第5話 マッコウクジラ、起動
船に戻った俺は、まずシャワーを浴びた。熱い湯が、皮膚にこびりついたドブの臭いと屈辱を洗い流していく。
この船の浄水システムは完璧だ。循環ろ過などというケチな仕様ではなく、俺のサイオニック能力とジャンプドライブやらなんやらの仕組みを応用して科学とサイオニックの複合技術で直接、純粋なH2Oをうんにゃらという設定だったはずだ。
詳しくは知らん、船に戻るとステータスが回復する理由の一つでしかなかったんだ。
「さて、と……」
サッパリしたところで、俺は洗面台に「汚染ネズミの爪」をぶちまけた。第3話の戦利品だ。泥とヘドロにまみれた黒い塊。試しに、蛇口から出る湯でジャブジャブと洗ってみる。洗剤もブラシもない。ただの流水だ。
「掃除用具とかも必要だな……というかメンテナンスドローンもいないのはどういうわけなんだ……?」
するとどうだ。
黒い汚れが瞬く間に剥がれ落ち、下から真珠のような乳白色の輝きが現れた。
「……マジかよ」
売値が上がるパークは交渉術だとばかり思っていたが、こういう理由でもあったのかもしれん。船内で素材をいい感じにできる、みたいな。
俺は再びコロニーへ降り立ち、ガンスに教わった素材買取所兼ジャンク屋の暖簾をくぐった。
店主は、油染みた作業着を着たドワーフ族の男だ。
「いらっしゃい。……なんだ坊主、冷やかしなら帰んな」
「買取を頼みたい」
俺はカウンターに、ピカピカになった爪の袋を置いた。
店主が片眼鏡を嵌め、面倒くさそうに中身を覗き込む。
その目が、カッ、と見開かれた。
「おい……こりゃあドブ・ラットの爪か? だが、信じられん……! 付着していた重金属はおろか、細菌レベルまで完全に洗浄されてやがる!」
店主がカウンターから身を乗り出した。ドワーフの鼻息が荒い。
「薬品洗浄か? いや、薬品特有の残留臭がねぇ。レーザー焼成でもねぇ。何をどうしたらこうなるんだ!?」
「企業秘密だ」
俺は冷静を装って答えた。心臓はバクバク言っているが、ここで舐められたら買い叩かれる。
「……チッ、強欲なガキだ。だがモノはいい。相場の三割増しで買い取ってやる」
いい反応だ。だが、本命はこっちじゃない。
俺はおもむろに、腰のホルダーからボトルを取り出した。
船で汲んできた、600ml入りの携帯用ポリマーボトルだ。
「親父さん。ついでに、この『溶剤』も鑑定してくれ」
「あぁ? ただの水じゃねぇか……む?」
店主がキャップを開け、匂いを嗅ぎ、そして指先に一滴垂らして舐める。
その瞬間、ドワーフの顔色が赤から青、そして白へと変わった。
「……おい。ここを閉めろ」
「は?」
「シャッターを下ろせと言ってるんだ! 他の客に見られたら殺し合いになるぞ!」
店主は慌てて店の入り口をロックし、震える手でボトルを掲げた。
「不純物ゼロ……硬度調整も完璧な超軟水。しかも、微量だが分析不能な謎の力の残滓すら感じる。……どこで手に入れた? 上層区画にある貴族専用のバイオプラントから盗んできたのか?」
「盗品じゃない。正当なルートで仕入れた『商品』だ」
「……このボトル一本、750クレジットで買う」
俺は眉をひそめ、頭の中で計算する。
この街の相場では、謎の肉が入った『ごった煮』や『テイスティキューブ』が5クレジット。
あの時食べた『薬莢缶詰』は、あとで調べたが30クレジット前後だった。
つまり、このボトル一本の水で、あの贅沢な缶詰が25個は買える計算になる。
「750か。悪くない」
「待て! まだ出せる! 800……いや850だ! これならすさまじい酒が……いや、今のは聞かなかったことにしてくれ!」
必死な店主を見て、俺はニヤリと笑った。
商談成立だ。
「わかった、850で手を打とう。……ところで親父さん。これ、もっとデカい単位でも扱えるか?」
「……何?」
「在庫ならあるんだ。タンク一つ分ほどな」
俺が提示したのは、標準規格の2000Lタンク。
単純計算で約280万クレジット相当の取引だ。
店主が椅子から転げ落ちそうになった。
取引は電子送金で行われ、現物の受け渡しは第4ドックで行うことになった。
店主は自律型のリフタードローンを引き連れて現れたが、俺の船――『マッコウクジラ』を見上げた途端、口をあんぐりと開けて固まった。
「お、おい……冗談だろ?」
全長500メートル級。流線型の美しい船体。汎用の大型輸送艦とは全く違う威容の巨大艦船が、薄汚いドックを圧迫している。
「お前、こんな化け物を所有してるのか……? どこの星間国家のボンボンだ?」
「じいちゃんの遺産だよ。古い型さ」
俺は適当な嘘をつき、数あるカーゴハッチの一つを開けた。そこには、ぽつんと一つの液体コンテナが置かれている。船の積載量的には、米粒のようなサイズだ。
「……信じられん。だが、契約は契約だ」
店主は震えながら端末を操作した。
俺の懐端末が震える。
口座残高が、0から一気に7桁の数字へと跳ね上がった。
「毎度あり。……あ、言っとくが俺のことは他言無用で頼むぜ。変な輩が寄ってくると、こいつが火を噴くことになるからな」
コンシールドをスライドさせて露出させた船の対艦パルスレーザー砲塔を撫でながら脅すと、店主は首がちぎれるほど頷いて去っていった。
俺はハンガーの床に座り込み、ホッと息を吐いた。
「……280万クレジット、か」
大金だ。
だが、冷静になって計算してみれば、一生遊んで暮らせる額じゃない。
この『マッコウクジラ』は謎のテクノロジーでほとんど燃料費が掛からないが、その巨体ゆえに停泊料だけで1日5000クレジット取られ続けている。
それに、今は俺一人だが、本来この船を動かすにはクルーが必要だ。まっさらになった人員の募集費、生活物資、輸送用のコンテナや資材の調達……ドデカい初期投資のかかるものばかりだ。
ドックの支払いも数日分溜まっている。実は密かに借金が貯まっていたし、ケツに火はつき続けていたわけである。
俺は高鳴る胸を押さえ、端末のマップアプリを開いた。
目的地はもちろん、上層区画。本物の食材がある約束の地だ。これだけの金があれば、高級レストランだろうがなんだろうが入り放題だろ。
「待ってろよ、カツ丼……!」
だが、俺の指は画面の上で止まった。
エリア情報に表示された、無情な警告ポップアップ。
『上層区画へのゲート通行許可:正規市民ID、または傭兵管理機構シルバーランク以上のIDが必須』
「……は? やっぱり、そうなるかよ」
俺はガシガシと頭を掻いた。
ガンスの言葉が脳裏をよぎる。『シルバーランクになりゃ入れはするぜ』。 あの言葉は比喩でもなんでもなく、システム上の要件だったわけだ。金があろうがなかろうが、社会的な「信用」がなければ門前払い。
わかっていたことだが、目の前に餌があるのに見えないガラスで隔てられている現実に、ため息が出る。
「……上等だ」
俺は端末を操作し、傭兵管理機構のページから『輸送・配送』カテゴリの仕事を探し始めた。
「だったらランクを上げてやるよ。幸い、この船と軍資金はある」
そもそも『マッコウクジラ』は輸送船だ。こいつを遊ばせておく手はない。
チマチマしたドブさらいなんてやってられない。この船の積載能力と、手元の280万を元手に、一番効率のいい大口案件を回してやる。
「最短でシルバーに上がって、その足で上層区画に殴り込んでやるからな」
金はある。船もある。
あとは「信用」を稼ぐだけだ。
密造酒、ダメ、ゼッタイ
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