第32話 ジャンク・キッチン
コロニーの高級レストランで「綺麗な料理」を堪能した翌日。俺たちはマッコウクジラの船内で、現実的な問題と向き合っていた。
「……ねえ、アキト。ひとつ聞いていい?」
作業着に着替えたミナが、工具片手に首を傾げる。
「アキトって、あんなに「美味しいご飯」にこだわってるのに、どうしてこの船にはまともなキッチンがないの?」
痛いところを突かれた。俺は端末に表示された見積書を睨みながら、深いため息をついた。
「俺だって欲しくなかったわけじゃない。だがな、中途半端にショボい設備を入れても意味がないんだよ。やるなら本格的な、強い火力と完璧な排気システムが必要だ。だが、この船の構造がそれを許さない」
俺は船内図を表示して説明した。
「わかるだろ? この船の区画ブロックの規格は、大型の軍用艦船向けだ。民間用のキッチンモジュールなんてポン付けできない。配管も電圧も、規格が違いすぎるんだよ。空調との兼ね合いもあるし、無理やり導入しようとして業者に見積もりを取ったら……」
俺は端末をミナに向けた。そこに表示された金額は『55,000,000 クレジット』。
「ご、5500万……!?」
「蛇口をひねってお湯が出るようにするだけで精一杯だったんだよ。普通に金もなかったしな。」
業務用キッチンの道は険しいのだ。俺がガックリと項垂れていると、ミナは不思議そうに瞬きをした。
「……自分の船なんでしょ?」
「は?」
「ここ、アキトの持ち物なんでしょ? なんで業者の規格に合わせなきゃいけないの? 規格にこだわらず、適当に弄って小さいキッチンを入れちゃえばよくない?」
ミナがあっさりと言い放った。俺は思わず顔を上げる。
「適当にって……お前、排気ダクトの接続はどうするんだ? 熱源の確保は? 配管工事だってタダじゃないぞ」
「既存の規格品を使うから高いの。ジャンクヤードに行けば、業務用の熱交換器とか、飲食店の廃業で出たコンロくらい落ちてる。それを拾ってきて、この船の動力パイプから直接エネルギーを引けばいい。排気は……サブスラスターの冷却ダクトを逆流させれば吸い出せるかも」
ミナがブツブツと呟きながら、船内の配管を目で追っている。その瞳には、すでに完成図が見えているようだった。
「……ミナ、お前……できるのか?」
「できなくもない。見た目は悪くなるし、保証なんてないけど。……やる?」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。正規の改装をするときにもめるかもしれないが、これは俺の船だ。迷う余地なんてない。
「採用だ。行くぞミナ、ジャンク街へ買い出しだ!」
◇
それからの三日間は、まさに戦争だった。
コロニーの最下層にあるジャンク街で、ミナの目利きが冴え渡る。鉄屑の山から、まだ使えるバーナーユニットや、ボロボロだが機能は生きているシンク、強力な換気ファンを次々と発掘していく。
持ち帰ったガラクタを、マッコウクジラの居住区画に運び込み、切断、溶接、配線。
火花が散り、金属音が響き渡る。
「ちょっとアキト! そこ押さえてて! コンロの水平が出てない!」
「へいへい。……おい、このパイプ、本当に繋いで大丈夫なのか? メイン動力直結だぞ?」
「バルブで絞ってるから平気。火力は保証する」
ルシアも駆り出され、精密な溶接作業を手伝う。
そして三日目の夜。ついに「それ」は完成した。
「……できた」
ミナが煤けた顔を拭いながら、満足げに言った。
目の前にあるのは、フランケンシュタインも裸足で逃げ出しそうな、ツギハギだらけのキッチンだ。
配管は剥き出し、コンロは工業用バーナーの改造品、シンクはどこかの工場の薬品洗浄槽を流用したものだ。
お世辞にも綺麗とは言えない。だが。
カチッ、ボッ!
俺がスイッチをひねると、コンロから青白い炎が勢いよく噴き出した。
凄まじい熱量だ。家庭用のコンロとは次元が違う。
換気ファンを回せば、ゴウゴウと音を立てて空気を吸い込んでいく。これなら煙が出る料理も怖くない。
「……いいな」
俺はコンロの取っ手を撫でた。
武骨で、荒々しくて、俺の船にふさわしいキッチンだ。
「できるとできないには、天と地の差がある。お湯しか出ない状態から比べれば、これは革命だ」
「うん。材料費、全部で2万クレジットくらいで済んだし」
「2万!? お前、天才か?」
5500万の見積もりが、2万と三日間の労働に化けた。
俺はミナの頭を(ネズミ耳を避けて)わしゃわしゃと撫でた。ミナは「やめて」と言いつつも、満更でもなさそうだ。
「ありがとうな、ミナ。これでやっと、まともな飯が作れる」
「……お安い御用。わたしも、美味しいご飯が食べたいから」
俺は新しいキッチンを見渡し、拳を握った。
これでスタートラインには立った。
だが、俺の野望はこんなものでは終わらない。
「だがな、これはあくまで仮設だ。稼いで稼いで、いつかは正規のキッチン区画も絶対に入れるぞ」
「……まだ言うの? これでも十分使えるのに」
「バカ言え。ピカピカのステンレスに囲まれた、機能美あふれる業務用キッチン。あれは全料理人の夢なんだよ。」
俺は遠くを見つめて力説した。
5500万の夢は消えていない。むしろ、このジャンクキッチンを手に入れたことで、より鮮明になったと言える。
さて、記念すべき第一回の料理と行きたいところだが……。
「……しかし、だ」
「どうしたの?」
「食材の入手に問題があるんだよなぁ」
改装に夢中で、冷蔵庫の中身は空っぽだ。
手元にあるのは備蓄のインスタントのみ。
せっかくの高火力コンロも、カップ麺のお湯を沸かすだけじゃ泣くだろう。
「……ま、今日は疲れたし、在庫の消費もしなきゃらなんし。」
「デリバリーは? わたしは話に聞いたことあるだけだけど、食べてみたい」
デリバリー。そういうのもあるのか。
確かに、ここは辺境の戦場じゃない。巨大な商業コロニーだ。
漂白された高級料理や詐欺ホットドッグだけじゃない、路地裏の名店や、まだ見ぬ美味い飯がどこかに隠れているのかもしれない。ここにも探せば、俺を唸らせるような飯はあるのかもしれん。
「いいな、それ採用だ。何があるか片っ端から検索してみようぜ」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
夢のキッチンはひとまず完成した。あとは、中身を充実させるだけだ。
マッコウクジラの食卓が、これから賑やかになる予感がしていた。
料理回を増やすために展開を加速させていく。ジャンク・シンクロンにはお世話になりました。
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