第60話 アカデミアの流儀
重厚な隔壁が音を立てて閉ざされ、俺たちはヴァーナの工房――もとい、『機工の魔女』の聖域から締め出された。
「……見せてくれたっていいのに」
ミナが不満げに頬を膨らませ、閉ざされた扉を睨んでいる。
彼女の不機嫌の理由は、乙女の秘密に入れてもらえなかったことよりも、見たこともない改造手術の過程を見学できなかったことにあるのは明白だ。
「諦めたまえ。ヴァーナは仕事に関しては偏執的だ。ノイズが入るのを極端に嫌う」
シュタイン教授が杖をつきながら言った。
「それに、待っている間に片付けねばならん用事があるだろう? 私の研究室へ来たまえ。茶くらいは出してやる」
◇
同じ地下深層区画の一角にあるシュタイン教授の研究室は、ヴァーナの工房とは対照的な空間だった。
無機質で整然としたあの場所とは違い、ここは有機的な混沌に満ちている。
壁一面の棚には、保存液に浸された生物標本や、培養液の中で蠢く謎の植物、積み上げられたデータスレートが所狭しと並べられていた。
「あ、あの……お帰りなさいませ、教授」
雑然としたデスクの奥から、ひょっこりと顔を出したのは、小柄な女性だった。
分厚い眼鏡に白衣姿。抱えたデータパッドで顔を隠すようにしている。
「うむ。エマルガンド、客だ。茶の用意を」
「は、はいっ! ただいま!」
彼女は慌てて立ち上がり、ポットを探して右往左往し始めた。
エマルガンドと呼ばれた助手は、見るからに気弱そうで、この偏屈な教授に振り回されている苦労人という雰囲気が滲み出ている。
出されたティーカップからは、湯気と共に華やかな香りが立ち上っていた。
俺は一口啜り、目を見開いた。
「……ッ!」
素晴らしい。
合成香料で味付けされたフレーバーティーとは次元が違う。
口に含んだ瞬間に広がる、茶葉本来の奥深い渋みと、それを包み込むような柔らかな甘み。そして鼻腔を抜ける、花や果実を思わせる芳醇な香り。
大地の養分を吸い上げ、太陽を浴びて育った葉だけが持つ、生命力に満ちた味わいだ。
久しぶりに喉を通る「本物」の茶に、体の芯が震えるような感動を覚える。
「……美味い。これ、本物の茶葉か? それも相当いいやつだ」
「良い味だろう? それも私の研究成果の一つだよ」
教授が得意げに鼻を鳴らす。どうやら植物バイオ技術の副産物らしい。
こんな極上の茶を日常的に飲めるとは、やはりテクネ・プライムの研究環境は侮れない。
だが、頭の中にあるのは今後の資金繰りのことだ。
5000万クレジット。
命がけで稼いだ虎の子を、一瞬で使い果たしてしまった。しかも、まだ借金が残っている。
ルシアのためとはいえ、我ながら思い切ったことをしたものだ。
「……ヴァーナへの支払いで素寒貧になった財布のことを考えているのだろう?」
教授がカップを置き、ニヤリと笑った。
「図星ですよ。ま、必要な投資でしたがね」
「ふん。潔いのは結構だが、先立つものがなければ研究――もとい、生活もままならん。そこでだ」
教授は指を組み、身を乗り出した。
「あの『バイオ・コア』のことだがね。あれは極めて貴重な資料だ。私としては喉から手が出るほど欲しい。むしろ、個人的に金を払ってでも独占したいぐらいだが……」
そこで言葉を切り、教授は芝居がかった仕草で肩をすくめた。
「テクネ・プライムにも守らねばならん『様式』がある。個人の趣味で高額な取引を行うのは、税務処理やら倫理委員会やらが煩いのだよ」
「はあ……。じゃあ、金は出せないと?」
「逆だ。堂々と金を出すための名目を作る」
教授はデスクの端末を操作し、ホログラムウィンドウを展開した。
そこには『新規フィールドワーク計画書』というタイトルが表示されている。
「丁度、次のフィールドワークの計画を立てていたところでね。危険宙域における未知の生物資源の探査……という名目だ」
「名目?」
「君たちを、このプロジェクトの『外部協力員』として登録する。それなら、研究予算から堂々と報酬が支払える」
なるほど。研究費という名の財布から金を引っ張ってくるわけか。
アカデミックな世界の裏技らしい。
「さらに、だ。君には特別な役職を用意しよう」
教授はキーボードを叩き、項目を追加していく。
「まずは『船団責任者』。君の船を移動拠点としてチャーターするわけだからな、これには特別手当がつく」
「ありがたいですね」
「そして何より……これだ。『専属料理人』」
教授は満足げに頷いた。
「過酷なフィールドワークにおいて、研究員の士気を維持するための『質の高い食事』は必須事項だ。君の腕前なら、最高ランクの技術手当を申請しても文句は出まい」
「……コックの手当までつくんですか」
「当然だ。あのチーズ料理の味、忘れたわけではないぞ。それに、『質の高い食事は私の研究領域だ』と言って予算監査を黙らせてある」
ちらりと視線を向けられたエマルガンドが、びくりと肩を震わせた。
どうやら彼女も、普段の食生活は推して知るべしといったところか、あるいは監査対応で苦労したのか。
「というわけで、私から君たちに提供するものはこれで相殺しようじゃないか。無論、超過分は真っ当な支払いになる。どうだね?」
「乗りました。あんたの舌を満足させる仕事なら、お安い御用だ」
俺は即答した。
借金はこれでチャラ、うまくいけば黒字になるかもしれない。持つべきものは、予算を自在に操るパトロンだな。
「よし、契約成立だ! 善は急げ、早速データの収集と遠征の準備を始めるぞ!」
教授は立ち上がり、エマルガンドに向かって指示を飛ばした。
「エマルガンド、機材をまとめろ! No.4からNo.8までの測定器、それとバイオ・サンプラーを全部だ! それと植物系の培養資材を一通り、培養液は多めに手配しておけ。 このまま船に積み込む!」
「ええっ!? ぜ、全部ですか? そんなに持っていけませんよぅ……」
「何を言っている、彼らが手伝ってくれるさ。さあ、マッコウクジラへ移動だ! あのカボチャがどんな夢を見ているのか、覗くのが楽しみで仕方がない!」
「えっ? あの、教授? そんなすぐ来るんですか?」
唐突な展開に、俺は目を丸くした。
てっきり後日、改めて日程を調整するものだと思っていたのだが。
「当たり前だろう! 鉄は熱いうちに打てと言う。未知の生体が呼んでいるのだ、一秒たりとも無駄にはできん!」
マッドサイエンティストの顔に戻った教授が、白衣を翻して歩き出す。
その後ろで、エマルガンドが涙目で重そうな機材ケースを引きずり出し、呼び出された自走式リフターがそれに追随する。
「て、手伝いますよ」
「あ、ありがとうございますぅ……」
俺とミナも苦笑しながら手を貸す。
どうやら、このラボでの「フィールドワーク」は、かなり体力勝負になりそうだ。
リアクション担当2号、エマルガンド。なにも知らないまま船に乗せられる。
生物系なので自分の身体はあんまり弄らず眼鏡にしているものとします(強気)
誘われる機会があって「No Man’s Sky」を久方ぶりに起動しました。
輸送艦、でかくね?
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