第4話 薬莢缶詰シチュー
「……だから言っただろうが」
振り返らなくてもわかる。
あの、屋台で会った傭兵のおっさんだ。
俺は膝をついたまま、虚ろな目で彼を見上げた。
全身汚水まみれ。手には毒の塊と化した肉串。
どう見ても、人生の敗北者だ。
「……何しに来たんだよ。笑いに来たのか?」
俺が吐き捨てると、おっさんは呆れたように肩をすくめた。
「まさか。ただ、気になっただけだ。下水処理場に行く奴は、普通もっと死んだ目をしているもんだ。借金まみれの奴隷か、薬でラリったジャンキーと相場が決まってる」
おっさんは足元の汚泥をコンバットブーツで軽く蹴った。
「それなのにお前ときたら、まるで遊園地にでも行くようなキラキラした目をしてやがった。……正直、気味悪かったぞ」
「……悪かったな、童心に帰ってて」
「違いない。で、結局どうだった? 初仕事の成果は」
俺は無言で、手の中の肉串を汚水へ放り投げた。
チャポン、と濁った音がして、毒肉が沈んでいく。
「見ての通りだ。……全部、毒の味がしたよ」
「だろうな。ここの生態系は終わってる。まともなタンパク質なんて、もう天然記念物並みだ」
おっさんは短く鼻を鳴らすと、腰のポーチをごそごそと漁り始めた。
そして、放物線を描いて何かが飛んでくる。
「受け取りな」
慌ててキャッチする。
掌にずしりとした重み。
それは、真鍮色に鈍く光る、円筒形の金属缶だった。
「……缶詰?」
「軍の払い下げ品だ。消費期限はとっくに切れてるが、まぁ缶詰なんてそうそう腐るもんじゃねぇ。……安くはねぇんだぞ」
ぶっきらぼうに言うが、その声には微かな気遣いが滲んでいた。
こいつ、まさか俺が心配でついてきたのか?
口では「弾除けは多いほうがいい」とか何とか言っているが、本心じゃなさそうだ。
それにしても、この缶詰。妙な形をしている。
底面に、撃鉄で叩いたような凹みと、刻印番号がある。
「……これ、もしかして」
「気づいたか。使用済み実体弾の薬莢だ。俺が使うようなライフル弾じゃねぇ、艦砲クラスのな」
おっさんがニヤリと笑う。
「戦場で回収した大口径砲の薬莢を洗浄して、中にレーションを詰めて密封するんだ。資源の有効活用ってやつだな」
「そのまま溶かしてもっかい薬莢にすりゃいいだろ……」
「俺もそう思う。だが、軍上層部の考えることは理解不能だ。弾を作るより、飯を詰める方が『人道的支援』のアピールになるらしい」
くだらない政治の味がしそうだ。
だが、今の俺には、それが宝石箱に見えた。
プルタブなんて親切なものはない。俺はサバイバルナイフの切っ先を押し当て、強引に蓋をこじ開けようとした。
だが、かじかんだ手は思うように動かない。不器用に刃を滑らせ、開いた隙間から茶色い煮汁が垂れて指を濡らす。
プシュッ。
空気が抜ける音と共に、漂ってきたのは――。
「……肉だ」
紛れもない、煮込まれた肉の香り。
中身は茶色いドロドロのシチュー状だが、そこには確かに固形物がゴロゴロと入っている。
スプーンなんてない。俺はナイフの先で肉塊を突き刺し、口へと放り込んだ。
「――――」
しょっぱい。保存料と塩分が過剰に入っていて、舌が痺れるほどしょっぱい。肉っぽいのはおっさんが言うには合成タンパクらしい。市販のサイコロステーキよりさらにわざとらしいもにょもにょの食感で、後味には、微かに火薬と金属の風味が混じっている気さえする。
だが。
「……美味い」
粘土でもない。毒でもない。
胃袋に落ちた瞬間、熱となって広がる感覚。
これが、カロリーだ。これが、食事だ。
「……あぁ、美味い……」
気づけば、俺は缶に口をつけて、汁まで啜っていた。
涙が出そうだった。
3000時間のプレイ時間でも、こんなに美味いアイテムは存在しなかった。
「……いい食いっぷりだ」
おっさんが、少しだけ目尻を下げて笑った気がした。
「名前は?」
「……アキトだ。おっさんは?」
「ガンスだ。……覚えておけ、新入り」
ガンスに空になった缶詰を差し出すが、そのまま突き返される。
「そんなもんでもここじゃ金になるんだ、取っておけ」
「このコロニーの下層で『まともな飯』にありつこうなんて思うな。ここは掃き溜めだ。美味いもんが食いたきゃ、上に行け」
「上?」
「ああ。上層区画。貴族や企業連中の住処だ。そこなら、本物の野菜も、合成じゃない肉もある、らしい。一皿で一番安いコルベットが一隻買える値段がするらしいがな」
上層区画。ゲーム内では、単なるクエストの受注場所でしかなかったエリアだ。だが今の俺にとって、そこは約束の地に等しい。そして、行くことができなくなった場所でもある。
「……なるほどな。金さえあれば、行けるのか?」
「金と、信用と、コネだ。今の『ブロンズ』のお前じゃ、門前払いだろうがな」
ガンスは鼻を鳴らすと、上層区画の方角を見上げた。
「シルバーランクになりゃ入れはするぜ。せいぜいがんばることだな」
ガンスは立ち上がり、懐の端末を操作した。
直後、俺のポケットの端末が短く震える。
「俺のIDだ。気が向いたら連絡しな。弾除けにするにしても、餓死寸前の奴じゃ役に立たねぇからな」
そう言い残して、彼は雑踏へと消えていった。
端末を確認すると、無機質な文字列でIDが送られてきていた。
俺は口の中に残る、鉄と塩の味を反芻する。
不味い。客観的に見れば、最低の食事だ。
だが、この味を俺は一生忘れないだろう。
「……待ってろよ、上層区画」
俺は立ち上がり、服についた汚泥を払う。
ひどい臭いだ。まずは船に戻って、シャワーでこの汚れを落としてから泥のように眠ろう。
インベントリには、まだ毒まみれのネズミの牙や爪が残っている。これも、洗い方次第じゃ素材として売れるかもしれない。
手段は選ばない。
カツ丼への道は、この薬莢の味から始まるのだ。
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