第68話 生きた証のオニオングラタンスープ
これでようやくカクヨムに追いついたぞ......
ヴォル・ガ・ド宙域の深部へと進むマッコウクジラの船内には、先程までの戦闘が嘘のような静寂が満ちていた。
窓の外では、磁気嵐が荒れ狂っている。
だが、嵐の目の中を進む船内は平穏そのものだ。
ルシアは現在、通常航行の制御を行いながら、自身のシステム領域内で大規模な「区画整理」を行っている。
先程の戦闘で露呈した「情動ノイズ」による演算ラグ。これを解消するため、感情データを削除しては本末転倒だ。管制システムとリンクさせ、戦闘時には『感覚処理ドライバ』の優先度を最小に低下させる。そのようなモードの切り替えを実装しているのだ。
「……ふぅ。やっと落ち着いたか」
俺は休憩スペースへと足を運んだ。
そこでは、まだ顔色の悪いエマルガンドが、温かく濃いコーヒーの入ったカップを両手で包み込むようにして震えていた。
その向かいで、シュタイン教授が優雅に足を組んで座っている。
「……信じられません。護衛もつけずに、あんな艦隊を相手にするなんて……」
エマルガンドが、うわ言のように呟く。
「輸送艦というのは、もっとこう……安全な航路を、護衛艦隊に守られながらコソコソと進むものでしょう?」
「ふむ。確かに《《一般的》》な輸送艦ならばそうだろうな」
教授が紅茶を啜り、諭すように言った。
「だがね、エマルガンド君。護衛を雇うというのは、それだけで莫大なコストなのだよ。正規軍の護衛をつければ、輸送利益はごく僅かなものになる。品目によるがね。」「かといって安価な民間軍事会社《PMC》や、傭兵管理機構で雇った護衛をつければ、宙賊と裏で通じているリスクや、形勢不利と見るや遁走されるリスクを負うことになる。」
「だから輸送船というのは通常、徒党を組んで護衛を共有し、大規模な輸送船団となるものだ」
「そうですよぅ。だからおかしいんです」
「そして、積載量の問題もある。私も駆け出しの頃は、採取した貴重なサンプルを船に詰め込み過ぎて、船長に泣きつかれたものだ。『先生、これ以上積むとジェネレーター出力が推力に食われて、シールドが張れなくなります! 宙賊が出たら一発で蒸発です!』とな」
教授は懐かしそうに目を細めた。
「輸送艦とは本来、積載量と防御力のトレードオフで成り立つ脆い生き物なのだよ。だが、この船は違う」
教授は視線を巡らせ、船体の奥で唸る巨大なジェネレーターの存在を示唆した。
「過剰なまでのジェネレーター出力に、軍用艦並みのシールドと武装。商売道具である積載量を犠牲にしてでも、自由を尊重し、自分の命と食卓を守る。この船の主は、そういう合理的な狂人なのだよ。」
「……とは言ったが、それでいてこの船の推力は高い水準で安定し、貨物区画はほとんど圧迫されていないように思える。空間拡張技術が実用化したという話は聞いたことが無いが……。全く、常識外の艦船だ」
「……褒められてる気がしねぇな」
教授の講釈を尻目に、俺はワゴンの上で手早く夜食の準備を進めていた。
エマルガンドの憔悴しきった胃袋には、理屈よりも温かいスープが必要だ。
用意したのは、教授と出会った時に買い込み、早くもキッチンの収納スペースの肥やしとなりかけている「バゲットのようなもの」。
見た目は美味そうな焼き色がついているが、今は石のように硬い。この世界のパンは、宇宙時代に適応した代替穀物をベースとする合成デンプンを主原料としている。そのため、焼きたてはともかく、冷めると急速に劣化し、あっというまにカチカチになってしまうのだ。
前のコロニーで新しく仕入れたパンや生鮮食品は、教授が持ち込んでくれた『クラス3鮮度保持フリーザー』の中で、焼きたての柔らかさを保ったまま眠っている。
あちらを使えば楽なのだが、今日はあえてこの「古漬け」を処理することにした。
カチカチになったパンだが、調理法次第で化けるからだ。
それにしても、あのフリーザーは素晴らしい。教授様々である。
俺は石のようなパンを厚切りにし、たっぷりのバターを塗ってトーストする。 並行して、鍋では薄切りにした「タマネギモドキ」を、飴色になるまでじっくりと炒めていた。
こいつは辺境惑星の土着植物らしく、繊維が強すぎる問題はあるが、クソ高い値段以外はほぼ玉ねぎと言っていい代物だ。加熱すれば甘みが出る。
そこへ、合成肉のエキスと香草パウダーを調合し、香り付けされた「即席コンソメ」――これもまた相当な高級品だ――を注ぎ、塩胡椒で味を調える。本物のブイヨンなど、この宇宙では金より重い。あるもので何とかするのが料理人の腕だ。
……教授を下ろしてからの食生活があまりにも心配になるな。
耐熱のココット皿にスープを注ぎ、そこへトーストしたパンを浮かべる。
仕上げに、すりおろしたチーズを山のように乗せ、オーブンへ放り込む。
数分後。
チリチリという脂の爆ぜる音と共に、香ばしい匂いが漂い始めた。
「お待たせしました。少し早いが、夜食にしましょう」
俺がテーブルに置いたのは、熱々のココット皿だ。
中では、飴色のスープがグツグツと音を立て、その上に浮かぶ分厚いチーズが焦げ目を纏ってとろけている。
「……これは?」
「オニオングラタンスープです。胃に優しくて、身体が温まりますよ」
俺はスプーンを差し込み、スープを吸ってトロトロにふやけたパンと、とろけるチーズを一緒に掬い上げた。
「熱いので気をつけて」
エマルガンドがおずおずと口に運ぶ。
「……はふっ、あつ……! ……んぅ……」
咀嚼する必要すらない。
あれほど硬かったパンが、スープを限界まで吸い込んでスポンジのように解れ、口の中でじゅわりと旨味を吐き出す。
炒めたタマネギモドキの凝縮された甘み。即席コンソメのジャンクだが深いコク。
そこへ濃厚なチーズの塩気と脂が絡み合い、火傷しそうな熱と共に喉を落ちていく。
カチカチパン特有のパサつきや硬さは微塵もない。あるのは、優しく、それでいて力強い満足感だけだ。
「……おいしい……。あったかい……」
エマルガンドの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
恐怖で強張っていた身体の力が抜け、血の気が戻っていく。
温かい食事というのは、それだけで生存本能を肯定する力がある。
「ふむ。パンが鮮度維持フィールドの外に保管されていることに一時は愕然としたものだが……合成デンプンの塊も、こうしてスープを吸わせれば極上の食材に化けるか。……実に興味深い」
教授もハフハフと白い息を吐きながら、スプーンを動かしている。
俺はもう一つのココット皿を、給仕用の小型ドローンに載せた。
「ルシア、これをカーゴルームへ。ミナのやつ、戦利品が搬入された瞬間に飛んでいきやがったからな」
「承知いたしました。……彼女なら、既にインターディクターの残骸の解析を始めている頃でしょう」
食い気より知識欲か。技術者としては正しいが、冷める前に食ってほしいもんだ。
あのネズミ耳をパタパタさせながら、熱々のスープに目を輝かせる姿が目に浮かぶ。
そして、最後の一皿。
俺はそれを、傍らに控えるルシアに差し出した。
「お前の分だ」
「……私に、ですか?」
「戦闘中はノイズ扱いしてたが、今は休憩時間だろ。そのセンサーは、飯を食うために着けたんだ」
ルシアは少しだけ瞬きをして、丁寧にココット皿を受け取った。
スプーンで、スープを吸ったパンをすくい上げる。
熱い湯気が、彼女の白い肌を撫でる。
彼女はそれを口に含んだ。
「……」
ルシアの動きが止まる。
硬く冷たかったはずのパンが、熱と味を吸い込んで、温かくほどけていく。
その感触を、彼女の新しい回路が「肯定」する。
「……温かいです」
ルシアが静かに呟いた。
「戦闘中、私の判断を鈍らせた『熱』の正体……。攻撃的なエネルギーとしてではなく、こうして体内に取り込む熱量は……非常に、心地よいものなのですね」
「だろ? それが『生きてる』ってことの証だ」
俺も自分の分を啜った。
本物の小麦や野菜の繊細さはない。だが、この温かさと、手間暇かけて引き出した甘みは本物だ。
冷え切った宇宙の旅路で、この一杯のスープが、俺たちがまだ人間であることを思い出させてくれる。
その時だった。
スープの余韻に浸るルシアが、ふと顔を上げた。
「マスター。前方に磁気嵐の切れ目を確認。……目的地、視認できます」
いつもの冷静なトーンだが、どこか晴れやかな響きがある。
俺たちは窓の外を見た。
荒れ狂う紫色の嵐の向こう側。
台風の目のようにぽっかりと空いた静寂の空間に、それは浮かんでいた。
無数の宇宙船の残骸、廃棄されたステーションのモジュール、小惑星。
それらを無秩序に繋ぎ合わせ、増改築を繰り返した結果、歪だが巨大な一つの都市へと変貌した鋼鉄の塊。
無数の窓から漏れる光が輝いている、宇宙時代の九龍城だ。
中立ステーション『オアシス』。
犯罪者も、逃亡者も、そして美食を求める馬鹿も、金さえあれば平等に受け入れる無法の聖域。
「……着いたな」
俺は最後のスープを飲み干し、立ち上がった。
「さあ、休憩は終わりだ。上陸するぞ。……美味い魚は、この羽休めの先で待ってる」
オニオングラタンスープもまた、クリスマス付近のメニューというイメージがある。
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