第111話 物流の壁に歴史あり
俺の問いかけに対し、コーディネーターの男は、それまでの満足げな表情から一変して、鋭い「商売人」の目に切り替わった。
「……輸送船乗りならわかるだろうが、生きた食材ってのは難しい。単に冷やしゃいいってもんじゃない。宇宙の無重力や加速によるGは細胞膜を容易に破壊するし、そうなれば旨味はドリップと共に全部逃げちまう。専用の設備が必要だぜ」
男はタオルを肩にかけ、調理台に腰掛けた。
「……確かに。一応、クラス3の鮮度維持フィールドが付いたフリーザーはあるが、容量は大きくない。だから買うものは厳選したいところだ」
俺が苦々しげに頷くと、男は不敵に笑い、端末から一つのカタログを空中に投影した。
「星間輸送船対応の冷凍庫コンテナがある。融通できるのは二つってところか。……冷凍にはなるが、これなら鮮度維持フィールドほどじゃないが、保存は利くし量も積める。価格はコンテナ代と設置費用込みで、一つ頭200万クレジットってとこか」
「二つで400万か」
横でミナが「えっ、400万!? 通行料よりも高いよ……」と声を漏らす。
だが、俺の決断は早かった。
「……いいだろう、二つとも頼む。ただし、400万払うんだ。そのコンテナの中身、最初は少しばかり融通してくれよ。空のコンテナを運んでも意味がないからな」
男は一瞬、呆気に取られたように目を見開いたが、すぐに膝を叩いて豪快に笑った。
「ハッ、気前がいい客は大好きだぜ! 良いだろう、最上品を詰め込んでやる。……だが、アキト。まだ問題があるぜ。甘味料の方は化学合成に近いから手続きは簡単だ。……問題は、その醤油だ」
男は、俺が先程まで涙した『海草醤油』の小瓶を指差した。
「そいつは微生物を使った発酵製品だ。製品自体にリスクは無いが、規則は規則だ。大量に持ち運ぶには『バイオハザード対応』の規制がかかる。個人で使う数本ならお咎めは無いが、タンクみたいな量になれば話が違う。クラス5の管理資格が必要だ。……最低限の簡単な講習にペーパーだが、ここじゃその試験は受けられねぇ。この醤油が外に流通しねぇ理由の一つだわな」
「資格、か……」
発酵食品に規制がかかるとは予想外だった。たとえ製品として安定していようとも、微生物の活動によって変質した産物という事実は、潜在的なリスクと見なされる理由には十分なのだろう。
「……補足します。帝国暦において、辺境惑星で起きた『微生物の異常変異による生態系汚染事件』が記録されています」
俺が納得しかけたところへ、ルシアが静かに、しかし重い事実を付け加えた。
「入植先の未踏環境下において、持ち込まれた発酵食品に含まれる因子が未知の反応を起こし、壊滅的な増殖を引き起こした事例です。その星の固有植生は、ある種の発酵菌によってわずか数年で上書きされました。それ以来、帝国政府は『発酵産物全般』に対し、軍事レベルに匹敵するバイオ・セキュリティ・プロトコルを適用しています。未資格者による大量輸送が禁じられているのは、その歴史的教訓に基づくものです」
ルシアの解説を聞いて、俺の背筋に冷たいものが走った。
沈黙が流れたその時、満足げに伸びていたエマルガンドが静かに手を挙げた。
「……あのぉ。話は聞こえていましたけど、それなら問題ありませんよぅ」
「エマ?」
エマルガンドは、ジャケットの内ポケットから、ホログラムが浮かび上がる重厚な身分証を取り出した。
「自分は『特等生体調査員』ですから。帝国の衛生管理規定によれば、自分のような認定研究員が同乗している場合、その監督下においてクラス4までのバイオハザードリスクは自動的に許容されるんです。醤油の微生物程度なら、特例措置の範囲内ですよぅ」
エマルガンドは、いつもの気の抜けた笑みを浮かべたまま、さらりととんでもないことを言ってのけた。コーディネーターの男が、その身分証を凝視して絶句している。
男はしばらくの間、エマルガンドと俺の顔を交互に見比べ、やがて降参したように両手を上げた。
「……なんてこった。ただの金持ちの道楽だと思ってたが、帝都の特等調査員を専属で抱えてるのかよ。……わかった、文句なしだ。法的な問題も無いってわけだ。最高級の『海草醤油』を、タンクにたっぷり積み込んでやるよ」
「助かった、エマ。……それから、交渉成立だな」
俺が右手を差し出すと、潮風の匂いがする男の掌が、それを力強く握り返した。
400万クレジットという巨額の取引。だが、男は握った手を離さず、不敵に笑った。
「積み込むモノの検分が必要だろ。あんたらみたいな上客には、一番いいところを持っていってもらわねぇとな。……これからの航海を支える『中身』、市場に案内するよ。自分の目で確かめな」
男はタオルを首に巻き直し、出口へと歩き出した。
納豆は多分クラス3とか2とか。
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