第107話 『アノマロカリスの丸焼き』
リゾートエリアの磨き上げられたナノセラミックの石畳が途絶え、足元が防蝕ポリマーで強化された無骨な複合合金のデッキへと変わる。
スロープを下るごとに、管理された空調が運ぶ甘ったるい香水の残香は霧散し、代わりに重厚な機械油の旋律と、荒々しい「命の匂い」が俺たちを包み込んだ。
「……マスター。前方、三番繋留ドック付近に生体反応を確認。大型の磁気クレーンが稼働中です。あそこにエージェントが待機しています」
ルシアの言葉通り、重力制御された巨大なカーゴが頭上を断続的に横切る埠頭の影に、一人の人物が立っていた。
潮風と塩害でくたびれた、生体モニター付きのタクティカルジャケット。海を睨むような鋭い目つきをしたその男は、近づく俺たちを一瞥すると、短く鼻を鳴らして顎をしゃくった。
「あんたたちが、例の……いや、『本物』を探しているっていう一行か」
「ああ。案内を頼めるか」
男は俺の全身から漂う、観光客の浮ついた好奇心ではない、本物の熱量を見抜いたのだろう。わずかに口角を上げ、背を向けた。
「いいだろう。リゾートの温い飯に飽きた奴らが最後に行き着く場所だ。ついてきな」
俺たちは男の背を追い、迷路のように入り組んだ旧港の市場を抜けていった。
そこには、さっきまでの海上都市とは対照的な、剥き出しのテクノロジーが支配する光景があった。
自動洗浄ドローンが床にこぼれた魚の青い血を洗い流し、ホログラムの競り値が乱舞する中、深海から引き揚げられたばかりの巨大な海洋生物たちが、気圧調整タンクから無造作にクレーンで吊り上げられている。
「ここは『アズライト・バックウォーター』。通向けの港だが、最近じゃ噂を聞きつけた物好きな観光客も少しは来るようになった。……まあ、座れ。小細工抜きの、ここなりの挨拶を用意してある。すぐに出すよ」
案内されたのは、海面に突き出した、剥き出しの鉄骨が海風に鳴るオープンテラスの食堂だった。
男が調理場に短く合図を送ると、高出力のプラズマ・グリルから強烈な熱気が立ち上った。爆ぜるような音と共に、香ばしい匂いが俺たちの鼻腔を突く。
そこで俺たちが目にしたのは、調理場の中心ですでに提供の時を待っていた「それ」だった。
「……っ、なんですか、これ! この多重装甲に、この節足の付き方……。これほど原始的な構造を保った捕食者が、現役の生態系に組み込まれているなんて驚愕ですよぅ!」
エマルガンドが、生体調査員としての興奮を隠せずに声を上げた。
巨大な熱伝導プレートの上で丸焼きにされていたのは、二メートルを超える巨体。平たい装甲に覆われた頭部に、横に突き出した巨大な一対の複眼。そして、自在に動く節のついた、棘だらけの触手のような前肢。
「……昔、恐竜図鑑かなんかで見た古生代の生き物にそっくりだな。アノマロカリスだったか」
俺の口から漏れた感想は、ごく単純な既視感だった。もちろん、地球の古代生物と直接の繋がりがあるはずもないのだが、その異形は俺の記憶にあるイメージを強烈に想起させた。
「こいつは『シザーズ・シェル』。この海じゃ一番の荒くれ者だが、味も一番だ」
「……食べられるの、これ? なんだか、すごい強そうだけど……」
ミナは少し腰が引けている。確か、ダイオウグソクムシを食わせる水族館や、変わった店があるという話を聞いたことがある。見た目は不気味だが、巨大な海老の仲間だと思えば、こいつも本質は同じようなものなのだろう。
「……まあ、食えるだろ」
俺がそう言って一歩踏み出すと、コーディネーターの男が意外そうに眉を上げた。
「……ほう。このバケツ一杯分の脳しかない化け物を見て『食える』と抜かすか。あんた、いい面構えだ」
やがて、その巨大な丸焼きが、重厚な金属製のトレイに乗せられて俺たちのテーブルへと滑り込んできた。殻が焦げる香ばしい匂いは、ロブスターのそれを何十倍にも濃縮したようで、空腹に耐えていた胃の腑を直接掴まれるような感覚に陥る。
「いただきますぅ……っ!」
好奇心が恐怖を塗りつぶしたエマルガンドが、小型の超音波カッターを起動させた。厚い外殻が鮮やかに割れ、中から湯気を上げる白い身が姿を現す。触手のような前肢は、その一つ一つにまでぎっしりと身が詰まっており、さながら伊勢エビかロブスターの群れを相手にしているかのような質量感だ。
「熱っ……! でも、この弾力、指に伝わる抵抗が半端じゃないですぅ!」
俺も、手渡された身を口へと運ぶ。噛みしめた瞬間、力強い繊維の断裂と共に、猛烈な勢いで「海の旨味」が弾け飛んだ。
「――力強いな」
海老に近いが、もっと野性的で、濃密な甘みがある。噛みしめるほどに、甲殻類特有の香ばしさと共に、重厚な旨味が舌の上で溶け出していく。荒波を生き抜いてきた生命そのものを喰らっているような、生々しくも気高い充足感がある。
「……おいしい! アキト、これ、見た目は怖いけど、すっごくおいしいよ!」
恐る恐る口にしたミナも、その芳醇な味に目を輝かせた。ルシアもまた、その純白の身を一欠片、静かに口へと運ぶ。
「……高密度の筋繊維と、純度の高いオメガ3脂肪酸。マスター、これは模造品では決して再現できない、過酷な環境で培われた『本物の感触』です」
俺は、咀嚼するたびに口いっぱいに広がる香ばしい余韻に浸りながら、旧港の荒々しい潮風を感じていた。
だが、俺たちの様子を黙って見ていたコーディネーターの男が、鼻で笑うように短く息を吐いた。
「こいつは初見さんへのお試し……まあ、半分は虚仮威しみたいなもんだ。見た目にビビって逃げ出すか、面白がって記念撮影する観光客のためのレクリエーションに近い。……あんたみたいに, こいつを心底喜んで食う奴は珍しい」
男は冷めた目から、少しだけ温度の宿った視線で俺を射抜いた。
「あんたが本当に探しているのは、こんな外骨格の塊じゃないはずだ。……『魚』を食いに来たんだろ。鱗と血と、柔らかい身を持った、本物の獲物を」
男の言葉に、俺は静かに頷いた。
「ああ。そのためにここへ来た」
「話は通してある。奥のプライベート・ストックに、今日一番の獲物を確保させておいた。……すぐに出すよ。リゾートの食卓には決して上らない、本物の『魚』ってやつをな」
偽物の楽園はもう遠い。俺たちの足元には、今、確かに「本物の海」への扉が開こうとしていた。
厳密な生物相とか考えるのはやめよう。
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