第64話 薔薇色のローストビーフ
フリーポート・ノヴァでの買い出しを終え、マッコウクジラは出港準備を整えつつあった。
だが、キッチンだけは熱気に包まれている。
「よし、火入れ式だ」
俺の前には、鎮座する真新しい『業務用スチームコンベクションオーブン』。
そしてまな板の上には、ルシアが厳選した3キログラムの高級合成ロース肉の塊が横たわっている。
見事なサシが入ったその肉塊は、これまでのペースト成形肉とは一線を画す風格を漂わせていた。
「下味は完了しています。常温に戻し、内部温度も均一化済み」
「完璧だ、ルシア」
俺は肉の表面に塩と胡椒、そして数種類のハーブを擦り込み、天板に乗せた。
惜しげもなく使ったこのスパイスとハーブ、それに肉自体の値段を考えれば、この下味の工程だけで本来なら上等なステーキが腹一杯食えるだけの価値がある塊だ。
オーブンの設定パネルを操作する。
温度は120度。湿度は30%。
芯温センサーを肉の中心に突き刺す。
「いってらっしゃい」
重厚な扉を閉め、スタートボタンを押す。
静かなファンの回転音と共に、庫内に熱風と微細な蒸気が循環し始めた。
これまでのフライパン調理では不可能だった、低温でのじっくりとした加熱。蒸気の力で乾燥を防ぎつつ、タンパク質が固まらないギリギリの温度帯をキープする。
文明の利器万歳だ。
◇
数十分後。
オーブンが軽快な電子音を奏でた。芯温が設定値に達した合図だ。
扉を開けると、芳醇な肉の香りと共に、熱気が溢れ出す。
「うわぁ……! いい匂い!」
待ちきれない様子のミナがキッチンを覗き込む。
だが、まだ完成ではない。
「仕上げだ。フライパンを熱してくれ」
取り出した肉塊を、熱々に熱したフライパンへ。
ジューッ!!
表面だけを強火で一気に焼き付け、メイラード反応による香ばしさをプラスする。
そして、アルミホイルで包んで休ませる。この時間が、肉汁を全体に行き渡らせる工程だ。
その間にソース作りだ。
肉汁が残ったフライパンに赤ワインを注ぎ、アルコールを飛ばす。
そこへ疑似醤油、合成バター、そして少しの蜂蜜を加えて煮詰める。
「ルシア、味見を」
「承知しました」
ルシアが小皿に取ったソースを舐める。
「……塩分濃度、適正範囲。酸味と甘味のバランスも良好ですが、肉の脂との親和性を高めるため、黒胡椒の追加を推奨します」
「了解」
的確なフィードバックだ。味覚を持った助手というのは、これほど頼もしいものか。
俺はペッパーミルを回し、味を整えた。
ついでに、付け合わせの準備も済ませる。
主食はマッシュポテトだ。残念ながら、これはお湯を掛けて戻すタイプの乾燥品だ。だが、パッケージによれば少なくない割合で本物の芋が含まれているらしい。
熱湯で戻し、合成バターとまだ残っている少しのミルクを加えて練り上げれば、インスタント特有の粉っぽさも消え、クリーミーな仕上がりになる。
◇
そして、夕食の時間。
メインテーブルには、薄く切り分けられたローストビーフが山のように盛られていた。
ナイフを入れた瞬間に分かる柔らかさ。
断面は完璧な薔薇色。中心まで均一に火が通り、溢れ出る肉汁が断面を艶やかに濡らし、照明を反射してキラキラと輝いている。
その横には、白くなめらかなマッシュポテトがたっぷりと添えられていた。
「いただきます!」
ミナとエマルガンドが同時にフォークを突き刺した。
「ん! やわらかい! なにこれ、溶けるよ!」
「こんな美味しいお肉、初めて食べました……! 噛むたびに旨味が……!」
二人は目を輝かせ、夢中で肉を口に運んでいる。
ルシアもまた、一口食べて静かに目を閉じた。
「……繊維がほどけるような柔らかさと、凝縮された旨味。加熱プロセスの最適化により、タンパク質の変性が理想的な状態に保たれています。これが『オーブン』の力ですか」
「道具のおかげさ。それに、素材も良かった」
俺は謙遜しつつ、教授の様子を伺った。
美食家の彼は、ナイフとフォークを使って優雅に肉を切り分け、ソースを絡めて口に運ぶ。
「……ふむ。悪くない」
教授はナプキンで口元を拭い、満足げに頷いた。
「火入れは完璧だ。パサつきもなく、しっとりとしている。アカデミーの食堂で出るゴムのようなステーキとは比べものにならん」
「そりゃどうも。まあ、アカデミーの食堂は味を追求する場ではないでしょうがね」 「違いない。あそこは権威のために料理の体裁を取っているだけで、栄養摂取の効率しか考えておらんからな」
上々の評価だ。
俺も自分の一切れを口に運んだ。
……うん、美味い。
舌に乗せた瞬間、低温調理特有のシルキーな舌触りが広がる。
噛み締めると、抵抗なく繊維が解け、閉じ込められていた肉汁が一気に溢れ出した。
合成肉特有のケミカルな臭みは、擦り込んだハーブとスパイス、そして焼き付けた表面の香ばしさによって完全に消え失せている。
そこにあるのは、純粋な肉の旨味と脂の甘み。
赤ワインと醤油ベースのソースが、濃厚な脂をキリッと引き締め、次の一口を誘う。
ソースを吸ったマッシュポテトを肉で巻いて口に運べば、芋の素朴な甘みと肉汁が混ざり合い、相乗効果で旨味が爆発する。乾燥品とはいえ、やはり肉には芋だ。
間違いなく、俺がこの世界に来てから作った肉料理の中で最高傑作だ。
だが。
(……やっぱり、違うな)
俺は心の中で小さく息を吐いた。
美味い。間違いなく美味いのだが、何かが足りない。
穀物をたっぷりと食べて育ち、長い時間をかけて肥育された本物の牛。
その脂が持つ、脳髄を直撃するような甘みと、独特の乳臭い香り。
大地を踏みしめた筋肉が持つ、野性味のある食感。
それが、この肉にはない。
綺麗すぎるのだ。雑味がなく、均一で、優等生すぎる味。
「肉らしさ」を追求して作られた工業製品の限界か。
本物を知る俺の舌からすれば、少し……いや、かなり物足りない。
「……君の舌は、満足していないようだ」
ふと、教授の声がした。
顔を上げると、彼が探るような目でこちらを見ていた。
「え?」
「周りの反応を見たまえ。このレベルの合成肉をこれほど見事に調理すれば、この宙域の住人なら涙を流して喜ぶレベルだ。だが君は、どこか冷めた顔で咀嚼している」
教授はグラスを揺らし、俺を見据えた。
「まるで、『本物』との差を確かめているような顔だ」
「……考えすぎですよ。味見で食べすぎただけです」
「ほう? だが、君の調理技術、食材への知識、そしてこの味覚の鋭さ。単なる傭兵やコックの域を超えている」
教授はニヤリと笑った。
「こうなると君の食遍歴、いや……その経歴にも興味が出てくるな。君は一体、どこから来たのかね?」
鋭い。
伊達に長年研究者をやっているわけではないらしい。
俺は肩をすくめて、残りの肉を口に放り込んだ。
「さあね。辺境の田舎者ですよ。……それより教授、そろそろデザートの準備をしても?」
「はぐらかすか。まあいい、時間はたっぷりある」
教授は楽しげに笑い、グラスを干した。
「素晴らしい夕食だった。これだけの腕があるなら、道中の退屈はしなさそうだ。」
「さて、腹も満ちたことだし、これからの航行計画を詰めるとしようか。ルシア、ブリッジへ。食休みが終わったらブリーフィングだ」
目指すはガス星雲『ゼノ・ミスト』。
宇宙マグロはどんな味がするんだろうな。
スチームとはいかなくとも、見栄を張って買ったコンベクションオーブンと低温調理器、あれはよいものです。
クリスマスに書いているのでメニューが引っ張られましたね!
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