第73話 雲海の漁場に釣り竿を
マッコウクジラは中立ステーション『オアシス』を出港し、数時間の航行を経て目的地へと到達した。
眼前に広がるのは、極彩色のガスが渦巻く星雲『ゼノ・ミスト』だ。
視界は最悪。センサーにも常にノイズが走り、深部へ進めば進むほど、外界との通信も途絶えるだろう。
まさに「宇宙の密林」であり、巨大生物たちが我が物顔で跋扈する魔境だ。
「……うぅ。窓の外が何も見えません。汚染されたバイオ・プラントの深層区画に放り込まれた気分です……」
ブリッジの隅で、エマルガンドが青ざめた顔で震えている。
無理もない。この霧の向こうには、戦艦クラスのサイズの怪物が潜んでいる可能性があるのだから。
「ビビるなよ助手。ここからが本番だ」
俺はコンソールに指を走らせ、微細なスラスター制御を入力しながら、口の端を吊り上げた。
未知の海、未知の食材。これほど心が躍るシチュエーションはない。
「マスター。機関室のミナより入電。『準備完了してる、いつでもいけるよ』とのことです」
ルシアの報告に、俺は頷いた。
今回の作戦のために、オアシス停泊中にミナが徹夜で組み上げた「秘密兵器」のお披露目といこう。
「よし。メインスクリーン、船体下部カメラへ切り替え」
モニターに映し出されたのは、マッコウクジラの船体下部の改造された異様な形状の砲塔だった。
ベースになっているのは、この船に元々搭載されていた『多用途マスドライバー』だ。
本来はデブリの破砕や、資材コンテナの射出に使われる実用本位の装備だが、今は見る影もないほど改造されている。
砲身には太いケーブルが血管のように巻き付き、基部には回収したインターディクターのパーツとおぼしきユニットが強引に接続されている。
ツタ植物に飲み込まれた戦争遺物のようだ。
「……なんだね、あの醜悪な継ぎ接ぎは」
シュタイン教授が呆れたように呟く。
「ミナ特製の『釣り竿』ですよ。マスドライバーの電磁加速レールを強化し、弾頭には重力アンカーを仕込んであります」
「重力アンカーだと? そのような出力をあの細い砲身で制御できるわけが……」
「制御できてませんよ。だから一発撃つごとに冷却と、ミナの手動メンテナンスが必要です」
俺は肩をすくめた。
連射は不可能。威力も未知数。さらに言えば、暴発のリスクすらある。
だが、この霧の中で巨大魚を仕留めるには、これくらいの「毒」が必要だ。
「テストだ。手頃なデブリに向けて一発撃ってみろ」
ズゥゥゥン……!!
それは発射音というよりは、空間そのものが軋みを上げたような重低音だった。内臓を揺さぶる不気味な振動。
マスドライバーから黒い杭のような弾頭が射出される。
それは狙い違わず、数百メートル先にある直径10メートルほどの小惑星に突き刺さった。
直後、弾頭を中心に空間が歪んだ。
重力波だ。
小惑星がビクンと震え、マッコウクジラの方へと引き寄せられ始めた。
「成功。重力アンカー、定着を確認」
通信機からミナの冷静な声が響く。淡々としているが、その声色には確かな自信が滲んでいる。
だが、同時に警報音も鳴り響いた。
「警告。第3多用途マスドライバー砲塔基部、温度上昇。冷却システム、限界値です」
「あちゃー、やっぱり排熱が追いつかないか。……社長、悪いけど次撃てるまで15分は待ってほしい。それと」
ミナが少し申し訳なさそうに付け加えた。
「ヴァーナさんに売る予定のコアを使っちゃってるけど、安心して。接続はバイパスしてるだけだから、漁が終わったら綺麗に取り外せる。……たぶん」
「たぶんかよ。まあいい、壊さなきゃ文句はねえ」
やはり不安定だ。
だが、威力は本物だ。あの質量の岩塊を、まるで釣った魚のように引き寄せている。
「ふむ。原理は理解した。だが船長くん、これでは獲物を『生け捕り』にすることはできても、船内に収容できないのではないかね?」
教授がもっともな指摘をする。
相手は全長百メートルには上るとも噂される『スター・ツナ』だ。
いくらマッコウクジラが巨大とはいえ、生きたままカーゴに放り込めば、暴れて船を破壊されるのがオチだ。
「生け捕り? まさか。そんなスペースはありませんよ」
俺はモニターに映る引き寄せられた岩を見ながら、冷酷な計算を口にした。
「教授から供与されている『狩猟ドローン』では、物理的に無力化できても身が穴だらけのミンチになってしまう。それじゃあ刺身どころじゃなくなるし、商品価値もガタ落ちだ」
教授が求めているのは貴重な『生体サンプル』であり、俺が求めているのは極上の『食材』だ。無闇に傷つけたくないという点では、俺たちの利害は一致している。
「だから、こいつで動きを止めて、引き寄せる。そこへ至近距離から、ありったけの火力を『急所』に叩き込んで、一撃で息の根を止めるんです」
「……なるほど。野蛮だが、確実だ」
「あのアンカーなら傷は最小限で済みます。研究用のサンプルとしても上等でしょう? ……もちろん、食材としてもね」
身を傷つけず、鮮度を保ったまま仕留める。
これは戦闘ではない。「漁」なのだ。
「いいだろう。君のその食い意地の張った合理性には、いつも感心させられるよ」
教授はニヤリと笑い、座席に深く座り直した。
「さあ、行きたまえ。霧の向こうに、極上のサンプルが待っているぞ」
俺はスロットルを押し込んだ。
マッコウクジラが、深く、濃い霧の中へと潜っていく。
待ってろよ、スター・ツナ。
文字通り、おまえを料理してやる。
釣りができるゲームは良ゲーという風潮。
面白かった、続きが楽しみ、と思っていただけたら「★」をポチッと!
アキトの明日の夕飯が少しグレードアップするかもしれません。よろしくお願いします!




