第105話 アズライト・プライム前夜
アズライト・プライム到着まで、あと十時間。俺たちはメインブリッジのホログラムテーブルを囲み、次なる目的地についてのブリーフィングを行っていた。
「……マスター。収集したデータのレンダリングが完了しました。投影します」
ルシアが指を滑らせると、テーブル中央に、かつて俺が『スター・ツナ』と呼んだものによく似た生物の透過モデルが浮かび上がった。
「ふむ……。いいですかアキトさん。これから向かうアズライト・プライムの生物――いわゆる『魚』は、自分たちが以前食べたスター・ツナとは似て非なるものなんですよぅ」
エマルガンドが眼鏡を押し上げながら、ホログラムをポインターで指し示す。その口調は、いつもの食いしん坊なそれではなく、生体調査員としての専門的な響きを帯びていた。
「ああ、魚ならよく知っている。……だが、見た目に関してはこれまでのツナとそう変わらないように見えるが」
俺の言葉に、エマルガンドは意外なものを見るような目でこちらを振り返った。
「……おや、魚をご存知でしたかぁ? それは心強いですが、油断は禁物ですよぅ。惑星によって生物の細かい身体構造は全然違うこともありますから。基本的な骨格構造こそ似ています。脊椎があり、側筋が発達している。ですが、あのスター・ツナは『宇宙適応種』です。対して、こいつらは高密度の液体……つまり『水』の中で一生を過ごす連中なんです。これが実にややこしいんですよぅ」
エマルガンドがホログラムを回転させ、断面図を表示する。
「水という媒体は、空気よりもずっと重く、同時に強い浮力を持っています。彼らは浮力を利用して体を支えているため、陸に揚げた瞬間に自重で身が崩れる種もいますし、細胞の劣化も宇宙種より遥かに速い。粘膜の処理、浸透圧による肉質の変化、それから何より……瞬時な神経系の遮断。自分も生体調査員として、フィールドワークでのサンプル採取や解体技術は叩き込まれていますが、これらを時間制限のなかで完璧に処理するのは、研究者にとっても至難の業なんですぅ」
エマルガンドがさらりと「解体ができる」と言ったことに、俺は少し驚いた。こいつもまた、過酷な「現場」を渡り歩いてきたプロなのだ。
「……捌けるのか、エマルガンド」
「ええ、一通りは。特殊なメスや高精度レーザーカッターなら、細胞を傷つけずにサンプリングできます。でも、アキトさんが言う『本物』の味を出すための解体は、ただ切り刻むだけのサンプリングとは話が違うんでしょうねぇ」
エマルガンドが、驚嘆と疑念が混ざり合ったような目で俺の腕を見る。俺は、掌を無意識に握り込んだ。
「ああ。俺がやる。三枚おろしでも、刺身でもな。そのための道具もある」
「……三枚おろし? 手作業で脊椎から身を剥がすというのですかぁ? アキトさんの出自には触れませんけど……まるでずっと原生生物に触れてきている現地の民のような技術ですね。期待していますよぅ」
エマルガンドの感嘆をよそに、ルシアが冷静に割って入った。
「……マスター。技術的な問題もさることながら、アズライト・プライムにおいては別の障壁が存在します。あそこは帝国の『一級自然保護区』であると同時に、全銀河でも有数の超高級リゾート惑星でもあります」
「……リゾート? なら、もっと歓迎される場所なんじゃないのか」
「表面上は、そうです。観光客向けのエリアには豪華な海上都市が並び、模造された『海の恵み』が溢れています。しかし、そこは古くから続く『海洋ギルド』が実効支配する独立領域でもあります。通常の入星許可だけでは、観光エリアを歩くことはできても、本物の魚を一匹たりとも手に入れることはできないようです」
ルシアが提示したウィンドウには、華やかなリゾートのパンフレットの裏に隠された、海に根ざした厳格な管理規則が羅列されていた。
「未加工の魚を手に入れるには、現地のギルドが認める『海洋調理師』の資格、あるいは認定された『コーディネーター』の仲介が必須です。リゾート客として振る舞いつつ、裏で地元の人間に対処してもらうのが、最もトラブルが少ないでしょう。幸い、事前のリサーチにより現地の有力なエージェントと連絡が取れました。彼らに礼を払い、手続きを地元の人間に対処してもらうのが、帝国の富裕層における『スマートなやり方』とされています」
「現場の掟が強い場所、か。……どこへ行っても、その土地独自のルールってやつは付いて回るもんだな」
俺はルシアの解説を聞き、軽く息を吐いた。観光客向けの「偽物」に紛れ込みながら、本物を求めて地元の懐に飛び込む。地元の人間との交渉が全てだ。
マッコウクジラの艦首が、跳躍の光を切り裂いて進む。
ホログラムが消えたブリッジに、再び静寂が戻った。
だが、俺の胸の中には、リゾートの喧騒の裏に眠る海の恵みへの、確かな期待が灯っていた。
でかい魚を捌くのって技能職ですよね、と思いながら。
1Kのキッチンででかめの魚を捌いたことがありますが、それはもう大変でしたね。
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