第72話 餅への挑戦
オアシスのドックで迎えた、船内時間での翌朝。
つまり、俺の魂のカレンダーにおける「元日」の朝だ。
昨夜の年越しそばで、クルーたちの胃袋と心は満たされた。
だが、日本人としての俺の遺伝子が、まだ何かが足りないと訴えている。
――餅だ。
正月には、伸びる餅を食わねば始まらない。
「……ないんだよな、もち米が」
俺はキッチンのテーブルに突っ伏して唸った。
この世界には小麦だけでなく、米も存在しない。あるのは「合成炭水化物・ライス型」と呼ばれる粒状の合成デンプンだけだ。
こいつには粘りがない。ましてや、粘り気の強いもち米など、望むべくもない。
だが、諦めきれない。
雑煮が食いたい。焼き餅が食いたい。あの喉に詰まりそうな粘り気が恋しい。
俺の視線が、テーブルの隅に積まれた「戦利品」に吸い寄せられた。
これまでの旅で買い集めてきた、銀河各地のインスタント食品の山だ。現在は一時的にほぼ非常食という扱いになっている。
その中に、見覚えのあるパッケージがあった。
オリエンタル・フレーバー社製『スペース・カレー(ライス付き)』。
前世の記憶にあるレトルトカレーに酷似した、この世界ではちょっとした嗜好品だ。
「……待てよ」
俺はパッケージを手に取った。
中には、レトルトパウチに入ったカレーソースと、乾燥したアルファ化米のようなブロックが入っている。
『蜘蛛』との契約は「本物のカレーの再現」だ。
つまり、カレーソースの部分は成分分析や味の比較用として厳重に保管する必要がある。
だが、付け合わせの「ライス」はどうだ?
カレーの研究に、付属の乾燥ライスは必須ではない。むしろ、「合成炭水化物・ライス型」で代替できるし、そちらの方が美味い。
「……つまり、こいつは『余剰パーツ』だ」
俺は震える手でパッケージを開封した。
食材を無駄にするかもしれないという懸念と、餅への欲望がせめぎ合う。
だが、料理には多少の犠牲と注文の拡大解釈が必要だと教授も言っていた。
ええい、ままよ!
取り出した乾燥ライスブロックをボウルに入れ、熱湯で戻す。
数分後、湯気の中から姿を現したのは、白く輝く……ゲル状の集合体だった。
カレーのライス風炭水化物ゲルには、むにむにとした不自然な弾力があった。
あるいは、ソフトビニール製のフィギュアを細かく刻んで煮込んだような、生物的な温かみを感じさせない手触りだ。
粘り気は少ない。これだけをついても、餅にはならないだろう。
「そこで、こいつの出番だ」
俺は昨日手に入れた「黒い粉」を取り出した。
蕎麦粉には粘りがある。昨夜実証済みだ。
この合成ライスのデンプンと、蕎麦粉の粘りを融合させ、餅つきで強制的に一体化させれば……。
「餅のようになる可能性は十分にある」
俺はボウルに蕎麦粉を投入し、昨日使った麺棒《金属パイプ》の端を握りしめた。 ここからはパワー勝負だ。
ドスッ! グチャッ! ベチャッ!
キッチンに、鈍く重たい音が響き渡る。
強化された腕力で、親の仇のように生地をつき、捏ねる。
白と黒が混ざり合い、次第に灰色の塊へと変貌していく。
「……よし、粘りが出てきたぞ」
額に汗を浮かべながら、俺は杵《金属パイプ》を置いた。
ボウルの中には、ねっとりと光るダークグレーの物体が鎮座している。
見た目は……正直、あまり良くない。学生時代の消しカスを集めて作った塊が思い出される。
だが、重要なのは味と食感だ。
俺はそれを一口大にちぎり、丸め、フライパンで焼いてみた。
ジュウウ……。
香ばしい匂いが立ち上る。蕎麦の香りと、お焦げの匂い。悪くない。
表面に焦げ目がついたところで、醤油を少し垂らす。
見た目は「磯辺焼き」に近い何かが完成した。
「いざ、実食」
俺は熱々のそれを口に放り込んだ。
「……むぐ」
噛む。
……硬い。
そして、歯にまとわりつく不快な粘り気。
餅特有の「コシ」や「伸び」ではない。合成デンプンから僅かな粘りが生まれているようにも思うが、ゴムのような弾力と蕎麦粉のボソボソ感が、口の中で殴り合いを始めている。
味は悪くない。醤油と蕎麦の香りで食える味にはなっている。
だが、これは餅じゃない。「餅のような粘着質を持った、非常に重たい団子」だ。
「……駄目だ」
俺はゴクリと飲み込み(喉に詰まりかけた)、天を仰いだ。
失敗だ。これを「餅」として出すのは、料理人としてのプライドが許さない。
ましてや、昨日「本物の蕎麦」を知ったクルーたちに食わせられる代物ではない。
「マスター? 朝から凄い音がしていましたが……」
入り口から、ルシアが顔を覗かせた。
その後ろから、寝癖をつけたままのミナと、欠伸を噛み殺している教授も現れる。
「何かいい匂いがする! また何か作ったの?」
「……いや」
俺は背中で「灰色の団子」を隠した。
「ちょっとした実験だ。……失敗したよ」
「実験? 料理の?」
教授が興味深そうに眉を上げる。
「ああ。だが、完成度があまりにも低い。皆に出せるレベルじゃねえよ」
俺は潔く敗北を認めた。
この「蕎麦餅モドキ」は、俺が責任を持って処分《完食》するしかない。腹持ちだけは良さそうだしな。
「そうですか。……では、朝食は通常通りで?」
「ああ。すぐに用意する。……昨日の残りの出汁を使って、雑炊にでもしようか。卵も使ってしまおう」
「賛成! あのお出汁、すごく美味しかったもんね」
ミナが嬉しそうにネズミ耳を揺らす。
その無邪気な笑顔に、俺の心の傷も少しだけ癒やされた。
餅は食えなかったが、まあいい。
温かい飯と、それを待ってくれる仲間がいる。
それだけで、十分すぎるほど良い正月だ。
俺は隠していた「灰色の物体」をそっとダストシュート……いや、自分の皿の端に退避させ、改めて包丁を握った。
今年も忙しくなりそうだ。
餅は無理だ……すまない
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