第14話 インスタント・カレー・ライス
「……お、設置終わってるな」
スーパーからの帰り道、生活用品を扱う区画に寄り道して『汎用加熱プレート』――IHみたいなやつ――をはじめ最低限の器具や食器を購入し、生活を始める様な気分で山盛りのレトルト食品と共に船に戻ると、ブリッジの隅に変化があった。
かつては何もなかった壁際に、真新しいステンレス製のシンクユニットが鎮座していたのだ。
業者は作業完了報告だけ残して撤収したらしい……というか実際に新生活だったな。
「どれ……」
俺は荷物を置いて、シンクのコンソールを操作する。
シンプルなタッチパネルだ。給水、排水、そして温度設定。
温度バーをスライドさせると、数値が上昇していく。40、60、80……そして『100℃』。
「へぇ、蛇口からボコボコに沸いた熱湯が出るのか」
発想はなかったが、こいつはいい。
そういえば前世で、ウォーターサーバーを契約した友人が「ヤカンで沸かさなくていいからカップ麺が秒で作れる」と自慢していたのを思い出した。あるいは祖母の実家にあった給湯器、それの超高性能版といったところか。
試しにコップ一杯分出してみる。
蛇口から勢いよく吐き出された湯は、猛烈な湯気を立てている。
「……文明だ」
俺は感動に打ち震えた。
これでもう、感電のリスクに怯えながら自作ケトルを使う必要はない。
カップ麺のスープを飲み干して塩分過多で死ぬ心配もない。捨てられるからだ。
何より、この館内で、いつでも好きな時に「温かい飯」や「温かい飲み物」にありつける。
今回は探さなかったが、コーヒーや紅茶なんかの嗜好品を買っておくのもアリだな。
「さて、カレーを食ってみるとするか」
俺は買ってきた山のような食品の中から、『オリエンタル・フレーバー社製:スペース・カレー(ライス付き)』を取り出した。
パッケージの裏面を見る。600Wで3分、湯煎で15分と複数の加熱方式がサポートされている。
カレーはパッケージをそのまま加熱するタイプ。うどんとか鍋とかで売ってるのと同じ感じだな。
シンクの熱湯に漬け込むだけでもいけなくはないだろうが、湯温が下がれば温めムラができる。
最高の一皿を食うためには、妥協は許されない。
「……悪いな、シンク」
俺は設置されたばかりのシンクを撫でた。
「せっかくの熱湯機能だが、今回の主役はこっちだ」
俺は買ってきたばかりの『卓上加熱プレート』をコンソールの上にドン、と置いた。
鍋に水を張り、プレートのスイッチを入れる。
「今はカレーが先だ。お湯を使う機会はいくらでもあるから、少し我慢してくれ」
俺はシンクに詫びを入れつつ、鍋の湯が沸くのを待った。
沸騰したところで、レトルトパッケージを沈める。このレトルトパッケージは冷凍のパスタなんかのそれに近い。中身は一切見えず、薄い金属で密閉されている。
「……15分経過。加熱完了です」
ルシアの計時に合わせ、俺はパウチを引き上げた。
アチチ、と言いながら指先でつまむ。
……うん、すこし温かいくらいだ。
普通なら火傷しそうな熱さだが、不思議と指先が少し温かいと感じる程度だ。
うーん、環境ダメージの軽減系でも作用しているのか?
地味だが、自炊には便利な体だ。
「開封」
切り口から封を切る。
その瞬間、ブリッジにスパイシーな香りが広がった。
「……おお」
合格だ。
クミン、コリアンダー、ターメリック……それらを模した化学合成香料と、保存料特有のツンとする刺激臭が混じり合った、ジャンクでケミカルな香り。
だが、あの無機質なスーパーマーケットで買ったとは思えないほど、ちゃんとした「カレー」の匂いがする。
やはりカレーは裏切らない。人類が宇宙に進出しても、この香りだけは継承されたようだ。
そして、レトルトパッケージは3分の2あたりで区切られ、ライスパートがご用意されている。
問題はこいつである。
「…………」
俺は無言でその「白いもの」を見つめた。
四角い。
完全な直方体だ。
パッケージ写真の「のっぺり感」は嘘じゃなかった。
米粒の輪郭がない。一粒たりともない。
白くて、ツヤツヤしていて、プルプルと震える、石鹸のような塊。
「……ルシア。これはなんだ」
「表記通りであれば、ライスです」
「俺の知っている米は、こんな『豆腐』みたいな形はしていない」
嫌な予感が確信に変わる。
だが、匂いはカレーだ。ルーと混ざれば、あるいは化けるかもしれない。
俺はスプーンを握りしめた。
「い、いただきます」
まずはルーだけを舐める。
……美味い。
少し粉っぽいが、紛れもなくカレーだ。辛味もしっかりある。ケミカルな香りもしっかりするのは減点だが、ちゃんと「煮込まれた料理」の味がする。実際煮込まれているかは謎だし、考えないことにするが。
「よし、ルーは悪くない。問題はこいつだ」
俺はスプーンの先を、白い直方体に突き立てた。
ヌッ。
抵抗感。
ご飯をすくう時の「サクッ」という感覚ではない。
固めのプリン、あるいは高野豆腐にスプーンを入れたような、均一な抵抗。
スプーンの上に乗ったそれは、崩れることなく、プルンと揺れた。
覚悟を決めて、たっぷりとルーを絡める。
そして、口へと運ぶ。
「……!」
口に入れた瞬間、カレーの風味が広がる。美味い。
だが、その直後に襲ってきた食感が、脳の処理をバグらせた。
グニッ。
モチッ。
「……なんだこれ」
米じゃない。
餅でもない。
高密度の寒天と、濡れたダンボールを混ぜて圧縮したような、得体の知れない弾力。
噛み切ろうとすると、ムニ、ムニ、と歯から逃げる。
咀嚼しても、米の甘みは出てこない。あるのは、無機質なデンプンの味だけ。
「……メーカー公称の資料によりますと」
ルシアが淡々と読み上げる。
「その白いブロックは、『ライス風炭水化物ゲル』です。消化吸収効率を優先して加工された、デンプンと食物繊維の化合物ですね」
「……ゲル、か」
俺はスプーンを置いた。
口の中に残る、不愉快な弾力。
だが、飲み込むことはできる。なぜなら、カレーが美味いからだ。
この最強のソースが、ゲルの「不味さ」を強引にねじ伏せ、喉の奥へとエスコートしてくれる。
「……すごいな、カレーは」
俺は半ば感動し、半ば絶望しながら呟いた。
「このゴムみたいな塊ですら、『カレー味の何か』として成立させてしまう。カレーの包容力は銀河級だ」
「ポジティブですね、マスター」
「だがな」
俺は白い直方体を睨みつけた。
「これは『カレーライス』じゃねぇ。『カレーが掛かった消しゴム』だ」
俺は残りのゲルを、作業のように胃袋へ流し込んだ。
腹は膨れる。カロリーも取れる。味も(ルーのおかげで)悪くない。
だが、心に空いた穴は埋まらない。
いっそ、このルーだけを取り出し、他の何かにかけて食えば……。
一瞬、そんな考えがよぎった。だが、食い物を意図的に捨てるのは俺の流儀に反する。不味くても、毒でなければ腹には収める。それが俺の矜持だ。
まあ、これを食い物判定するべきかは結構怪しいところだし精神的な限界が来たらなりふりかまっちゃいられないが、まだ大丈夫だ。
それに、あの店には無かったが、どこかには「カレーのルーだけ」のパッケージも売っているかもしれないしな。
俺は残りの商品をコンテナに戻した。
一気に食べて絶望するには、まだ早すぎる。
それに、食の当たり外れを確認するためだけに、食っちゃ寝の生活をするわけにはいかない。
「……仕事だ、ルシア」
俺は立ち上がった。
「ここはあくまで辺境の採掘コロニーだ。文化的な食事が発展していないだけかもしれない」
この広い宇宙だ。星系によってはもっと食のバリエーションがある場所だってあるはずだ。
農業プラントが近い星系や、観光が盛んなリゾート惑星なら、まともな食材や、もっと大衆的で美味い飯屋があるかもしれない。
高級な『調整師』の店じゃなく、油と熱気のある定食屋が。
「次の星では、そういう店を探してみる。そのためには、ここを出て別の星系へ行く必要がある」
「承知いたしました。では、長距離航行を含む依頼を検索しますか?」
「ああ、頼む。……いや、依頼だけじゃなくていい」
マッコウクジラは輸送艦だ。積載量は腐るほどあるし、今の俺には種銭もある。
依頼を待つだけじゃなく、自分で美味そうなもんや売れそうなもんを仕入れて、よそで売ったっていいんだ。
いわゆる交易プレイだな。
元手がない時はリスクが高すぎて手が出せなかったが、今の懐事情なら多少の赤字は許容できる。
美味いものを求めて星を渡り歩き、ついでに商売で小銭を稼ぐ。
悪くないプランだ。
「交易コンピュータを起動してくれ。近隣星系の相場情報や要求物資のリストも洗うぞ。……行くぞ、ルシア」
「はい、マスター。私の『交易相場補正』の見せ所ですね。ゲーム時代とやらでは僅かだったようですが、市場予測はお任せください」
俺たちは新たな航路へと思いを馳せた。
いろいろ書いてると色々食べたくなって困る
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