第21話 誰かの願いが
正月休みが明け、職場がいつものように動き出していた。
けれど、俺の胸の奥は──あの日の吹雪の元旦のまま、時が止まっているようだった。
──ユウ。
最後に聞いた声。最後に見た笑顔。
掌には残らなかったのに、今も、心の奥から離れてくれない。
社内は、年始の慌ただしさに包まれていた。
そのざわめきの中、ふと耳に入った小田部長の言葉に、思わず足が止まる。
「……社長が今こっちに戻ってきていて。新年のお詣りに行かれるので、送迎に行ってくるね」
胸が、大きく跳ねた。
(──社長……)
ユウとの女木島の写真を思い出す。
俺とユウと一緒に映っていた男性。
見覚えのある、あの人の若い頃の姿。
ユウがこの会社にいた理由──
ユウのお父さんは──
それは衝動だった。
でも、今行かなければ──きっと、一生、後悔すると思った。
「小田部長……お願いがあります」
*
小田部長と並んで、社長宅の前に立っていた。
ポストの横には、「東雲」と記された表札が、静かに掲げられている。
それを見た瞬間、緊張が喉までせり上がってくる。
(帰れない……もう、ここまで来たんだ)
震える指先で、インターホンを押す。
「はい」
落ち着いた声。──社長だった。
「従業員の真嶋と申します。突然すみません。小田部長とお約束されてることは伺っていて……でも、どうしても……お子さんに、お線香だけでも上げさせていただきたくて……」
一拍の沈黙。
──そして、玄関の扉が静かに開いた。
「……どうぞ。入ってください」
*
案内されたのは、家の奥にある、静かな一室だった。
隅に置かれた小さな祭壇。その前に、幼いユウの遺影があった。
写真の中のユウは、あの日と変わらず、まっすぐな笑顔を浮かべていた。
(ユウ……)
喉が詰まる。視界がにじむ。
線香に火を灯し、震える手でそっと合掌する。
白い煙が、静かに、空へと昇っていく。
そのとき──
背後から、社長の声が落ちてきた。
「……真嶋くん。私はね、覚えていたんです」
はっと顔を上げる。
「君の履歴書を見て、すぐにピンときましたよ」
(……!)
「結季は……いつも“まっしー、まっしー”と、あなたのことを話していました」
「あの子にとって初めての友達でしたから。……忘れるわけがありません」
「一緒に女木島に連れて行ったときのことも、よく覚えています」
「まさか本当に君が、この会社に来てくれるなんてね……」
その瞳に、うっすらと光が滲んでいた。
「でも──きっと、これも、あの子の願いだったんでしょう。
もう一度、あなたに会わせたかったのかもしれません」
言葉が出なかった。
喉の奥が詰まり、絞り出すように呟く。
「私も、会えて……本当によかったです」
社長は、ゆっくりと頷いた。
「結季は、本当に寂しがり屋でね。
あなたとの思い出──最後まで、大切にしていたんですよ」
「どうか……これからも、自分の道を、大切に歩んでください」
「あなたの優しさは……結季だけじゃない。きっと、多くの人を救っていく」
その言葉は、雪の中に差し込む陽射しのように、胸の奥へ静かに染み込んでいった。
*
帰り道。
吐いた白い息が、空へと溶けていく。
(ユウ……俺、ちゃんと伝えてきたよ)
ふと、雪の向こうに──あの小さな背中が見えた気がした。
(……ありがとう)
真冬の風が、そっと頬を撫でる。
冷たいはずの風は、なぜか、あたたかかった。




