第13話 プリンターコーナー
「……なんだここは。倉庫か?」
コロニーの一般居住区画にある『市民スーパーマーケット』に入った瞬間、俺は思わず呟いた。
俺の知っているスーパーとは、何もかもが違っていた。
入り口を入ってすぐにあるはずの、色とりどりの野菜や果物が並ぶ『青果コーナー』がない。
氷の上に新鮮な魚が並ぶ『鮮魚コーナー』もない。
赤い照明に照らされた『精肉コーナー』もない。
あるのは、無機質な灰色のスチール棚と、そこに行儀よく整列した箱、箱、箱。
漂ってくるのは、食品の匂いではなく、梱包材と消毒液の微かな匂いだけだ。
「合理的ですね」
ルシアが感心したように言う。
「温度管理、湿度管理、そして何より『積載効率』。全てが星間輸送と長期保存のために最適化されています。丸い果物や不揃いな野菜など、コンテナに隙間を生むだけの非効率な形状ですから」
「……夢がねぇな」
俺はため息をつきながら、カートを押して歩き出した。
棚に並んでいるのは、大小様々な四角いケースに入った乾燥食品だ。
『タウ・セチ星系産・乾燥ビーンズブロック』に、『第6農業プラント産・圧縮ドライベジタブル(混合)』。
どれもこれも、建材の見本市のように四角く圧縮され、真空パックでガチガチに固められている。
『プロキシマ・ケンタウリ産・還元用ドライマッシュルーム』なんて、もはやコルクボードの欠片にしか見えない。
「……ん? これは菓子か?」
俺の目が、少しだけパッケージの彩度が高いエリアに止まった。
『小惑星帯水耕栽培・高糖度ドライフルーツ(キューブ)』。
フルーツまで四角いのかよ、と呆れつつも、甘いものには惹かれる。
その横には『アウター・リム産・ルートチップス(塩味)』なんてのもある。これは酒のつまみに良さそうだ。
「一応、菓子はあるんだな」
俺は興味深そうにそれらを眺め、いくつかカートに放り込んだ。
カチコチの『深宇宙海藻プレート』や、穀物をレンガ状に固めた『合成キヌア・ブリック』よりは、精神衛生に良さそうだ。
そして、このスーパーの売り場面積の過半数を占めているのが――。
「……これ、全部フードプリンターのカートリッジかよ」
俺は呆れて声を上げた。
棚一面にズラリと並んだ、金属製の円筒形キャニスター。
パッケージには大きくアルファベットと、それが担当する栄養素が書かれている。
一番巨大な缶には『Type-A(炭水化物ベース)』。これが主食の素か。
その隣には『Type-B(タンパク質ベース)』。『Type-C(脂質ベース)』や、『Type-F(食物繊維フィラー)』なんてのもある。
「見てみろルシア。この積み方」
俺は『Type-A』の山を指差した。
「Aだけ他の倍の高さまで積まれてやがる。……『黒インク』だな、こりゃ」
「黒インク? ……マスターの仰っている意味は分かりかねますが、炭水化物は生命維持に最も必要なカロリー源ですから、消費量が突出するのは当然の帰結です」
隣には、正規メーカー品よりも3割ほど安い『互換カートリッジ』も売られていた。
「※純正品以外を使用した場合、プリンターの故障は保証対象外となります」というお決まりの注意書きまである。
食い物で「互換インク」を使うリスクなんて考えたくもないが、背に腹は変えられない家庭も多いのだろう。
「……ここには俺の求める夢はないな」
俺はインク売り場(食品売り場)を通り過ぎ、奥の『即席食品コーナー』へと向かった。
ここが本命だ。
プリンターを持っていない貧乏人や、手軽に済ませたい独身者のため、あるいは嗜好品のエリアだ。
ここもやはり、乾燥食品やレトルトパウチが整然と並んでいる。
お湯を注ぐか、レンジのような加熱器で温めるか、あるいは袋を開けてそのまま食うか。
徹底的に手間を省いたラインナップだ。
「……ほう」
俺は棚を眺めて、少しだけ安堵した。
ここに来るまでは、あのスラム街の毒々しい煮込みや、味気ない粘土キューブしかないのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
ちゃんとしたところには、一応「飯」と呼べるものはあるのだ。最初に見たものの印象が悪すぎただけか。
俺は棚の端から順に見ていく。
まずはパスタ類か。『モグモグ・フーズ製:銀河パスタ(ナポリタン風)』。
ネーミングセンスはともかく、パウチの中で既に茹でられた麺が、トマト色のペーストに溺れているのが見える。アルデンテとは無縁だろうな。
その隣は『マンプク・コーポレーション製:即席リゾット・キューブ』。 説明書きには「お湯をかけると10倍に膨らみます」とある。
物理法則を疑うレベルの膨張率だ。『満腹』って、胃袋の中で膨れ上がって物理的に満腹にさせる気か? だとしたら悪質すぎるだろ。
肉料理もあるにはある。『ガッツリ・ダイナミクス製:真空パック・ハンバーグ』。
厚さ5ミリの円盤状。どう見てもフリスビーかコースターにしか見えないが、彼らにとってはこれがハンバーグなのだろう。
「うわ、なんだこれ。『ボーノ・システムズ製:チューブ入りピザ』……吸うピザだと? イタリア人が見たら卒倒して戦争が起きるぞ」
他にも、鈍器になりそうなほど硬い『カチコチ・ベーカリー製:高圧縮パン(ブロックタイプ)』や、肉が入っていないのに肉汁の味だけを再現した『アジヅクリ・ラボ製:粉末ステーキソース味スープ』など、狂気じみた商品が並ぶ。
原材料に甲殻類が一切含まれていない『プリプリ・ケミカル製:乾燥合成エビ』や、ラベルに「肉類を含む」としか書かれていない『ヤミナベ・インダストリー製:煮込み缶詰』に至っては、もはやホラーだ。
一つ一つのパッケージが無機質で、シズル感のかけらもない。
写真は小さく、栄養成分表示だけがやたらとデカい。
だが、これらの中に「当たり」があるかもしれない。
「よし。……ここからここまで、全部一つずつだ」
俺は棚の端から端まで、商品を次々とカートに放り込んだ。
中身が何なのかよくわからないものもあるが、構わない。
「マスター、また無駄遣いを……。その『ボーノ・システムズ製:チューブ入りピザ』のナトリウム含有量は摂取基準量を遙かに超えていますよ」
「投資だ。この中から『マシなやつ』を見つけるんだよ。見つかったら、次はそれを箱買いする」
300万弱のクレジットを持つ男の、ささやかな成金プレイだ。
カートが山盛りになったところで、俺の手が止まった。
棚の最下段。
少し埃をかぶったそのパッケージに、俺の目が釘付けになった。
『オリエンタル・フレーバー社製:スペース・カレー(ライス付き)』
「……カレー」
その響きに、唾液が分泌される。
カレー。それは人類が生み出した奇跡のスパイス料理。
かつて偉大な先生も言っていた。「カレーはどう食べてもうまいのだ」と。
どんなに環境が変わろうとも、カレーという概念が存在する限り、そこには希望がある。
「……だが」
俺はパッケージを手に取り、眉をひそめた。
写真は、とろりとした茶色いルーと、その横に添えられた白いライス。
一見すると普通のカレーライスだ。
だが、ライスの部分のテクスチャが、妙にのっぺりしている。
米粒の輪郭がなく、まるで白い豆腐か、消しゴムの塊のように見える。
そして「ごはん」ではなく「ライス付き」という表記。
レトルトのご飯パックなのか、それとも乾燥米なのか、あるいは……。
「……嫌な予感はする。だが、カレーはカレーだ。ルーさえまともなら、なんとかなるはずだ」
俺は祈るような気持ちで、その『スペース・カレー』をカゴに入れた。
この大量の「未来の宇宙食」たちの中に、一つくらいは俺の舌を慰めてくれるものがあると信じて。
「帰るぞルシア。……そろそろシンクの工事も終わってる頃だ」
「はい、マスター。……荷物はドローンに運ばせましょう」
俺たちは山盛りのカートを押し、出口にある自動精算ゲートへと向かった。
通過するだけでIDから即座に引き落としが完了する、味気なくも便利なゲートだ。
積み上げた山は、希望の山か、それとも絶望の在庫処分か。
答えは、船に戻って熱湯を注げばわかるだろう。
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