第106話 『アズライト・プライム』
十八時間に及ぶハイパードライブが終了し、ブリッジの窓を覆っていた光の奔流が収束した。
直後、俺たちの視界に飛び込んできたのは、宇宙の暗闇を圧倒的な鮮やかさで塗りつぶす、「蒼」だった。
「……うわあ」
ミナが感嘆の吐息を漏らし、吸い寄せられるように窓に張り付いた。
「マスター。アズライト・プライムへの接舷コースを確立しました。……この星は、かつての地球の海を参考に、数世代にわたって環境が調整された一級自然保護区です」
ルシアが淡々と環境データを読み上げる。その瞳には、青い惑星の輝きが鮮やかに映り込んでいた。
「地球の海を参考に?」
「はい。地表の九十八パーセントを占める液体は、アーカイブに残された地球の海をモデルに調整が行われています。帝国において、最も『海』という概念に忠実な場所の一つと言えるでしょう」
ルシアの言葉に、俺は息を呑んだ。人類がその失った故郷の断片を星一つに投影しようとした事実は、この蒼い輝きとなって目の前に存在している。
マッコウクジラは大気圏へと突入し、幾重にも重なる白い雲を突き抜けた。視界が開けると、そこには太陽の光を乱反射させて輝く巨大な海上浮遊都市『アズライト・セントラル』が姿を現した。
「すごい……。こんな綺麗な場所、初めて見ましたぅ」
エマルガンドが、慣れない手つきで観光パンフレットのホログラムを確認しながら、少し控えめに呟いた。調査任務で過酷な辺境を回ることが多い彼女にとっても、ここは未知の領域のようだ。
俺たちが誘導されたのは、全長数キロメートルに及ぶ超大型リゾート客船が何隻も停泊する専用ドックだった。白磁のように磨き上げられた豪華客船の傍らでは、武骨な重量級輸送艦であるマッコウクジラは少し不釣り合いだ。とはいえ、支払った百万クレジット近い通行料が滞在を保証しているのだから、気後れする必要は無い。
ハッチが開いた瞬間、重厚な、そして塩気を含んだ「生温かい風」が俺たちの肌を撫でた。
「……潮風か」
俺は思わず足を止め、目を閉じて深く息を吸い込んだ。
消臭の行き届いた船内の空気とは違う、生命の混じった、むせ返るような磯の香り。調整された環境ではあるが、しかし、懐かしさを感じる海の香りだ。
「マスター。塩分濃度、浸透圧、プランクトンの構成比……。八十パーセントほどの精度で地球のアーカイブデータと一致しています。特筆すべきは清浄度です. 組成データに有害物質は極めて少なく、スター・ツナで行ったような生食も可能と推察されます」
ルシアの報告を背に、俺たちは都市の中枢へと繰り出した。
まず訪れたのは、都市の下層に広がる『水中回廊』だ。
透明度の高い特殊強化ガラスで仕切られた通路の両脇には、色とりどりのサンゴ礁が広がり、その間を無数の熱帯魚を思わせる極彩色の魚たちが銀色の矢のように通り抜けていく。ミナは「アキト、あそこにキラキラしたお魚がいるよ!」とはしゃぎ、文字通りガラスに張り付いて離れない。エマルガンドも「この環境維持レベルは興味深いですねぇ」と、感嘆を抑えつつ手元の端末にデータを記録していた。
通りを行き交う煌びやかな富裕層や、宝石のように飾り立てられた遊覧船を見ていると、どこか奇妙な違和感が拭えなかった。
「綺麗だね、アキト. ずっと見ていられるよ」
展望テラスでミナがジュースを飲みながら微笑む。
だが、その目の前の噴水から立ち上るのは、高度なフィルターで完全に濾過され、脱臭された「清潔すぎる海水」の霧だった。観光客たちは、魚の生臭さも、泥臭い命の気配も一切感じることなく、管理された楽園を享受している。
「アキト、アキト! これ食べてみたい!」
ミナに誘われ、テラス席から海を一望できる高級カフェに入った。
注文したのは、このエリアの人気メニューだという『碧海の宝石プレート』。透明な青いゼリーの上に、魚の身を模した欠片が美しく盛り付けられた一品だ。
「いただきますぅ!」
エマルガンドとミナが口に運ぶ。
「冷たくてプルプルしてる! なんだかすごく……海っぽいよ!」
「確かに、洗練された味ですぅ。でも……」
エマルガンドが言葉を濁し、俺も一口食べてみた。
食感は完璧だ。本物の魚のような繊維感もある。だが、その正体は海藻の抽出液と、人工的に合成された「海鮮味の香料」を、極限まで磨き上げた究極のフェイクだった。
「……マスター。分析によれば、これは九十九パーセントが合成タンパク質です。アズライト・プライム産の素材を使ってはいますが、これを魚料理と評するのは不可能かと」
ルシアの言葉に、俺は窓の外、完璧に整えられたエメラルドグリーンの海を見つめた。
地球の海を参考にしたいという願いは本物だろう。だが、富裕層の観光客向けのここに溢れているのは、命の躍動を排除した「都合のいい海」の幻影だ。
「ミナ、エマルガンド。観光はこれくらいにしよう。……ここには、俺たちが探している本物の『魚』はないみたいだ」
「うん。アキト、本物のお魚、探しに行こうよ! わたし、アキトが本気で作るお魚料理、早く食べてみたい!」
ミナが期待に満ちた目で俺を見上げる。
「自分も、ぜひそうしたいですぅ。アキトさんが言っていたあの『手作業での解体』、生体調査員としてこの目で見せてもらうのを楽しみにしてるんですよぅ」
俺たちは席を立ち、賑やかなリゾートの中心地を後にした。
俺が求めているのは、もっと命の重みを感じられる場所だ。
「ルシア。予定通り、ここからの案内を頼む。例のコーディネーターとは連絡がついているんだったな」
「はい。主要なリゾートエリアからは外れますが、本物を知る者たちが集う『港湾地区の旧港区』にてエージェントが待機しているとの通知を受け取っています。そこは、しっかりと開かれた通向けの現場です」
「よし。行こう」
煌びやかなクリスタルの都を離れ、緩やかなスロープを降りていくにつれて、人工的な香料の匂いが薄れていく。代わりに潮の香りが色濃く、生々しく漂い始める。その先にある、職人や食通が集う「現場」を目指して。
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