第11話 完璧なハンバーグ定食
「……え、ぜ、全滅、ですか?」
第3採掘コロニーの商会オフィス。 受け取り主であるトカゲ顔の商人は、俺が渡した戦闘ログを見て、瞬膜をパチパチと瞬かせていた。
「はい。航路上の障害は排除しました。ログの通り、中型艦を含む全戦力を無力化、その後、サルベージを行いました」
俺は淡々と報告した。
隣に控えるルシアが、すかさず補足する。
「当艦の『自衛戦闘』による正当防衛です。なお、回収した資源の一部は、本コロニーのジャンク市場にて適正価格で売却済みです」
商人は震える手でタブレットを机に置いた。
単独の輸送船が、艦隊を相手に無双した。しかも、船体には擦り傷ひとつない。
彼の目には、俺が「凄腕の傭兵」に見えていることだろう。
「……素晴らしい。いや、恐ろしいほどの腕前だ」
商人は深々と頭を下げた。
「報酬は、貨物損害無しの危険手当を含めて3割増し……いや、今後の友好関係への投資として、6割増しを振り込ませていただきます!」
端末が震える。 表示された額は駆け出し傭兵の輸送依頼としては十分すぎる額だった。
「ありがたい。……で、相談なんだが」
俺は身を乗り出した。
「このコロニーで、一番『美味い店』を知らないか?」
「お安い御用です!」
商人は我が意を得たりとばかりに頷いた。
「貴方様のような舌の肥えた方にお勧めしたい、とっておきの店があるんです。この辺りではかなり腕のいい『料理人』がいる店でしてね」
「調整師……?」
俺はその響きに、期待よりも一抹の不安を覚えた。
「料理人」ではなく「調整師」。
それはつまり、食材を調理するのではなく、何か工業的なパラメータをいじるエンジニアということではないのか?
俺の脳裏に、白衣を着た技術者がスポイトで謎の液体を調合している光景が浮かんだ。
案内されたのは、清潔すぎる病院のようなレストランだった。
油の匂いも、煙の匂いもしない。あるのは、微かなオゾンの香りだけ。
「いらっしゃいませ」
案内された個室のテーブルには、メニュー表が一枚だけ置かれていた。
キッチンらしきものは見当たらないし、鉄板の音もしない。
「ここは、最新のフードプリンターを導入していましてね」
商人が誇らしげに説明する。
「最高とは言いませんが、かなりいいものですよ。素材データを再構築し、完璧な栄養バランスと味を提供するんです。さあ、定番の「ハンバーグ・セット」をどうぞ」
「……あ、ああ」
俺の想像していた料理屋とは違ったが、まあいい。
カップ麺ですらあんなに美味かったんだ。最新鋭の機械なら、さぞ素晴らしいものが出てくるだろう。
俺は端末で注文ボタンを押した。
数分後。
音もなく部屋に入ってきた配膳ドローンが、テーブルの上にトレイを置いた。
「お待たせしました」
そこに乗っていたのは――ハンバーグ定食だった。
いや、「ハンバーグ定食の概念」と言うべきか。
「……なんだこれ」
俺は思わず呟いた。
円形の皿の中央に、コンパスで描いたような真円のハンバーグ。
その横には、幾何学的に配置された真球のポテトと、フラクタルのように均一な形状をしたブロッコリー。
ハンバーグの表面には「焦げ目」がついているが、それはまるでテクスチャを貼り付けたように平坦で、凹凸がない。
湯気は出ている。温かい。
だが、肉汁が垂れることもなければ、脂が跳ねることもない。
まるで、初代プレイステーションのポリゴンモデルを見ているようだ。
解像度は高い。だが、決定的に「シズル感」が欠落している。
「さあ、冷めないうちにどうぞ! 出力直後が一番の食べ頃ですから」
商人に促され、俺はナイフを入れた。
スッ……。
抵抗感がない。肉の繊維を断ち切る感触ではなく、高密度のスポンジを切るような滑らかさ。
断面を見る。
均一なピンク色。肉汁は滲み出てこない。最初から「肉汁が含まれた状態」で固定されているからだ。
口に運ぶ。
「……うん」
味は、いい。
テイスティキューブのような粘土味ではない。
ちゃんと、牛肉と豚肉の合い挽きの味がする。ナツメグの香りも、玉ねぎの甘みもある。
温かいし、食感も柔らかい。
不味くはない。いや、味覚的には間違いなく「美味しい」部類に入る。
だが。
(……情報量が、足りねぇ)
噛んでも噛んでも、同じ味しかしない。 焼き目の強弱の食感の変化もなければ、脂身の塊に当たった時の背徳感もない。 最初の一口から最後の一口まで、0.1%の狂いもなく均一化された、完璧な味。 それは食事というより、味付きのデータをインストールされている感覚に近かった。
「どうです? 素晴らしいでしょう」
商人がニコニコと問いかけてくる。
彼は自身の皿に乗ったポリゴン・ステーキを、幸せそうに頬張っている。
「……なあ、アンタ」
俺はフォークを置いた。
「この世界の人間は、これを『最高』だと思ってるのか?」
「はい? もちろんですとも」
商人は不思議そうに首を傾げた。
「不純物を完全に取り除き、分子レベルで食感と味を最適化した結晶ですよ? これ以上の食事がどこにありますか?」
「例えばさ……もっとこう、形が不揃いだったり、焦げてるところがあったり、脂がしたたり落ちてたり……そういうのはないのか?」
「焦げ? 不揃い? 何を仰います。ご覧ください、この完璧で均一な焼き目を。これこそが最高級プリンターの精度の証ではありませんか」
商人は真顔で答えた。
「脂がしたたる? それは合成ミスによる分離現象ですね。最新のプリンターなら、脂質はタンパク質の中に均等に分散保持されますから、そんなエラーは起きません」
「……上層区画じゃ、もっと違うもんを食ってるって聞いたぞ。天然の動物の肉とか、土がついた野菜とか……そういう『本物』はないのか?」
俺が尋ねると、商人は困ったように苦笑して肩をすくめた。
「上層区画、ですか……。正直なところ、雲の上の住人たちが何を食べているのか、私のような一般商人には想像もつきませんよ。天然食材の噂は聞きますが、都市伝説のようなものです」
商人は手元のポリゴン・ステーキを愛おしげに見つめた。
「ですが、少なくとも我々の手が届く範囲において、これが最高傑作であることは保証します。これ以上を望むなら、それこそ貴族になるしかありませんな」
「…………」
俺は理解した。
この世界では、「ゆらぎ」や「ノイズ」は排除すべきエラーなのだ。
そして、俺が求めている「シズル感」――不均一さ、過剰さ、汚さ――は、特権階級だけが許された贅沢なのか、あるいは既に失われた過去の遺物なのかもしれない。
あのカップ麺だって、現代の技術で作られたものだ。厳重に保管されていたのは、単に高い嗜好品を他のやつに食われたくなかったからだろう。
だが、あっちにはまだ「食欲をそそる下品さ」があった。
一方、文明が進歩した果てにあるこの「完璧な食事」には、俺の愛した「料理の魂」が入る余地がない。
「……ああ、美味いよ。すごく合理的で、完璧な味だ」
俺は嘘をついた。
商人の好意を無下にするわけにはいかない。
俺は残りのポリゴン・ハンバーグを、作業のように胃袋へ流し込んだ。
満腹感はある。
だが、心はカップ麺を食った時よりも、遥かに寒々としていた。
店を出ると、コロニーの人工空には夜が訪れていた。
隣を歩くルシアが、ポツリと言った。
「……マスターの心拍数、食事中にも関わらず平常時より低下していました。お口に合いませんでしたか?」
「いいや。味は良かったさ。……ただ、綺麗すぎただけだ」
俺は空を見上げた。
「俺はな、ルシア。もっと汚ねぇもんが食いたいんだ。
形がいびつで、焦げがあって、骨があって……そういう生きてたもんの死骸を、焼いて食いたいんだよ」
「……野蛮ですね」
ルシアは呆れたように言ったが、その声には少しだけ同情の色があった。
「ですが、理解はしました。マスターが求めているのは「栄養」ではなく「体験」なのですね」
「生きてたもんの死骸ってのは言い過ぎかもしれんが、そういうことだ」
金手に入りつつある。
だが、俺の求める「カツ丼」への道は、この世界の常識と戦うことと同義なのかもしれない。
「帰ろうぜ、ルシア。……口直しに、あのブランデーでも開けるか」
「合成酒ですが、よろしいのですか?」
「酔えればなんでもいいさ。今はな」
俺たちは、完璧すぎる光に満ちたコロニーを背に、薄暗いドックへと足を向けた。
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