第26話 培養肉のラグーソース風パスタ
イグニス星系を離脱し、マッコウクジラはヘルメス星系の巨大商業コロニー『トランザクション・ハブ』へ向けてハイパードライブに入った。
積荷は空っぽだ。移動するついでに何かしらの荷物を運ぶのは鉄則だが、あんな戦火の星でまともな輸出品などあるはずもないし、あったとしても手続きをしている間にまたトラブルに巻き込まれるのがオチだ。
まずはあんな場所から離れることが最優先だな。
到着までは約二日。
懐には600万クレジット。
今の俺は無敵だ。……と言いたいところだが。
「……不味い」
俺は簡易キッチンのテーブルで、フォークを止めた。
目の前にあるのは、備蓄食料の中から発掘した『即席パスタキット』だ。
パッケージには『炭水化物麺・トマト風味』とだけ印字されている。アルデンテだの本格的な味わいだのといった前向きな触れ込みは一切ない。潔いといえば潔いが、味も推して知るべしだ。
麺はゴムのようにブヨブヨで、付属の粉末ソースは「トマトっぽい色のついた塩水」の味がする。
「栄養価は基準値を満たしています。摂取を推奨します」
「うるさい。俺はただカロリーを摂りたいんじゃない。美味いものを食いたいんだ」
俺は容器を押しやった。 このまま商業コロニーまで我慢するか? いや、俺の胃袋と舌は、もっとマシな……いや、心躍るような刺激を求めている。 そして、今の俺には秘策があるのだ。
「ルシア、冷蔵コンテナのロックを解除しろ」 「おや? 培養肉の在庫ですか? 難民キャンプですべて放出したはずでは」 「へっ、全部タダで配るほど俺はお人好しじゃないんでな。……端っこの方をいくらか、頂戴しておいたのさ。しかも、しっかり焼いてあるやつをな」
俺はニヤリと笑い、コンテナからタッパーのような何かに保管された肉切れを取り出した。 あの「ゴム肉」こと培養筋繊維ブロックを、あの時の鉄板で香ばしく焼き上げたものだ。 今のこの船のキッチン設備はお湯が出る蛇口があるだけだ。生肉から調理するのは骨が折れるが、加熱済みなら話は早い。
1Kアパートのキッチンにも劣る具合だが、軽く煮るくらいのことならできる。
俺は棚から、ジャンクパーツを組み合わせてでっち上げたあの『ケトルもどき』を取り出した。 金属容器の底に、電熱コイルを無理やり取り付けた代物だ。
「マスター、その非認可加熱器具の使用は推奨されません。配線の絶縁処理が不完全であり、漏電および火災のリスクが許容値を明らかに超過しています」 「うるさいな。ちゃんと動くし、俺が使うんだから大丈夫だ」
ルシアのもっともな警告を無視し、俺はナイフを取り出し、冷えて固まった焼肉を細かく刻み始めた。 経験したことのない弾力だが、どうにかミンチに仕立てあげる。 ケトルもどきに少量の油と刻んだ肉を入れ、スイッチを入れる。 ジジジ……という音と共に肉が温まり、閉じ込められていた脂と焦げ目の香ばしい匂いが立ち上ってくる。 そこへ、さっきの「不味いパスタソース」を投入する。
「即席ソースをベースにするのですか?」
「味のベースとしては使える。足りないのはコクと旨味、そして食感だ」
焼いた肉から染み出す脂と旨味が、薄っぺらなソースに溶け込んでいく。
さらに乾燥野菜やスパイスでもあれば最高なんだが、あいにくそんな気の利いたものは持ち合わせていない。あるのは肉とソース、ただそれだけだ。
だが、それでいい。余計な小細工は無しだ。肉の脂と旨味だけで、この貧弱なソースをねじ伏せてやる。
コトコトと煮込むこと10分。
既に火が通っている肉は、ソースを吸って程よく柔らかくなり、逆にソースには肉の力強さが移っていく。
最後に、給湯口から出した熱湯で湯通ししたパスタと絡める。
「完成だ。『培養肉のラグーソース風パスタ』、的な何かだ。」
見た目は……まあ、悪くない。茶色いミートソースだ。所々に焦げ目のついた肉の粒が見え隠れして、食欲をそそる。
俺はフォークで巻き取り、口へと運んだ。
「…………」
ゴムっぽかった弾力は、細かく刻んで煮込んだことで「肉々しい噛みごたえ」に変わっている。パスタの食感はどうしようもないが、濃い味をまとった事でそこそこマシな気がしなくもない。
単純な塩味と肉の脂。繊細さのかけらもないが、噛みしめるたびに、身体の芯がじんわりと熱くなるのを感じる。
「……はぁ。まあ、食えるな」
「評価が控えめですね」
「『美味い!』と叫ぶほどじゃない。だが、この船で食ったものの中じゃ、間違いなく上位に入る」
美味しさは中程度。しかし、お湯しか出ないキッチン、限られた食材。
この逆境の中で、知恵と工夫を絞り出して作り上げた一杯だ。そう考えれば、高級レストランのコース料理よりも価値がある気がしてくる。
少なくとも、ただの栄養補給よりはずっとマシで、人間らしい食事だ。空っぽの胃袋が、熱と脂を歓迎しているのがわかる。
「悪くない。……さて、腹も膨れたことだし、これからの計画を練るとするか」
俺はパスタを咀嚼しながら、端末のカタログを開いた。
船の改装、新しい装備、そしてクルーの雇用。
夢は広がるが、まずはこの「お湯しか出ないキッチン」をどうにかするのが最優先事項かもしれないな。
マッコウクジラは静かに星の海を進む。
次の『トランザクション・ハブ』では、どんな美味いものが待っているのか。
俺は容器に残ったソースを眺めながら、まだ見ぬ美食に思いを馳せるのだった。
ささやかな自炊回。
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