第36話 黒鉄ラーメン
マッコウクジラは工業星系『ヘパイストス』の重力圏に入った。窓の外に広がるのは、煤けた灰色の惑星と、その軌道上を埋め尽くす巨大な工場プラント群だ。
美しいとはお世辞にも言えない。だが、煙突から吐き出される排熱とガス、忙しなく行き交う輸送船の群れは、この星系の力強さを感じさせる。
「環境スキャン完了。大気汚染レベル、警告基準を超過。粉塵濃度、極めて高濃度。居住推奨ランク、Dマイナスと判定」
ルシアが淡々と辛辣な評価を下す。
「……到着っと」
俺はドックへの着陸シーケンスを開始した。トランザクション・ハブの洗練されたエアロックとは違い、ここのドックは壁が煤で黒ずみ、あちこちにオイルの染みがへばりついている。
空気も少し粉っぽい気がするが、嫌いじゃない。鉄と労働の匂いだ。俺の働いていた大衆食堂もやっぱり労働者達の楽園だったからな。
「さて、荷降ろしと商売の時間だが……」
俺はカーゴルームのモニターを覗き込んだ。そこには、回収した三隻の宙賊船と、それに群がる整備ドローン、そしてその中心で指揮を執る小さな姿があった。
「……あの、ミナさん?」
俺は恐る恐るインターホン越しに声をかけた。ミナは端末を高速で操作しながら、血走った目でこちらを振り向いた。
『……なに。今、二番機のジェネレーターのエネルギー配分調整を再計算してる。話しかけないで』
その背後には、鬼気迫るオーラが立ち上っている。いくら天才エンジニアとはいえ、バラバラに近い状態の船を三隻、しかも数時間の航行中に直せるわけがない。本命の仕事じゃないんだし、現地の業者に委託して手数料を払うつもりだったのだが……。
「いや、無理なら手伝いを呼ぼうかと……」
『触るな! この配線はわたしの芸術! 他人が触ったらバランスが崩れる! 半日もあれば飛べるようにできるから、邪魔しないで!』
ガチャン、と通話が切られた。……うん、そっとしておこう。職人の聖域に踏み込むのは命取りだ。売り上げが出たらもっと高度な作業支援ドローンの導入も検討してやろう。
◇
ミナを船に残し、俺とルシアは街へと繰り出した。まずは本命の『精密機器パーツ』を納品し、その足で持ち込んだ『酒・タバコ・娯楽データ』を手売りする。
「おお! これはトランザクション・ハブ限定の銘柄じゃねえか!」
「待ってたぜ! こっちの合成酒は燃料みたいな味しかしねえからな!」
予想通り、労働者たちは歓喜の声で迎えてくれた。特に娯楽データチップは飛ぶように売れた。過酷な肉体労働の彼らにとって、他星系の華やかな映像や音楽は最高の癒やしなのだろう。
ルシアの完璧な市場分析もあり、俺たちは相場の2割増し、物によっては3割増しで売り抜けることに成功した。
輸送依頼の正規報酬と合わせれば、今回の片道だけで400万クレジット近い利益が出た計算になる。イグニスでの600万は事情が特別だったからな、目標があれだから少なく見えるが、大金であることに変わりはない。
「……チョロいもんだな」 「需要と供給の適切なマッチングによる正当な商行為です」
懐にはたっぷりのクレジット。仕事も終わり、心地よい疲労感が肩に乗っている。となれば、次にすることは決まっている。
「よし、飯にするぞ」
俺は港湾区画の路地裏へと足を踏み入れた。目当ての店はすぐに見つかった。赤提灯ならぬ、赤いネオン管がチカチカと点滅する薄汚い店構え。看板には『黒鉄食堂・元祖工業区ブラック』とある。
「……ラーメン……!」
俺は思わず足を止めた。ラーメン。それは、ただスープに麺を入れただけの料理ではない。
出汁の重層的な旨味、タレの切れ味、油脂のコク、麺の加水率と茹で加減、そして具材とのバランス。それらが丼という小宇宙の中で完璧に調和して初めて成立する、実は極めて繊細で複雑な料理なのだ。
こんな、油と煤にまみれた荒っぽい店のオヤジに、そんな繊細な仕事ができるのか?ただ味が濃いだけの泥水が出てくるんじゃないか?外れを引いたラーメンは悲惨だぞ。実に不安だ。
だが……。漂ってくる煮えたぎる脂とニンニク、そして鼻をくすぐる焦げたような醤油の匂いが、俺の理性をねじ伏せた。食べたいだろ! ラーメンは!
俺は勢いよく暖簾をくぐった。店内に入ると、湯気と熱気、そしてさらに濃厚な匂いが鼻孔を直撃した。客は作業着姿の屈強な男たちばかり。全員が無心でどんぶりをかき込んでいる。
「いらっしゃい! 何にする!」
「一番人気のやつをくれ」
頑固そうな親父に注文し、カウンターの隅に陣取る。数分後、ドンッ! と重たい音と共に、目の前にそれが置かれた。
「……おぉ」
思わず声が漏れる。スープは真っ黒だ。廃油と見紛うほどの漆黒。 その上には、山盛りのもやしのような茹で野菜と、分厚いチャーシュー。暴力的なまでの「黒」と「量」の塊だ。
俺はレンゲでスープを掬い、啜った。
「……っくぅ~!」
ガツン、と脳天を殴られるような塩気と、独特の焦げたような醤油の香り。
だが、これは本物の醸造醤油じゃない。大豆や小麦を発酵させて作る本物は、こんな値段で出せるわけがないからな。
かといって、ただの塩水でもない。舌にまとわりつくような、この複雑な旨味と甘みはなんだ?
「親父さん、この黒いスープ、何を使ってるんだ? ただの醤油じゃなさそうだが」
俺はたまらず聞いた。
「おう、気づいたか。そいつはな、植物性タンパクのアミノ酸液に、秘伝の香料をぶち込んだ特製の『醤油風調味液』よ。本物より安くて、味が濃いのが自慢だ」
「本物、か。親父さん、本物の醸造醤油の味を知ってるのか?」
本物の醤油は、一般人が簡単にお目にかかれるような代物じゃない。俺が少し意地悪く聞くと、親父はニヤリと笑って寸胴鍋を叩いた。
「昔、一度だけな。密輸品の樽が割れて、床にこぼれたのを舐めたことがあるのさ。……忘れられねえ香りだったよ」
冗談か本気かわからないが、妙に説得力のある答えだ。知っているのかこの親父。 どこかにあるのなら、手に入るということだ。すばらしい情報だ。
「なるほど、調味液か……」
本来なら安っぽくて飲めたものじゃない代物かもしれない。だが、そこに大量の背脂とニンニク、旨味調味料が加わることで、労働で疲れ切った脳髄を直撃する暴力的なスープへと昇華されている。繊細さなど犬に食わせろと言わんばかりの、力技の旨味だ。
続いてチャーシューだ。分厚く切られたそれは、箸で持つとずっしりと重い。一口齧る。
「……なるほどな」
繊維がほぐれる感覚はある。だが、どこか不自然に均質だ。これは培養肉の積層ブロックだ。筋繊維の方向が揃いすぎているし、脂身の部分も後から注入されたゼラチン質の脂だ。
本物の肉のような複雑な弾力や、脂の甘みはない。しかし、それを補って余りあるほどに、あのどす黒い醤油風ダレで煮込まれている。
噛み締めれば、肉の繊維の隙間から濃縮されたタレと人工脂がジュワリと染み出し、強烈な塩分と旨味が口の中を暴れまわる。これは「肉料理」ではない。「タレを食わせるためのスポンジ」だ。だが、それが最高に麺を進ませる。
いい工夫だ。変に高級ぶって素材のアラを隠そうとするより、こうやってジャンクさを前面に出して美味さに変える潔さ。
ハイテクな惑星の上品な料理より、こういう場所の方が俺の参考になるのかもしれないな。
麺を啜る。スープを吸って茶色く染まった太麺。ボソボソとしていて小麦の香りもしない、ただの炭水化物の塊だが、この濃厚なスープと脂ぎったチャーシューを受け止めるには、このくらい無骨でいい。
肉を食らう。麺を食らう。そして、このシャキシャキとした野菜だ。
「……親父さん、もう一ついいか。この野菜も美味いな。どこで仕入れてるんだ?」
俺は二つ目の質問を投げかけた。見た目はもやしだが、水っぽさがなく、土の匂いがするような力強い味がする。この濃いスープの中で唯一、清涼剤の役割を果たしている。
「ああ、そいつか。工場の排熱パイプの周りで勝手に育つ『耐熱ツタ』の新芽だよ。雑草みてぇなもんだが、茹でると食えるんだ」
「へぇ……」
たくましいな、工業星系の植物事情。だが、この油っこいスープには、この野性味あふれる野菜が最高に合う。なんとか手に入らないか。
いや、できれば育てたいところだが……船内で育てるには土壌やなんやらが必要だろうし、うーん、知識が足りなくて手に負えん。
「ルシア、お前も食うか? ……いや、無理か」
「現状の機体構成では不可能です。ですが、オプションの『味覚センサーユニット』を実装すれば、有機物の摂取および味覚データの解析が可能になります。……あくまで、可能性の話ですが」
ルシアが俺の顔とラーメンを交互に見ながら、どこか意味ありげに言った。 ……なるほど。そういうねだり方もできるのか。
だが、センサーユニットだけじゃ済まないだろう。食べたものを処理する有機変換炉をはじめ、様々な改装が必要になるはずだ。
農業系の生産ユニットにルシアの味覚センサー、値の張る目標が増えたな。
「ふぅ……生きた心地がするぜ」
芸術的に美味いわけじゃない。だが、今の俺の身体には何よりも染みた。
俺は夢中で完食し、最後に冷たい水を一気に飲み干した。驚くほど安い代金を払い、店を出る。
外の空気は相変わらず煤臭いが、今の俺にはそれすらも心地よい。
「さて、ミナの奴にも土産を買って帰るか」
あいつはまだ船で格闘中だろう。甘い合成缶コーヒーをぶら下げて、俺はマッコウクジラへの帰路についた。
ラーメン、要素が多くて長くなっちゃった……。
ブラックラーメン、富山でしたっけ。食べたことないんですよね。こんな感じじゃないことは知っています。
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