第62話 未知なる漁場へ
「さて、仕事の話をしようか」
シュタイン教授はナプキンで口を拭うと、満足げに息を吐いた。
空になった皿の横で、助手のエマルガンドがお茶のお代わりを注いで回っている。
フレンチトーストの甘い余韻が残る機関室で、教授は手元の端末を操作し、空中にホログラムの星図を展開した。
「今回のフィールドワークの目的地はここだ。テクネ・プライムから数千光年離れた辺境、ガス星雲『ゼノ・ミスト』宙域」
地図上の赤い点が点滅する。
そこは航路図にも詳しく載っていない、未開の深宇宙だった。
「この宙域は高濃度の電磁ガスと流動的なデブリベルトに阻まれ、通常のセンサーが役に立たない。過去に調査船団が幾度か派遣されたが、成果を上げることなく撤退している。故に、手つかずの生態系が残されている可能性が高い」
教授が地図を拡大する。
「ここのガス雲の中には、特殊な生態系が存在すると言われている。その頂点に立つのが……これだ」
表示されたのは、魚の映像だった。
だが、ただの魚ではない。流線型のボディは金属質の光沢を帯び、推進器のようなヒレを持っている。
「星間回遊魚『スター・ツナ』。宇宙空間を泳ぎ、星間物質やガスを濾過摂食して成長する巨大魚類だ」
「……宇宙を泳ぐ魚、ですか」
「うむ。私の仮説では、彼らは宇宙線の影響を受けにくい特殊な脂肪層を持っており、それが極上のエネルギー源……要するに『美味い脂身』になっている可能性が高い」
教授の目が怪しく光る。
「真空環境で育つため、寄生虫の心配もない。それに、宇宙空間に生息する生物は、特定の惑星環境に依存する生物よりも生存可能な環境の許容性が極めて高いとされる。」
「つまり、もし繁殖にまでこぎ着けることができれば、惑星の環境に左右されず、宇宙空間で安定して供給可能な新たな食糧資源になり得るということだ。今回の目的は、そのサンプルとしての個体の狩猟と、資源としての価値の検証だ」
なるほど。要するに「マグロ漁」か。
スケールはでかいが、やることはわかりやすい。
「加えて、ヴァーナからも件の仕事を預かっている」
教授が別のウィンドウを開く。
表示されたのは、見慣れない形状のドローンの設計図だった。
「彼女が開発した新型の自律観測ユニットだそうだ。『極限環境での耐久テストと、センサーの感度調整を行いたい。どうせ危険な場所に行くなら、実戦データ取ってきなさいよ。それと、ルシアの新型センサーの実証データも忘れずにね』とのことだ」
「……人使いが荒いな」
借金のツケだ。断る権利はない。
「だが、問題は道中だ」
教授の表情が引き締まる。
「ゼノ・ミスト宙域へ至るルートは、治安が決して良くない。正規軍の巡回も及ばない無法地帯を通ることになる。」
「……そこで確認しておきたいのだが、君の戦闘経験はどの程度かね? もし不安があるなら、追加で護衛船団を雇う予算も申請せねばならん。そうでなければ、高価な実験機材を積んだ単艦の輸送船なぞ骨までしゃぶられる羽目になる。」
教授が探るような視線を向けてくる。
コックとしての腕は認めてもらえたが、護衛としての実力は未知数だと思われているようだ。
「一応、シルバーランクですよ。この船の武装もそれなりに強化してます」
「ランクは飾りだろう。私が聞きたいのは実戦の経験だ。特定制限宙域の航行経験はあるかね? 参加した戦闘の最大規模は?」
「制限宙域というか、イグニス方面の紛争地帯を抜けてきました。戦闘規模は……そうですね」
俺は少し考え、正直に答えた。
「半年にも満たない期間ですが……巡洋艦2隻を含む宙賊艦隊を相手に、単騎で立ち回って壊滅させたことならあります」
一瞬、場が静まり返った。
エマルガンドがポットを取り落としそうになり、教授は眼鏡の位置を直した。
教授は俺とルシアを交互に見て、それから深く溜息をついた。
「……半年にも満たない? 巡洋艦2隻を? 単騎で?」
「ええ。まあ、運と地形、あとこいつのサポートがあったおかげですが」
「……どのくらい凄いのかは分からんが、君が常識外れなことだけは理解したよ。……よい、君を信用しよう。護衛船団は足手まといになるだけかもしれん」
どうやら合格したらしい。
教授は気を取り直すように咳払いをした。
「しかし、それなりの期間の依頼となる。往復と滞在を含めれば数週間はかかるだろう。サンプルの『スター・ツナ』を保管するための鮮度維持コンテナはこちらで用意するが、それに私たちの毎日の食事を詰めるわけにもいかん」
教授はキッチンの貧弱な冷蔵庫を指差した。
「今の設備では、長期航行に必要な生鮮食品を維持できないぞ。私の『専属料理人』を名乗るなら、最低限の食糧保管に適した装置は必要不可欠だ」
「……耳が痛いですね」
確かにその通りだ。
今のDIY冷蔵庫は、収穫したモヤシがかろうじて詰まるくらいの容量しかない。
ドライフードや缶詰ばかりの食事になれば、教授の機嫌も損ねるだろう。
最低限、業務用サイズの冷蔵、冷凍庫が必要になるだろう。業務用冷凍庫、すばらしい響きだ。
「どうする? テクネ・プライムの一般市場じゃ、まともな調理家電は手に入らないですよね?」
「そうですね。本コロニーの流通網は高度な研究資材に特化しています。民生用の調理器具、それも旧来の加熱調理を行う機器となると、市場に出回ることはまずありません」
ルシアが補足情報を提示する。
「心配無用だ。冷蔵庫なら、私のラボで使っていた旧式の『サンプル用フリーザー』がある。」
「型落ちでコロニー内での運用が前提のモデルだが、鮮度保持フィールドはクラス3相応だ。品質管理の精度は民生品の比ではない」
「マジですか……でもそれ、相当に高い品なんじゃ?」
「うむ。譲ってやろう。鮮度保持フィールド搭載型は、廃棄処分にかかる手続きや処置が煩雑でね。正直なところ、倉庫を圧迫していて困っていたのだよ」
教授は肩をすくめるが、その顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。建前はどうあれ、またしても助け舟だ。
教授は星図を操作し、経由地を追加した。
「中身は空っぽだ。先ほど見せたような上等な食材は、このコロニーでは手に入らんのでね。それに、君には他にも必要な道具があるのだろう?」
「ええ、まあ。焼く以外の調理法もできるようにならないと、張り合いがありませんからね」
「ならば、少し寄り道をする。ここからハイパードライブで数日の距離に、商業系コロニー『フリーポート・ノヴァ』がある。そこなら『フリーポート』の名が示す通り、あらゆる物資が集まる。調理器具も見つかるだろう。」
「まずはそこへ向かい、食材とキッチン周りの設備を強化したまえ。費用は経費で落とす。護衛の費用も浮いたことだし、監査部に否とは言わせんよ」
「了解です。パトロンが太っ腹で助かりますよ」
俺は湧き上がる笑みを噛み締めた。
なんて素晴らしい出会いだろうか。このパトロンとなら、どこまでだって行けそうだ。
マグロ漁の前に、まずは調理場のグレードアップだ。
高性能な冷蔵庫は手に入った。次は中身と、それを調理するための器具だ。
夢が広がる。
「よし、進路決定! 次は『フリーポート・ノヴァ』だ! 出港!」
俺の号令と共に、マッコウクジラのスラスターが火を噴く。
銀色の都を背に、俺たちは新たな冒険へと舵を切った。
このジジイ、想定外に便利すぎる。
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