第59話 『機工の魔女』
銀色に輝くテクネ・プライムの表層区画。
だが、シュタイン教授が案内したのは、その煌びやかな摩天楼ではなく、地下へと続く専用の特別エレベーターだった。
「いいかね、これから会うのはこの街の真の主たちの一人だ。くれぐれも失礼のないようにな」
エレベーターが降下するにつれ、空気は張り詰めたような静寂と、微かなオゾンの匂いに満たされていく。
地下深層区画。
そこは表層の喧騒から隔絶された、静謐なる研究施設群が広がる領域。
選ばれた規格外の技術者たちが、誰にも邪魔されることなく独自の理論を追求する聖域でもある、とのことだ。
「ここだ」
教授が足を止めたのは、壁一面が白く輝くシェルターのような工房の前だった。 看板はない。ただ、入り口のホログラムプレートに『立入禁止』と表示されているだけだ。
「おい、いるか!私だ!シュタインだ!」
教授がインターホンを乱暴に連打する。
しばらくして、重厚な隔壁が無音でスライドした。
「……うるさいわね。誰かと思えば、偏屈ジジイじゃない」
現れたのは、息を呑むような美女だった。
透き通るような白い肌、紫色の瞳、そして肩まで届く艶やかな黒髪。
身体のラインを強調する純白のボディスーツの上から、透けるような素材のラボコートを羽織っている。
塵一つない清潔な空間に相応しい、完璧な美貌だ。見た目は20代半ば。ミナよりも少し年上に見える程度だ。
「……え、綺麗な人」
ミナが思わず漏らすと、教授が小声で警告した。
「騙されるな。あれは全身義体だ。中身の年齢は私よりも上だぞ」
「聞こえてるわよ、クソジジイ」
美女――『機工の魔女』と呼ばれるらしい技師は、紫の瞳を鋭く光らせた。 その視線が俺と、後ろに控えるルシアに向けられる。
「ふうん……。なるほどね。あんたたちが、例の『面白い素材』を持ち込んだ運び屋さん?」
「アキトだ。こっちはルシア。あんたが腕利きの技師だと聞いて来た」
「腕利き? フフッ、安っぽい呼び名ね。私はヴァーナ。この領域の管理者よ。義体系のエンジニアを探してるなら、少なくとも帝国支配域では私以上を見つけるのは難しいわね」
ヴァーナは煙管のようなデバイスをくわえ、紫煙を吐き出した。
「ま、いいわ。入りなさい。ジジイの紹介じゃ無碍にもできないしね」
◇
工房の中は、洗練されたラボそのものだった。
壁面には整然と並んだツール群。中央には広大な作業台が鎮座し、製作途中なのか解体途中なのか、内部構造が剥き出しになった機械群が所狭しと並べられている。
高度な環境制御システムが稼働しており、ヴァーナが吐き出す紫煙ですら、漂う間もなく直上の局所排気ダクトへと吸い込まれていく。微細な塵一つ許さない清浄さと、静謐な機械油の匂いが同居する、研ぎ澄まされた職人の空間だ。
だからこそ、ヴァーナが吐き出す紫煙が異質に映る。精密機器の天敵であるはずの煙を、この空間で堂々と燻らせているのだから。
「さて、見せてもらいましょうか」
ヴァーナはルシアを解析テーブルに座らせると、慣れた手つきでうなじ部分の装甲をスライドさせた。
人間で言えば脊髄にあたる位置にある接続ポートが露わになる。
彼女はそこへ、自身の指先から伸ばした極細の光ケーブルを直結させた。
「同期開始……。型番は?」
「Type-L003 Production Model: LUCIAです」
ルシアが答えると、ヴァーナの眉がピクリと跳ねた。
「……Lシリーズ?企業名も何もなし?聞いたことがないわね」
ヴァーナは訝しげに呟く。
「この業界の主要なモデル、それこそブラックマーケットに流れる試作機まで全部頭に入ってるつもりだけど……驕りだったかしら。……いいえ、違うわね」
ヴァーナの瞳に、高速で流れるデータストリームが映り込む。
彼女の表情が、余裕のある笑みから、真剣な技術者のそれへと変わっていく。
「ちょっと、これ……どうなってるの?」
「どうした?」
「構造が異常よ。基本設計は汎用のハイエンドモデルに偽装されているけど、中枢の処理系……深層領域の記述言語が、現行の規格とまるで違う」
ヴァーナはケーブルを抜き、呆れたように息を吐いた。
「知らない形だわ。使われている技術も、今のテクネ・プライムの最先端より数世代は進んでる。いや、あるいは『過去』や『外』の技術か……。正直、私にも解析不能な領域がある」
「……そんなにヤバいのか?」
「ええ。下手にいじれば、防衛プログラムが作動して私の脳が焼き切れるか、彼女の人格データが自己崩壊するわね」
俺は息を呑んだ。
ルシアをどこぞの施設の最深部で手に入れた時のことは、もう遠い昔のことで詳細は忘れてしまったが、ただのアンドロイドではないことはわかっていた。だが、まさか魔女と呼ばれるほどの技師ですら匙を投げるレベルとは。
「じゃあ、味覚をつけるのは無理か?」
「……いいえ、できるわ」
意外な答えに、俺は顔を上げた。
ヴァーナはニヤリと笑い、ラボの奥にあった保冷庫からボトルを取り出した。
琥珀色の液体が入った、年代物のウイスキー――うらやましいことにおそらく『本物』だ。
彼女はそれをビーカーのようなグラスに注ぐと、一気に飲み干した。
「ぷはっ……! やっぱり、仕事の前のこれは最高ね」
「あんた、サイボーグなのに酒を飲むのか?」
「そうよ。だからこそ、彼女の望みを叶えてやれる」
ヴァーナは空になったグラスを指先で弾いた。
「本来、義体に味覚なんて不要よ。エネルギー摂取なら直接充電すればいい。だけどね、市場に出回ってる味覚センサーなんて、どれもこれも味が単調でろくでもないシロモノばかり。私はこの『喉が焼けるような感覚』と『芳醇な香り』を楽しみたかったのよ。だから、満足いくものを自分で作ることにしたの」
「なるほど……。あのジジイと仲がいい理由がわかった気がするよ」
根っこが同じだ。食、あるいは感覚への異常な執着。
「誰があんなジジイなんかと」
そう言いながら彼女は自身の胸元を指差した。
「味覚信号を、脳が『快楽』として処理するアルゴリズム。そして、摂取した物質を体内で分解・エネルギー変換する超小型バイオ炉。それらの設計図は、私の体の中に全部ある」
「つまり……」
「実証実験済みのデータと、必要な機材がここにあるってことよ。中枢の深層領域には触れずに、外部拡張ユニットとして味覚機能を追加するの」
「あんたたち、運がいいわね」
ヴァーナはニヤリと笑った。
「本来なら開発費だけで数億は下らないオーダーメイド品よ。私が趣味で集めた機材とデータがあるからこそ可能な荒業だわ。ざっと見積もって……技術料込みで8000万クレジットってところかしら」
「はあ!? 8000万!?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。
「おいおい、話が違うぞ。ヘパイストスの情報屋じゃ、味覚ユニットの相場は3000万って話だったぞ」
「ヘパイストス? あんな錆びついた低級工業コロニーの情報を真に受けてるの?」
ヴァーナは鼻で笑い飛ばした。
「あそこで出回ってるのは、せいぜい型落ちの産業用センサーよ。私が言ってるのは、最新のハイエンド・バイオセンサーと、それを脳に接続するための特注インターフェースの話。そんな最新情報があの田舎に届くわけないでしょ」
ぐうの音も出ない。
確かに、あそこは「鉄屑」の街だった。最先端の「技術」の街とは相場が違って当然か。
「で、予算は?」
「……今回は情報収集と、あわよくば予約だけのつもりだったんだ。手持ちを全部はたいても5000万が限界だ」
俺は正直に白状した。
足りない。圧倒的に足りない。
出直しか、と覚悟を決めたその時だった。
「ふーん。……ま、いいわ」
ヴァーナはあっさりと手を振った。
「5000万で手を打ちましょう。残りはツケでいいわ」
「いいのか? 俺たちがバックれるかもしれないぞ」
「その時はジジイからふんだくるからいいのよ。それに……」
彼女は意味ありげに俺を見た。
「あんたたちの腕が確かなら、任せたい仕事もあることだしね。借金があるほうが、仕事を受けてもらいやすいでしょ?」
「……なるほど。しっかりしてるな」
どうやら、ただの技術馬鹿ではないらしい。 だが、渡りに船だ。というよりも俺たちが渡る船なのだが。
「よし、商談成立ね。アキト、あんたたちは外で時間を潰してきなさい。できたら連絡をよこすわ」
彼女は顎で扉をしゃくった。
「ここからは『乙女の秘密』の時間よ。無粋な連中は立ち入り禁止」
ヴァーナはシッシッと手を振る。
ミナが何か言いたげに頬を膨らませているが、その視線はルシアの開かれた背面に釘付けだ。どうやら乙女の輪に入れないことよりも、技術者として未知の機構を見学させてもらえないことへの不満が大きいらしい。
「それに、あんたもあのジジイに用があるんでしょ?」
ウィンク一つ。
俺たちはラボから締め出された。
重厚な隔壁が閉ざされる。
その向こうで、ルシアの新たな生が始まろうとしている。
エロい医者みたいなエンジニア。ジジイとバランス取ろうとしたらこうなった……。
ちょっとずつ情報を出してるけどまだあんまり決めてない
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