第65話 深夜のサンドイッチ
「では、航行計画の詳細を詰める」
ローストビーフの余韻も冷めやらぬ中、メインモニターに星図を展開したシュタイン教授が、ポケットから取り出したレーザーポインターを振るった。
「目的地であるガス星雲『ゼノ・ミスト』までは、現在の『フリーポート・ノヴァ』から通常航行とハイパードライブを併用して、およそ三週間の行程となる」
三週間。
宇宙の旅としてはそこまで長くないが、観光旅行というわけにはいかない距離だ。
「問題はこの赤いエリア……『暗礁宙域ヴォル・ガ・ド』だ。ゼノ・ミストへ至る最短ルート上にあるこの宙域は、強力な磁気嵐とデブリベルトにより正規軍の監視網が機能しておらず、宙賊や非合法組織の巣窟となっている」
「迂回ルートは?」
「あるにはあるが、さらに二週間は余計にかかる。鮮度保持コンテナがあるとはいえ、物資の消耗を考えればリスクを取ってでも突っ切るのが上策だ」
「……リスク、ですか」
「うむ。だが、このヴォル・ガ・ドの深部、磁気嵐の目の中には『中立ステーション・オアシス』が存在する。そこへ寄港し、急速補給と休息、場合によっては補修を行うことも可能だ」
「補修?」
「あそこは全銀河の裏組織が『不可侵の聖域』として資金を出し合い、維持している場所だからな。金さえ払えば、海賊だろうが正規軍だろうが平等に客として扱う。そういう奇妙な均衡で成り立っている経由地なのだよ」
教授は眼鏡のブリッジを押し上げた。
「それに、それなりの規模の宙賊集団は重力井戸発生装置を用いた待ち伏せを行うこともある。」
「特に図体のでかい船はインターディクターの格好の的となるであろうし、我々のような単独船は、格好の獲物だろうな」
「……ほぼ確実に襲われるってことですね」
「うむ。だからこそ君の腕が頼りなのだよ、船長君。巡洋艦を沈めるその手腕、期待しているぞ」
教授は、まるでこれから始まるショーを待ちわびる子供のように、愉悦に口元を歪めた。
やれやれ、高い報酬には相応のリスクがつきものか。
俺は肩をすくめて了承した。
「わかりましたよ。ルシア、迎撃システムの最終チェックと、シールド出力の再調整を頼む。」
「了解しました」
「ミナはエンジンを入念にチェックしておいてくれ。いつでも緊急加速できるように」
「わかった。任せて」
「肯定。戦闘プロトコルを『対艦隊戦』仕様に最適化します」
ルシアが流れるような手つきでコンソールを操作し、ふと手を止めてこちらを見た。
「しかしマスター、味覚センサーの実装とそれに伴う感覚情報の処理により、支援能力に充てる演算能力が低下しています。新たな目標に外部演算装置等の導入を推奨します」
「……ああ、わかってる。美味い飯を食うための代償ってやつだな。今回の稼ぎでなんとかするさ」
◇
ブリーフィングを終え、各自が持ち場や寝室へと散った深夜。
船内は静寂に包まれていた。
俺はふと目が覚め、小腹が空いたのを感じてキッチンへと向かった。
「……何か軽く腹に入れるか」
冷蔵庫を開ける。
中には、夕食で余ったローストビーフの端切れと、マッシュポテトの残りが保存容器に入っていた。
これを使おう。
パンを軽くトーストし、片面にマッシュポテトをバター代わりにたっぷりと塗る。その上に、薄切りにしたローストビーフを重ねていく。
レタスやホースラディッシュでもあれば上等なのだが、昼間に買い込んだ大量の食材はまだカーゴルームの保冷庫の中で、検品と仕分けが終わっていない。
どこに何があるか把握できていない状態で、無闇にパッケージを開封して食材を浪費するわけにもいかない。
あるもので済ませるのが、夜食の流儀だ。
代わりに黒胡椒を多めに振り、マスタードもどきの謎調味料を落としてパンで挟む。
『ローストビーフとポテトのサンドイッチ』の完成だ。
二つ作り、俺はトレイに乗せてブリッジへと向かった。
◇
薄暗いブリッジでは、ルシアが一人、コンソールの光に照らされていた。
航行監視当番だ。アンドロイドの彼女に睡眠は不要だが、定期的な休眠モードは推奨されている。だが、危険宙域の手前ということもあり、彼女は常時稼働を選択していた。
「お疲れ。差し入れだ」
「マスター。……恐縮です」
俺がサンドイッチを差し出すと、ルシアは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに丁寧に受け取った。
俺も隣の席に座り、サンドイッチにかぶりつく。
パンのサクッとした食感、ポテトの滑らかさ、そして肉の旨味。シンプルだが、深夜の胃袋にはこれくらいが丁度いい。
「……美味しいです」
ルシアも一口食べ、静かに呟いた。
「味覚を得てから、世界認識が変容しました。艦内の空調が運ぶ微かなオイルの匂い、計器が発する熱のゆらぎ、そしてこのサンドイッチの温度。」
「全てが単なる『情報』ではなく、質感を持った『感覚』として処理されています」
「便利になったか? それとも不便か?」
「……賑やかになりました。以前の世界は静かで、無機質でしたから」
ルシアはパンの耳を指先でなぞった。
「マスターが『本物』の味にこだわる理由が、少しだけ理解できた気がします。それは単に成分の問題ではなく、その奥にある『記憶』や『情景』と結びついているからなのですね」
彼女の視線が、俺を射抜く。
教授にも指摘されたことだ。俺の求める味が、この世界のどこにもない「過去」のものであること。
「……そうかもな」
俺は苦笑して、最後のひと口を飲み込んだ。
故郷の味。地球の味。
それを説明するのは難しいし、彼女に理解させるのも酷な話だ。
「いつか、お前にも食わせてやるよ。俺が知ってる『最高に美味いもん』をな」
「はい。楽しみにしています、マスター」
ルシアは穏やかに微笑んだ。
それはプログラムされた表情ではなく、確かに彼女の「心」から生まれたもののように見えた。
俺は立ち上がり、ブリッジのメインスクリーンを見上げる。
星々の海が広がっている。
この静寂の向こう側には、教授の言う『暗礁宙域ヴォル・ガ・ド』が待っている。そしてその先には、未知の美味なる獲物が泳ぐ海がある。
「よし、そろそろ時間か」
俺は手元の端末を操作し、船内全域への通信回線を開いた。
「総員、配置についたまま聞いてくれ。これより本船はヴォル・ガ・ド宙域、中立ステーション・オアシスへ向け出港する」
「マッコウクジラ、抜錨」
微かな振動と共に、巨体がドックを離れ、新たな目的地へと進んでゆく。
夜食にできるほど肉料理を余らせた覚えがない。
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