第58話 脳に直接届くフルコース
長い亜空間航行を終え、マッコウクジラは光のトンネルを抜け出した。
広がる星空は、数千光年彼方の宙域のものだ。
到着したのは『第9ゲートウェイ・アルゴス』。
ここからテクネ・プライムまでは、通常航行で数時間の距離にある。
「ゲートアウト確認。各部システム、正常値です」
「よし。目的地へ進路を取れ」
俺の号令で船が回頭する。
やがて前方の視界に、ひと際強く輝く星が現れた。
いや、星ではない。
惑星全体が金属質の構造物で覆われ、銀色に輝く巨大な人工天体――技術系コロニー『テクネ・プライム』だ。
大気圏すら人工的に制御されたバリアで覆われており、宇宙空間から見ると、まるで精密な銀細工のようにも見える。
「……静かなもんだな」
入港手続きを進めながら、俺はモニターを見つめた。
ドックには多数の船が停泊しているが、人の姿が全くない。
荷下ろしも、給油も、整備も、すべて無機質な自律ドローンが黙々とこなしている。
通信から聞こえてくる管制官の声すら、合成音声特有の抑揚のなさが耳につく。
「入港許可を申請する。識別信号送信……」
ルシアが操作を行うと、即座に警告アラートが鳴った。
『警告。未登録の武装商船と識別。直ちにエンジンを停止し、武装解除に応じられたし。従わない場合は排除行動に移る』
無数の警備ドローンがワラワラと集まってくる。
やはり、閉鎖的な研究都市だけあって警戒は厳重だ。マッコウクジラのような怪しい船は、通常なら問答無用で足止めだろう。
「ふん。相変わらず融通の利かん連中だ」
シュタイン教授が鼻を鳴らし、コンソールに自身のIDカードをかざした。
『アカデミー特級パス』の認証コードが送信される。
『……認証コード確認。シュタイン博士、帰還を確認しました。失礼いたしました、VIPコード・アルファを適用します』
合成音声のトーンが、瞬時に慇懃なものへと切り替わった。
包囲していたドローンが一斉に散開し、代わりに誘導灯を点滅させた先導機が現れる。
『最上級VIP専用ハンガーへ誘導します。入国審査および検疫手続きは全て免除されます。ようこそ、テクネ・プライムへ』
「……すげぇな、あのカード」
「権威というものは、使うためにあるのだよ」
教授は涼しい顔で言った。
俺たちはドローンに先導され、一般船が決して入れない特別区画へと滑り込んだ。
◇
指定されたVIP専用ハンガーに着陸すると、すぐにタラップが接続された。
入館設備も無人だが、設備は豪華で清潔だ。
「さて、まずは約束の報酬だ」
船を降りるなり、教授は端末を取り出して操作した。
俺の端末に通知音が鳴る。
『入金確認:2,000,000 クレジット』
「……200万? 契約時の提示額より多いようですが」
「ゲートウェイの通行料も馬鹿にならんだろう? 必要経費込みだ、取っておきたまえ。君たちの船旅は快適だったし、何よりチーズが美味かった」
教授は気前よく言った。
85万の通行料を引いても100万以上の黒字だ。ありがたい。
「感謝します。おかげで懐が温まりました」
「礼には及ばん。さて、次は私が礼をする番だな。私の行きつけの店に招待しよう」
教授は杖をつき、迷いのない足取りでゲートの奥へと進んでいく。
俺たちは顔を見合わせ、その後を追った。
通りもまた、清潔すぎて落ち着かない。すれ違うのは清掃ロボットばかりで、たまに見かける人間も、端末に目を落としてブツブツ言いながら早足で去っていく。
街全体が巨大な実験室であり、研究者という名の引きこもりの楽園。教授の言葉通りだ。
連れてこられたのは、看板もない銀色のビルの高層階。
内装は真っ白で、まるで手術室かラボのようなレストランだった。
「ようこそ、シュタイン博士。本日はどのような実験……失礼、お食事をご希望で?」
ウェイター――これも人間と見分けがつかないほど精巧なアンドロイドだ――が恭しくメニューを差し出す。
「お任せで頼む。私の連れに、この街の『粋』を見せてやってくれ」
数分後。
テーブルセットが展開され、カトラリーが並べられる。その形状もピンセットやメスを思わせる独特なものだ。
そして、コース料理が始まった。
「一品目、アミューズ・ブーシュ。『無の空間』でございます」
運ばれてきたのは、小さなスプーンに乗った透明なカプセル一つ。
中には何も入っていないように見える。
「……教授、これは?」
「口に入れて噛み砕きたまえ。香りの爆弾だ」
言われるままにカプセルを口に含み、歯を立てる。
プチッ。
瞬間、口の中に強烈な「森の香り」が爆発した。
湿った土、若草、木の実、そして花の香り。味はない。だが、鼻腔を突き抜ける香気だけで、脳が「森林浴」をしていると錯覚する。
「うわっ、すごい! 口の中が森になった!」
「嗅覚受容体を直接刺激する揮発性アロマですね。食欲増進効果が認められます」
続いて二品目。前菜だ。
「『甲殻類の再構築』です」
皿の上に乗っているのは、虹色に輝く泡の塊。
それだけだ。スープ皿に入っているわけでもなく、平皿の上に「泡」が自立している。
「『分子ガストロノミー』の真骨頂だ。食材を分子レベルまで分解・再構築し、味と香りと食感をデザインした、食の工学だよ」
俺はスプーンで虹色の泡をすくった。重さを全く感じない。
口に入れると、シュワッと弾けて消えた。
その刹那、濃厚な海老のビスクの風味が口内を駆け巡る。殻ごと煮込んで味噌まで溶かし込んだような旨味の奔流。
熱くないのに、熱々のスープを飲んだような錯覚。舌には旨味の余韻だけが強く焼き付いている。
「三品目、スープ。『球体コンソメ』」
出てきたのは、ビー玉のような琥珀色の球体。
スプーンですくい、一口で食べる。
薄い膜が破れると、中から温かいコンソメスープが溢れ出した。
液体を固体として閉じ込める技術。飲むのではなく、食べるスープだ。
「四品目、魚料理。『深海の静寂』」
皿には白いパウダーが盛られているだけ。
だが、これを口に含むと、唾液と反応して瞬時に「白身魚のソテー」の食感と味に変化した。
焦がしバターの風味、ふっくらとした身の繊維感までが、粉末から再現されている。
「……脳がバグりそう」
ミナが目を白黒させている。
そしてメインディッシュ、肉料理。
「『牛の概念』です」
皿の中央に鎮座するのは、真っ黒な正立方体。
一見すると、あの忌々しい「テイスティキューブ」にそっくりだ。
またあの粘土を食わされるのか、と俺は一瞬身構えた。
「……安心したまえ。形は似ていても、中身は別次元だ」
教授の言葉を信じ、俺はナイフを入れた。
スッ……。
その感触に、俺は目を見開いた。
キューブ特有の、あの「消しゴムに刃を立てるような鈍い抵抗感」がない。
代わりに手に伝わってきたのは、幾重にも重なった極薄の層を断ち切る、繊細かつ弾力のある手応え。
そう、これは「肉」だ。最高級の肉に刃を入れた時の感触そのものだ。
一切れ口に運ぶ。
「……!!」
噛んだ瞬間、溢れ出したのは「脂」と「肉汁」だった。
テイスティキューブの、均一に練り込まれたのっぺりとした味ではない。
分子レベルで再構築された筋繊維が、咀嚼するたびに解れ、その隙間から熟成された赤身の旨味と、焦がした脂の甘みが爆発的に広がる。
メイラード反応による香ばしさまでもが完璧に計算され、鼻孔をくすぐる。
「……なんだこれ、めちゃくちゃ美味いぞ」
見た目は工業製品のブロックなのに、口の中にあるのはA5ランクのステーキだ。
筋もなければ余分な脂身もない、牛肉の「美味しい部分」だけを抽出して結晶化させたような、純粋な肉の暴力。
テイスティキューブが「肉の味がする粘土」だとするなら、これは「牛肉の魂を形にしたもの」だ。似て非なるものどころか、存在の次元が違う。
「面白いだろう? 残念ながら、このコロニーでは上等な天然食材は手に入らん。流通ルートが細い上に、誰も興味を持たんからな」
教授は試験管に入った真紅の液体――ワインの再構築品――を揺らした。
「だが、技術だけはある。足りない素材を科学で補い、味覚という信号をダイレクトにハックする。これぞテクネ・プライム流の美食だ」
なるほど。
腹にはたまらないが、脳への刺激としては一級品すぎる。
「成分構造解析……。非常に興味深いです」
ルシアが珍しく饒舌に評価している。
「味覚成分の抽出純度が99.9%を超えています。無駄な繊維質や水分を極限まで排除し、味覚受容体への刺激効率を最大化した、美しい構造です」
「気に入ったかね、お嬢さん」
「はい。ですが、私が真に理解したいのは、この完璧な『構造』と、マスターの作る料理の『ゆらぎ』の違いです。センサー実装の暁には、ぜひ比較検証を行いたいと希望します」
コースは進み、口直しの一品が運ばれてきた。
『小麦の記憶』。
皿の上には、切手ほどのサイズの、半透明な琥珀色のフィルムが一枚置かれているだけだ。
「……これを食べるのか?」
「舌に乗せて、上顎に押し付けて溶かすんだ」
言われるがままにフィルムを舌に乗せる。
ペラペラのフィルムが体温と唾液に触れた瞬間、ねっとりと溶け出した。
すると不思議なことに、口の中に「焼き立てのパン」の香ばしさと、小麦の甘みが爆発的に広がる。
噛む必要はないのに、まるでモチモチとしたパンを咀嚼した後のような満足感がある。
さらに、後味には上質な発酵バターの風味までが完璧に再現されていた。
「すげぇ……。パンを食った記憶だけを脳に流し込まれたみたいだ」
「まさに『記憶』だな。質量はないが、味の情報量は本物以上だ」
そして、デザートへ。
「『凍れる煙』です」
液体窒素で瞬間冷凍されたメレンゲのような塊。
口に放り込むと、一瞬で気化し、鼻と口から白い煙がモウモウと噴き出す。
強烈なミントとバニラの香りが、食事の余韻を爽やかに洗い流していく。
「はっはっは! まるでドラゴンのようだ」
教授は上機嫌で笑い、ナプキンで口元を拭った。
「さて、腹ごなし……にはならんかもしれんが、脳への栄養補給は済んだな。本題といこうか」
教授の目が、科学者のそれに変わる。
「君のその『センサー』を取り付けるための、腕利きの技師を紹介してやろう」
俺は姿勢を正した。
いよいよだ。
この技術の都の最深部で、ルシアの願いを叶える時が来た。
以前分子ガストロノミーレベル100とか適当抜かしたことを反省した。
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