第12話 3000クレジットの革命
ドックに停泊中の『マッコウクジラ』に戻った俺は、端末で口座残高を確認した。
懐には、商人が振り込んでくれた報酬が入っている。
危険手当と色付きのおまけを含めて、約3万クレジット。
純水販売で得た280万クレジットの残金と合わせれば、当面の活動資金は潤沢……に見える。
だが、俺は眉をひそめた。
「3万、か……」
駆け出しの傭兵が得る報酬としては破格だ。普通の相場なら数千クレジットがいいところだろう。
だが、あの『水』を売った時の280万という数字を知ってしまった今となっては、どうしても少なく感じてしまう。
「……また水を売ればいいのでは?」
俺の心を見透かしたように、ルシアが問いかける。
俺は首を横に振った。
「いや、あれは劇薬だ。一度や二度なら『偶然の遺産』で誤魔化せるが、継続的に市場に流せば、間違いなく出所を洗われる」
「……確かに。成分分析されれば、この船の浄水システムの異常性が露見しますね」
「ああ。それに、裏社会の連中や企業の私兵に目を付けられたら、平穏な飯なんて食ってられなくなる」
『水商売』は、何度も使える手じゃない。
表の仕事で稼ぐのが筋だが、今回の3万クレジットでは、船の維持費やランニングコストを払えばすぐに消える。
単発の依頼をこなしているだけじゃ、ジリ貧だ。もっと効率的で、かつ安全なシノギを見つける必要がある。
「ま、それは後で考えよう。まずは生活環境の改善だ」
俺は思考を切り替え、本来の目的に戻った。
食環境を改善する投資だ。
「ルシア、市場データを検索してくれ。カテゴリは食品。あのカップ麺みたいに、湯を注ぐだけで食えるやつが他にも流通してるか調べてくれ」
「承知いたしました」
ルシアがコンソールを操作する。
数秒で結果が表示された。
「……ヒットしました。多数あります」
ホログラムウィンドウに、様々なパッケージが表示される。
『モグモグ・フーズ製・即席パスタ』
『マンプク・コーポレーション製・銀河リゾット』
『オカワリ・インダストリー製・乾燥野菜スープ』
『ホクホク・サイエンス製・インスタント・マッシュポテト』
「あるじゃないか……!」
俺は拳を握りしめた。
やはり俺の目が節穴だっただけだ。テイスティキューブという「完全食」が幅を利かせているだけで、嗜好品としてのインスタント食品は確かに存在する。
「ですがマスター、問題があります」
ルシアが冷水を浴びせる。
「それらの食品の調理には、全て『安全な熱湯』が必要です。現在の当艦には、貴方様が廃材で違法に作成した『電気ケトル(仮)』しか熱源がありません。あれは絶縁処理が甘く、いつ発火してもおかしくありません」
「……だよな」
あのDIYケトルはあくまで緊急用だ。常用するには危なっかしい。
まともな食生活を送るには、まともな設備が必要だ。
「設備投資だ、ルシア。文明の利器を導入する」
「検索条件は?」
「まずは『フードプリンター』だ。あのレストランにあったやつと同等のモデル。あれがあれば、熱湯どころか料理そのものが出てくる」
「検索中……ヒットしました。業務用ハイエンドモデル『ガストロノミア・マークV』および同等品」
空中にホログラムウィンドウが展開される。
洗練されたフォルムの白い筐体。
そして、その下に表示された価格。
『本体価格:150万クレジット』
「150万……か」
俺は腕を組んだ。
今の所持金なら、買えない額じゃない。資産の半分以上が吹っ飛ぶが、食への投資と考えれば……。
「……いや、ナシだ」
俺は首を振った。
「あの『完璧すぎるハンバーグ』を毎日食うのは御免だ。それに、こういうのは本体だけじゃ済まないんだろ?」
「ご明察です、マスター。この価格はハードウェアのみ。実際に料理を出力するには、専用の『食材カートリッジ』と、料理ごとの『レシピデータ』の購入が必要です。ちなみに『ハンバーグ・セット』のレシピライセンスは単体で5万クレジットです」
「バカ高いな! DLC商法かよ!」
本体で金を毟り取り、消耗品とデータでさらに毟り取る。
しかも出てくるのは、あの味気ないポリゴンフードだ。
金をドブに捨てるようなもんだ。却下。
「……わかった。プリンターは諦める。次は改装だ」
俺は気を取り直した。
機械に頼るのがダメなら、場所を作ればいい。
ゲーム内では、『ハウジング・モジュール』を購入すれば、空き部屋が一瞬で豪華なキッチンやバーに早変わりした。
「船内空き区画への『調理室モジュール』の増設。これを見積もってくれ」
「検索中……。当艦『マッコウクジラ』の船体規格に適合する内装ユニットを検索」
数秒の沈黙の後、ルシアが結果を表示した。
『艦船用居住区画拡張ユニット(厨房設備付き)』
『見積もり価格:5,500万クレジット~』
「…………」
俺は言葉を失った。
桁が、二つ違う。
「ご、ごせんごひゃく……? なんでだ! ゲームじゃ5000クレジットだったぞ!?」
「ゲーム内経済と現実を混同しないでください」
ルシアが冷たく言い放つ。
「当艦は軍用規格の装甲と気密構造を持っています。その隔壁をぶち抜いて、排気ダクトや配管を新設し、火災制御システム等を統合するのです。大掛かりな改修工事になります。むしろ5000万で済むなら安い方かと」
「くっ……!」
正論だ。ぐうの音も出ないほど正論だ。
ゲームではワンクリックで済んだ「設置」が、現実では「大型船の構造変更」という大工事になる。
当たり前だ。潜水艦の中にシステムキッチンを入れるようなものだ。金も時間もかかるに決まっている。
金はあるのに。
一般市民からすれば羨まれるような額を持っているのに。
それでも俺は、カップラーメン一つまともに作る場所すら手に入れられないのか。
「……はぁ」
ため息をつき、視線を落とす。
足元には、あのDIY電気ケトルが転がっている。
俺は冷静になって考えた。
俺は今、本当に5000万クレジットのシステムキッチンが欲しいのか?
いや、違う。
俺が今すぐやりたいのは、「安全にお湯を沸かしてカップ麺を食う」ことだ。
そして食った後、残ったスープを捨てたり、容器を洗ったりする場所が欲しいだけだ。
「なぁ、ルシア。フルリフォームじゃなくていいんだ」
俺は顔を上げた。
「ただ『お湯が出て』『排水ができる』だけの設備。……例えば、給湯機能付きのシンクユニットを置くだけなら、いくらだ?」
「……検索中」
ルシアの目が青く点滅する。
今度は数秒とかからなかった。
「ヒットしました。『後付け型多目的シンクユニット(給湯・浄水機能付き)』。既存の配管に接続するだけの簡易タイプです。価格は工事費込みで、約3000クレジット」
「……それだ」
俺は指を鳴らした。
3000。今回の報酬の十分の一だ。
それなら痛くも痒くもない。
「壁をぶち抜く必要はありませんし、火気も使いません。工期も半日程度で済みます。……マスター、これなら現実的です」
「よし、即決だ。一番いいやつを注文してくれ」
俺はニヤリと笑った。
豪華な厨房は夢のまた夢だが、これで「給湯室」は手に入る。
カップ麺ライフの質が劇的に向上することは間違いない。
「承知いたしました。……ですがマスター、一つよろしいですか?」
「なんだ?」
「シンクだけ設置しても、肝心の『即席食品』の在庫がありません。先ほど検索した商品は、あくまで流通データ上のものです。実際に購入するには、取り扱い店舗を探す必要があります」
「あ」
そうだった。
俺の手元にあるのは、戦利品のカップ麺(残り2個)だけだ。
ちなみに、この『即席麺』について少し調べてみたが、近隣の自動販売機や一般向けのショップには全く置いていなかった。
どうやら相当な高級品か、あるいは遠く離れた星系から直輸入している専門店でしか扱っていないレア物らしい。宙賊の船長があれだけ厳重に保管していたのも納得だ。味も別格だったしな。
環境を整えても、肝心の食品がなければ意味がない。
「……買い物だ、ルシア」
俺は立ち上がった。
「シンクの設置工事を待つ間に、このコロニーでちゃんと食えるものを買い漁るぞ。金ならあるんだ、片っ端から試してやる」
こうして俺の、ささやかだが偉大な「第一回食糧買い出しツアー」が決定した。
目指すはジャンク屋でも高級店でもない。
一般市民が利用する、スーパーマーケットだ。
カップ麺の残り汁問題は意外と深刻。特にホテルとか
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