第17話 フライ定食とラガー缶
拍子抜けするほど何も起きず、俺とルシアはただただ広い船内で暇を持て余し――気づけば、アステリア星系に到着していた。
「平和すぎて、逆に不安になるな」
アステリア星系。
巨大ガス惑星アステリアを中心に、その衛星軌道上に無数の農業プラントとバイオドームがひしめく、このセクターきっての食料生産地帯だ。
窓の外には、緑色の光を漏らす巨大な温室ブロックと、貯蔵サイロの塊のようなステーションが浮かんでいる。美しさとは無縁の機能美だが、生物的な活気を感じる場所だ。
ドックに『マッコウクジラ』を固定し、ハッチを開ける。
流れ込んできたのは、オイルと排気ガス、そしてどこか青臭い、肥料と植物の匂いが混じった空気だった。
深呼吸をする。
「……臭いな」
「バイオプラント由来の有機肥料臭ですね。フィルター越しの数値ですが、空気中の汚染レベルは基準値内です」
「だが、人の住む場所の匂いだ」
俺たちはタラップを降りた。
依頼されていた荷物の積み下ろしは、船のドローンたちに任せてある。
積荷は肥料なんかに利用するらしい鉱物精製物質だ。
32件分の貨物パレットを人力で降ろすなんて、腰が砕けるどころの騒ぎじゃない。ドローンがいなけりゃ、積み下ろしだけで大変な時間と労力が掛かっていただろう。文明の利器万歳だ。
真っ先に向かったのは、税関でも交易所でもない。ドックの作業員たちがたむろする、薄汚れた港湾区画の一角だ。
そこから漂ってくる匂いに、俺は思わず足を止めた。
肥料の臭いじゃない。
焦げた油。刺激の強い香辛料。そして、何かがジュウジュウと焼ける音。
間違いなく「飯屋」の匂いだ。
作業着の男たちが、腹をさすりながら薄汚れた暖簾をくぐっていく。
その光景を見て、俺は心の底から安堵した。
ここには、ちゃんと「食」を求める人間がいる。
ただ燃料を補給するだけじゃない、味と満足を求める文化が生きているのだ。
「行きましょう、マスター。貴方の足取りが速くなっています」
「わかるか? そりゃあ速くもなるさ」
◇
「へい、定食一丁!」
油でギトギトになったカウンター。
天井のファンが頼りなく回り、喧騒と熱気が渦巻いている。
俺は席につくなり、壁のメニューを指差して注文した。
「定食一つ。それと、その黄色い酒……ラガーもくれ」
「あいよ!」
俺の目の前に、湯気を立てるプレートと、『プハリ・ラガー』と印字された銀色の円筒形容器がドンと置かれた。
表面にはびっしりと水滴がつき、キンキンに冷えていることを主張している。
メインは合成肉のフライ。付け合わせは色の濃い野菜の油炒め。そして、黄色っぽい合成米の山盛り。
これだ。これを求めていた。
「いただきます」
俺はプラスチックの箸を割り、フライに噛み付いた。
ガリッ、とした衣の食感。
その後に来るのは、スポンジとゴムの中間のような、弾力がありすぎる肉の感触だ。
噛み締めると、肉汁の代わりに、濃縮された旨味調味料と油がジュワリと染み出してくる。
正直、肉の味じゃない。
「肉っぽい味のする何か」を、高温の油で無理やりねじ伏せた暴力的な味だ。
たまらず、合成米をかきこむ。
……こっちはハズレだ。
パサパサとしていて、噛んでも噛んでも甘みが出てこない。
古いダンボールを水で戻して固めたような、ただ胃袋を物理的に埋めるためだけの虚無の味がする。
だが、あのスペース・カレーの『炭水化物ゲル』に比べれば、少なくとも「粒」があるだけマシだ。あれは消しゴムだったが、こっちはまだ食べ物としての体を成している。
濃い味のおかずで誤魔化して、喉に押し込む。
「……熱い」
口の中を火傷しそうなほどの熱さ。
それだけで、涙が出そうになるほど美味い。
「兄ちゃん、いい食いっぷりだな」
隣の席で、俺と同じ銀色の缶を煽っていた作業着の男が、プハァと息を吐いてニカッと笑いかけてきた。
「上から降りてきたばっかりか? 船乗りはみんな、ここに来ると獣みたいに食うからな」
「ああ……冷たいレーションと、水で戻しただけの餌に飽き飽きしてたところだ」
「違いねえ。船の中じゃ、火を使った料理なんて贅沢品だからな」
男はフォークで自分の皿の炒め物を突き刺した。
「ここみたいな食料生産コロニーじゃあ、巨大な農業プラントが直結してる。新鮮……とは言わねえが、少なくともキューブになる前の『素材』が手に入る。それをこうやって、強い火力で炒めて食う。こいつは俺たち『下』で働く人間の特権よ」
「特権、か。悪くない響きだ」
俺は炒め物を口に運んだ。
野菜のシャキシャキ感……はない。冷凍解凍を繰り返したような、少しふにゃっとした歯ごたえだ。
味付けも濃すぎて、舌が痺れるような感覚がある。
間違いなく、身体に悪い。ジャンクな味だ。
それでも、俺の身体はこの「毒」を歓喜して受け入れている。
胃袋が熱を持ち、脳が『もっと食わせろ』と指令を出している。
「ルシア、お前も食うか?」
「いえ、私は有機的なエネルギー補給を必要としませんので」
向かいに座るルシアは、俺ががつがつと飯を食う様を、まるで貴重な実験動物を見るような目で見つめていた。
「……瞳孔拡大、体温上昇。マスター、すごく『幸せ』そうな顔をしてますよ」
「データじゃわからん美味さがあるんだよ」
「栄養バランスは推奨値を大きく下回っていますけど」
ルシアは少しだけ目を細めた。
「その満足感については、興味深いですね」
俺は最後の一口を飲み込み、黄色いラガーで流し込んだ。
喉を焼くような炭酸と、安っぽい苦味が、油っこい口の中を洗い流していく。
ゲフ、と行儀の悪い音が漏れる。
半分は「なんだこの不自然な食い物は」という困惑。
だがもう半分は、間違いなく「生きててよかった」という純粋な幸福感だった。
さて。
腹も満ちたことだし、服を見に行くとしようか。
ちゃんとした飯が出せたぞ!......ちゃんとしてるぞ!
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