第19話 記憶の欠片
楽しかったクリスマスは、あっという間に過ぎていった。
年末の空気はどこか浮ついていて、会社では年越しの挨拶が飛び交っていた。
「ユウ、正月はどうすんの?」
何気なくかけた言葉だった。
だけど──返ってきたのは、少し迷いのにじむ笑顔。
「自由に過ごすよ。人のいない会社も、案外落ち着くんだよね」
「静かで、誰もいなくて……そういう時間も、嫌いじゃないから」
──停電の夜のことが脳裏をかすめる。
真っ暗な階段の踊り場で、ひとりぼっちだったユウ。
胸の奥に、じんわりと冷たいものが降り積もっていく。
「大丈夫だよ、まっしー」
俺の不安を見透かしたように、ユウは優しく笑った。
どこか大人びたその表情には、淡い決意のようなものがにじんでいた。
「いろいろ、ぶらぶらしてさ……僕なりに楽しむつもりだよ」
そう言って、ユウはふわりと手を振り、扉の向こうへと消えていった。
「まっしー……良いお年を」
*
年が明けた元旦。
中四国では珍しいほどの大雪で、初詣の人もまばらだった。
俺は実家で年末年始を過ごしていた。
──とはいえ、地元暮らしだ。
職場までは、頑張れば歩ける距離だし、なんだかんだ、実家のほうが会社に近い。
コタツにもぐり込み、丸くなった愛猫の背を撫でていると──
「純也〜、これ見てごらん。懐かしいわよ〜」
母がアルバムを抱えてやってきた。
その手には、子どもの頃の思い出がぎゅっと詰まっていた。
「久々に整理してたら、いろいろ出てきてね。ほら、これこれ」
ぺらり、ぺらりとページがめくられていく。
七五三、運動会、夏の海──色あせた記憶たち。
──そして、あるページでふいに手が止まる。
春の海。満開の桜の下で、幼い俺と若い男性。
その隣に──小柄な男の子が写っていた。
ふわふわの茶色い髪。まっすぐな目。くしゃっとした笑顔。
──『まっしー!』
あの声が、脳内に響いた。
ページを見つめたまま、体が固まる。
そのとき、母がさらりと言った。
「結季くんじゃない。……懐かしいわねえ」
「……ゆうき……?」
「えっ、覚えてないの? 転校してきて、あんたにべったりだった子よ」
「また転校しちゃうって言うから、春休みにみんなで女木島に行ったじゃない。あんたと私と、結季くんのお父さんと──4人で」
母の言葉に合わせるように、記憶のピースがつながっていく。
春の空。潮の匂い。やわらかな風。
静かだったあの海。
光を跳ね返す水面に、俺たちの影が揺れていた。
裸足で踏んだ砂の感触。貝殻を拾いながら笑う声。
「まっしー、見て!」
波打ち際にのこる、小さなふたつの足跡。
並んで座った桟橋の端。
握った手と、風に揺れる茶色い髪。
──ああ、そうだ。
転校の話は聞いていた。
でも、幼い俺には、友達との別れがどうしても納得できなくて。
手紙を送ることも、会いに行くことも、しなかった。
みんなの前で結季の話をすることもさびしくて。
俺は少しずつ、あいつの記憶を封じ込めていったんだ。
「……結季くん、本当に可哀想にね」
母の声が、ふいに沈む。
「まだ幼かったのに……引っ越し先で、事故に遭って。亡くなって」
「そうそう。純也もまだ小さかったから、ずっと言えなかったのよ。今、思い出したわ」
何かが、音を立てて崩れていく。
東雲食品で出会ったユウ。
そして、小学時代の親友──結季。
……ユウは。結季は、全部わかってたんだ。
何も思い出せなかった俺に、あいつは──ずっと……
気づけば、体が動いていた。
コートも持たずに、玄関のドアを開け放つ。
「ちょっと! 純也!」
母の声が追いかけてくる。
「どこ行くの!? 外は大雪よ!!」
──知ってるよ。
でも、止まれなかった。
今さら、どうしようもないことくらい、わかってる。
だけど──どうしても、じっとしてなんていられなかった。
足元が雪に沈む。
頬を刺す風が痛い。息が、凍るようだった。
それでも、走った。
──ただ、あいつに、会いたかった。