表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/22

第4話 見えない教室

 定時を数分すぎた夕方のオフィス。

 まだちらほらと残業中の人影がある中、俺は意を決して、管理部の奥にある部長席へ向かった。


「……すみません。ご相談がありまして」


 顔を上げたのは、うちの人事部長・小田おださん。

 50代前半、几帳面で気さく。情シスである俺の直属の上司でもある。


「おや真嶋くん、珍しいね。どうしたの。まさか辞めるとか言わないでよ?」


「いえっ! そんなことじゃなくて……」


 慌てて手を振る。タイミングを完全にミスった気がした。


「実は、“パソコン教室”を開いてみたいと思いまして」


「……へぇ?」


 小田さんの眉がぴくりと上がった。


「副業は禁止って、知ってるよね?」


「そうじゃなくて……終業後に、有志で。

 場所と、使っていないパソコンを数台だけお借りできればと思って」


「場所は? 人数は? 目的は?」


「会議スペースを借りて、人数はこれから募ります。希望者に基礎的なスキルを教えられたらと思っていて。個人の成長にも、会社にも、きっとプラスになると思うんです」


 しばらく沈黙が落ちたあと、小田さんの口元が緩んだ。


「……あの子のことかい?」


「……え?」


「受注課の新人ちゃん。三谷さん、だったか。最近よく叱られてるのを見かける。君、気にしてたろ?」


「……まぁ、少しだけ」


「ふふ、そういうところ、変わらないね。君は昔から、“必要なときに必要な場所にいる人間”だよ」


 それは、何気ないようで、すごく温かい言葉だった。


「分かった。まずは試験的にやってみよう。使用申請と、簡単な参加者リストだけ提出して」


「……ありがとうございます!」


 深く頭を下げると、小田さんは肩をすくめた。


「本当は、そういうの、人事の仕事なんだけどね。

 でも“教えられる人”っていうのは、意外と希少なんだよ」


 胸の奥が、じんわりと熱くなった。



 定時を過ぎて、タイムカードを押す。

 「ピッ」という音が、今日の業務の終わりを告げた。


 ──けれど、俺の“今日の仕事”は、まだ終わらない。


 オフィスに残る空調音と静けさの中、自席に戻る。

 文章ソフトを開き、新しい文書に向かってタイピングを始めた。


 タイトルは──『パソコン教室のお知らせ(有志)』


(……ちょっと堅いか? でも、真面目さは伝わるだろう)


 参加条件、開催日程、対象者、会議スペースの使用について──頭の中で整理しながら、一文一文を丁寧に打ち込んでいく。


 俺は今、誰かのために動いている。

 それは、たった数日前の俺なら思いもよらなかったことだった。


「ふふーん、まっしー、早速ノリノリだねぇ」


 振り返ると、案の定、ユウがいた。

 椅子の背に座り、足をぶらぶら揺らしながら、いつもの調子で笑っている。


「いいねいいね。そういう頑張り屋さんなとこ。俺、結構好きだよ」


「……茶化すなよ。別に善人ぶってるわけじゃない」


「でも、“誰かのために動くまっしー”は、昔のまんまだね」


「……そうなのかな」


 キーボードを打ちながら、小さく息をついた。


 “誰かのために”なんて、恥ずかしいことを自覚したのは、ずっと後になってからだった。


「じゃあ、俺も参加しようかなー。見学枠で」


「お前は社員でもないし、そもそも見えてないだろ」


「えー、それって差別じゃない?」


「はいはい、黙ってろ」


 ──でも、なぜだろう。

 そう言いながら、心のどこかで救われている自分がいた。


 プリンタから出てきた紙を取り上げ、掲示スペースへ向かう。

 廊下には誰もいない。空調の風だけが、静かにシャツの裾を揺らしていた。


 案内文を掲示板に貼りつける。


 どこかの誰かの、ほんの少しの勇気に繋がってくれたら──

 それだけで、今日は悪くない一日だったと思える。


 ユウの声が、ふと耳元でささやいた。


「まっしー。いいじゃん、それ。ちゃんと今、生きてるって感じする」


 その声に振り向くと、彼はもういなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ