モニターに映る巨大な獲物を見上げた。
外傷はほぼゼロ。内部の回路か神経かだけを焼き切った、完璧な「活け締め」だ。
「大漁だ。……さあ、解体ショーといくか」
俺の腹が、期待に震えて鳴った。
さてさて。
マグロ、ご期待ください。
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