第70話 黄金の『ガレット』
案内されたのは、オアシスの最上層、管理区画にある展望レストランだった。
眼下には、ゴミと欲望でできた鉄屑の街が宝石箱のように煌めいている。
その一番奥、巨大な円卓に一人の男が待っていた。
「ようこそ。私が『蜘蛛』だ。……はは、好きなものが呼び名になってしまっただけだ。妙な勘ぐりはよしてくれたまえ」
男は細身の長身で、仕立ての良い黒いスーツを着ていた。
滑らかな緑色の肌は、照明の加減で微細な鱗の輝きを放っている。縦に割れた金色の瞳が、瞬膜によって一瞬だけ白濁し、すぐに鋭い光を取り戻す。爬虫類から進化した種族特有の冷ややかさと、神経質そうな長い指が印象的だ。
俺とルシア、そしてシュタイン教授が席に着くと、男は音もなく指を鳴らした。
「まずは食事を。君たちの『武勲』に相応しい、この街で提供できる最高の皿を用意させた」
給仕ドローンが運んできたのは、大きな白い皿だ。
その中央に、黄金色のソースがかけられた、四角く折り畳まれたクレープのような料理が鎮座している。
漂ってくるのは、強烈なスパイスの香り。
クミン、コリアンダー、ターメリック……に似ているが、どこか違う。もっと刺々しく、鼻腔を直接刺激するような野生的な香りだ。
「……ほう。これは珍しい香木を使っているな」
教授が興味深そうに鼻をひくつかせた。
「『黄金のガレット』だ。さあ、冷めないうちに」
促されるまま、俺はナイフを入れた。
生地はパリッとしていて、香ばしい。中には挽肉と野菜らしきものが包まれている。
黄金色のソースをたっぷりと絡め、口に運ぶ。
「…………」
口に入れた瞬間、舌を刺すような辛味が走った。
そして、複雑怪奇な香りが爆発する。
確かにスパイシーだ。だが、それだけだ。
旨味の土台がなく、ただただ香辛料の刺激だけが上滑りしている。
「……評価は?」
蜘蛛が探るような視線を向けてくる。
俺が口を開く前に、教授がナプキンで口を拭い、冷淡に言い放った。
「下品だね」
場の空気が凍りつく。
だが、教授は気にした様子もなく続けた。
「希少なスパイスを多用しているのは分かるが、調和というものがない。ただの刺激物のカクテルだ。舌の痛覚を刺激するだけで、脳髄に響く『快楽』がない。……点数をつけるなら、素材への冒涜だ」
俺はテーブルの下で拳を握り、いつでもサイオニックの衝撃波を放てるよう意識を集中した。
出力調整が苦手な俺がここで暴れれば、レストランごと吹き飛びかねないが、背に腹は代えられない。
いきなり喧嘩を売るとは、この爺さん、度胸がありすぎる。
だが、蜘蛛の反応は意外なものだった。
「……やはり、そうか」
彼は怒るどころか、深く落胆したように肩を落としたのだ。
「私にも分かっていた。何かが足りない、決定的に何かが違うと」
蜘蛛は立ち上がり、部屋の壁際にある棚を指差した。
そこには、異様なコレクションが並んでいた。
銀河中から集められたであろう、「カレー味」のインスタント食品やジャンクフードのパッケージが、ショーケースに陳列されているのだ。
中には、オリエンタル・フレーバー社製『スペース・カレー(ライス付き)』や、『高栄養価戦闘糧食・タイプS(激辛シーフードカレー)』といった、俺も世話になったことのある既製品も混ざっている。
「私はね、『カレー』という失われた概念に魅入られているんだ」
蜘蛛は熱っぽく語り出した。
「文献によれば、かつて地球人類が熱狂し、常食していた『本物のカレー』が存在したという。一口食べれば発汗し、脳内麻薬が溢れ出し、生きる活力が湧いてくる魔法の料理らしい。……私はその再現に生涯を捧げている」
彼はテーブルの上に、小瓶を幾つも並べた。
中には色とりどりの粉末や、乾燥した植物が入っている。
「見てくれ。これは惑星ベレヌスの赤砂漠で採れる『ザン・ガラ』。こっちはガス星雲の深部で結晶化した『シル・マナ』だ。地球人類が口にしていたというスパイスとは違うが、成分構造は近いものを銀河中から取り寄せた。」
「……だが、これらをどう調合しても、あのインスタント食品たちが持つ『一定の水準で完成された味』に届かないのだ!」
香料と化学調味料で極限まで最適化された合成再現品を「聖典」として崇め、正解を知らぬまま、不揃いな天然スパイスだけで再現しようとして迷走している。
金と権力を持ったオタクの末路であり、あまりにも困難な道のりだ。
だが、その狂気じみた情熱と、「美味いものを食いたい」という純粋な執念だけは、料理人として認めざるを得ない。
「……なるほどな。あんたの苦悩は分かった」
俺はため息をつき、皿に残った料理に視線を落とした。
ソースは確かに落第点だ。コクもなければ、甘みと酸味のバランスも破綻している。玉ねぎを炒めるという基本工程すら抜けているだろう。
だが。
俺が注目したのは、ソースの下にある「生地」の方だ。
俺はソースのかかっていない端の部分を切り取り、慎重に咀嚼した。
パリッとした食感。
そして、鼻に抜ける独特の野趣あふれる香り。
合成デンプンのような均一な味ではない。穀物特有の、大地を感じさせる素朴で力強い風味。
俺の記憶にある、ある穀物の味と……全く同じとは言えない。だが、限りなくそれに近い。
「……おい、蜘蛛。あんた、このガレットの生地……何で作った?」
「生地? ああ、それはオアシスの下層区画、廃棄プラントの隙間に自生している雑草の種を挽いたものだ。貧民たちが『黒い粉』と呼んで泥団子にして食っているが、香りが強いのでスパイスの受け皿になると思ってな」
「雑草……だと?」
俺の手が震えた。
馬鹿野郎、これは雑草なんかじゃない。
痩せた土地でも育ち、寒冷地にも強く、なにより年越しには欠かせないあのソウルフードの原料。
「蕎麦……!! 蕎麦粉じゃねえか!!」
小麦さえ何処にあるかわからないこの宇宙で、まさか蕎麦が生き残っていたとは。いや、あまりに長い時を経て変異しているかもしれないが、この風味は間違いない。
しかも「雑草」扱いされて!
「……マスター? そんなに興奮して、どうされました?」
ルシアが不思議そうに首を傾げる。
俺は前のめりに身を乗り出し、蜘蛛を睨みつけた。
「取引だ、蜘蛛。あんたが求めている『本物のカレー』……俺が作ってやる」
「なっ、本当か!? 『黄金の比率』を知っているのか!?」
「ああ。料理人の端くれとして、その手の『黄金比』ってやつは頭に入ってる。玉ねぎの炒め方からスパイスのテンパリングまで、基礎から叩き込んでやるよ。……その代わり」
俺は皿の上のガレットを指差した。
「この生地の原料……その『黒い粉』の入手ルートと、在庫の全てを俺に寄越せ。金なら払う。スクラップの売上全部突っ込んでも構わん」
「……は?」
蜘蛛がポカンと口を開けた。
教授も呆れたように肩をすくめる。
「やれやれ。粉に発情するとは、君の性癖も底が知れんな」
「黙ってろ教授。これは俺の悲願なんだよ」
カレーもいい。だが、今の俺にとってはこの黒い粉の方が重要だ。
これが手に入れば、あれが作れる。
ズルズルと音を立てて啜る、あの至高の麺料理が。
俺と蜘蛛。
食に狂った二人の男の利害が、奇妙な形で一致した瞬間だった。
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