第2話 デス=スペース=煮込み
「着陸許可を願う。識別信号……ええと、民間輸送船『マッコウクジラ』だ」
通信機越しの管制官は、あからさまに不機嫌そうな声で、へクスコロニー第7街の第4ドックを指定してきた。
全長500メートル級の巨体で、狭い民間ドックに無理やり割り込もうとしているのだ。通常、このような巨体の輸送船は主要な交易ルート上のハブ・ステーションしか利用しない。こんな辺境のコロニーに、しかも民間ドックに巨体をねじ込んでくるなんて非常識極まりない、といったところか。
巨大なエアロックを抜け、俺は初めて異世界の地を踏む。いや、厳密には「地」じゃない。回転重力によって擬似的な地面と化した、巨大な金属の円筒内壁だ。
「うわ、臭っ……」
ハッチが開いた瞬間、鼻を殴りつけたのは強烈な生活臭だった。
廃油の焼ける匂い、排泄物と体臭が混ざったような湿った空気。そして、どこからか漂う安っぽい合成香辛料の刺激臭。
無菌室のような『マッコウクジラ』の船内とは雲泥の差だ。
視界に広がるのは、錆びついたパイプが血管のように這い回るスラム街。極彩色のネオン看板がバチバチと明滅し、正体不明の言語で何かを喚き散らしている。
行き交う人々も多様だ。サイボーグ化率の高そうなゴロツキ、皮膚が鱗に覆われた亜人、そして目つきの悪いヒューマン。
「さて、まずは情報収集……の前に、身の振り方か」
俺は路地裏のキオスクの前に立った。公共の市民登録システム。まずはここで自分のステータスを確認しなきゃならない。
ゲーム時代の俺は、『銀河連邦名誉市民』であり、高級リゾート惑星『エデン・プライム』の永住権さえ持っていた。
淡い期待を込めて、生体認証センサーに手をかざす。
『認証完了。……該当データなし。未登録の生体反応です』
「……知ってたよ、畜生」
画面に表示されたのは『未登録』の赤い文字。俺の3000時間の栄光は、この世界じゃデータベースの肥やしにすらなっていないらしい。永住権も、爵位も、全部パーだ。
今ここにいるのは、ただの「住所不定無職の男」だけ。
「はー……。ま、嘆いてても腹は膨れねぇな」
俺はため息と共に画面を切り替え、『傭兵機構管理』のタブを叩いた。身分証なしでも即日登録可能、日払い可、死亡時の補償なし。ブラック企業も裸足で逃げ出す条件だが、背に腹は代えられない。
手際よく「アキト」で登録を済ませる。言い忘れていたが俺は稲森秋俊だ。誰に釈明しているんだ? まぁいい。とりあえずこれで、この宇宙を渡り歩く最低限の権利と、IDタグだけは手に入った。
ポケットを探ると、指先に硬い感触があった。「クレジットチップ」――ゲーム内ではクレジット用のルートコンテナに過ぎなかった――だ。
船のシステム上の口座データは綺麗さっぱり消え失せていたが、俺の装備品と同じで、物理的にポケットに入っていた財布の中身だけは残っていたらしい。
中身はわずかだが、今日の飯代くらいにはなるだろう。
「飯……飯だ」
IDカードを懐にねじ込むと、俺の意識は再び胃袋へと直結した。スラムの喧騒の中、俺の鼻がある一点からの匂いを捉える。
この猥雑な空気の中で、ひときわ異彩を放つ、しかしどこか懐かしい「煮炊き」の香り。
……どうせこれも、あのキューブみたいにケミカルな香料で味付けされただけの代物だろう。頭ではそう分かっている。だが、空腹の限界を迎えた俺の足は、吸い寄せられるように人波をかき分けていた。
その屋台はあった。ドラム缶を改造したようなコンロの上で、巨大な寸胴鍋がグツグツと音を立てている。
「……美味そうじゃねぇか」
だが、近づいて中を覗き込んだ瞬間、俺の表情は引きつった。
中身がかなりグロテスクだったのだ。
紫色の甲殻類の殻、緑っぽい謎の肉。煮え崩れてドロドロになった眼球のような何か。そして鍋の縁には、正体不明の灰汁がこびりついている。
だが、湯気と共に立ち上る匂いだけは本物だ。塩気を感じる湯気と、動物性の脂の香り。あの『虚無キューブ』にはなかった、生命の匂いがする。
見た目は最悪だが、煮込み料理なんてものはこんなもんだろう。そう自分に言い聞かせる。
「親父、これ一杯くれ」
俺は震える手でクレジットチップを差し出した。屋台の店主――四本の腕を持つ昆虫人間――が、ギョロリとした複眼を向ける。
「あいよ。トッピングはどうする? 『酸袋』つけるか?」
「ああ、なんでもいい。とにかく食えるものを……」
店主がオタマですくい上げ、どんぶりに盛り付けようとした、その時だ。
ガシッ。
横合いから伸びてきた無骨な手が、俺の手首を掴んだ。
「は?」
反射的に振り返る。そこにいたのは、使い古されたコンバットスーツを着込んだ、無精髭の中年男だった。死んだ魚のような濁った目をしているが、俺の腕を掴む力は万力のように強い。
「……よせ。死ぬぞ」
「あ?」
男は低い声でボソリと言った。
「その『スワンプ・クローラー』の肉、下処理が甘ぇよ。紫色の筋が見えるだろ? ありゃ神経毒の管だ。食ったら三分で内臓が溶けて、ケツの穴から自分自身を垂れ流して死ぬことになる」
「……」
俺は寸胴鍋の中を見た。確かに、肉塊の断面には、毒々しい紫色の血管のようなものが走っている。
「……マジか」
「この屋台の親父、先週も新入りの傭兵を二人殺ったばかりだ。食える種族にとっちゃ味は悪くねぇらしいがな」
おっさんは俺の手を離すと、懐からスキットルを取り出し、キュッと煽った。強烈なアルコールの匂いが漂う。
「坊主、見たところ新入りだろ。この辺じゃ『美味そうな匂い』ほど信用できねぇもんはねぇんだよ」
俺は呆然と、湯気を立てる猛毒スープを見つめた。胃袋が、キュウと悲鳴を上げた気がした。
「じゃあ……じゃあ俺は、何を食えばいいんだよ!」
「ん? そりゃお前」
おっさんは顎で、別の屋台に積まれた段ボールをしゃくった。
「そこの『汎用合成食品』だろ。安全、安価、栄養満点だ」
そこには、俺が船内で散々味わった、あの忌々しい銀色のパウチが山と積まれていた。
「……ふざけんな」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。どうやらこの銀河は、俺の胃袋に対して徹底的に喧嘩を売るつもりらしい。
屋台の虫さんは自分が食べれるものを売ってるだけだから......
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