第17話 灯のない夜に
11月22日、土曜日。
今日は、前々から予定されていた計画停電の日だ。
俺は夕暮れの中、会社へと向かっていた。
まだわずかに明るさの残る空の下、会社の玄関に着くと──誰かが立っていた。
「真嶋さん!」
制服ではなく、私服姿の三谷が、息を弾ませている。
「土曜日なのに出勤されるって聞いて……差し入れ、持ってきました」
そう言って差し出された、コンビニのビニール袋。
中には、シュークリームと、俺がいつも飲んでるブラックコーヒー。
「えっ……! ありがとう」
「えへへ。コンビニのですけど、カスタードとクリーム入ってるやつ選びました」
ふわっとはにかんだ笑顔。
少し前まで、泣きそうな顔ばかりしていたあの子とは思えない。
柔らかく笑って、まっすぐに俺の目を見てくる。
ふわりと揺れるスカートのすそが、秋の風に静かに踊っていた。
「じゃ、頑張ってくださいね!」
三谷は小さく手を振って、帰っていった。
このためだけに、わざわざ電車に乗って来てくれたんだ。誰にも強制されてないのに。たった数分のために。
笑っている三谷を見ていたら、あの日の俺の勇気も、無駄じゃなかったと思えた。
三谷の変化が、まぶしくて。
ただ、ただ、嬉しかった。
*
ピッ。
タイムカードを押し、仕事モードに切り替える。
電力会社の停電は、夜中の11時から。
それに間に合うよう、基幹システムのバックアップを早めに始める。
複合機やパソコン、情報機器のコンセントを抜き、サーバの電源も、正しい手順でシャットダウン。
復電まで待機し、それらを一通り元の状態に戻すまでが今日の俺の仕事だ。
*
停電前作業がひと段落し、休憩室で、三谷にもらったシュークリームを頬張る。
コンセントの確認でフロア中をまわったが、どこにもユウはいなかった。
やっぱり、土日はどこか別の場所で過ごしてるのかもしれない。
──あの日。
社長が出勤してきた、あの日以来。
ユウは妙に元気がない。
前みたいに、はしゃいで俺に声をかけてくることも減った。
そう考えながら、手元のシュークリームを見つめる。
三谷がくれたシュークリーム。
俺のために選んでくれた気持ちが、たまらなく嬉しい。
でも──
甘いはずのシュークリームは、なぜだか、あまり味がしなかった。
口に広がるはずの甘さが、どこかへ消えてしまったように。
*
そして──停電の時刻。
事務所一帯の電源が落ちる。
フロアには、非常灯の淡い明かりと、自分の足音だけが残った。
点検のために懐中電灯を手に、真っ暗な廊下を渡る。
──と。
懐中電灯の先に、何かが映った。
階段の踊り場。
窓もないその空間に、ぽつんと小さな影が座っていた。
「……ユウ……!」
思わず走って駆け寄る。
「お前……こんなとこで、何してんだよ」
「なにって。……いつも通り、会社にいるだけだよ」
ユウは、暗闇のなかで、静かに微笑んでいた。
「……お前。いっつも俺に色々言ってくるけどさ……」
喉の奥が詰まり、うまく言葉が出ない。
だけど、それでも、言わなきゃいけない気がした。
「なんで、自分のことは何も話さないんだよ」
「……なんで、こんなとこに、ひとりでいるんだよ」
しばらく、沈黙が落ちた。
「前みたいに、俺ん家、来たらいいじゃんか。
夜中にひとりぼっちで会社って……おかしいよ」
非常灯の淡い光の中で、ユウはそっと目を伏せた。
「まっしーは、やさしいね」
そして、ぽつりと──口を開いた。
「ねえ……まっしー。お願い、聞いてくれる?」
「……クリスマスツリーが、見たいんだ」
その声は、空っぽの会社に、そっと落ちた。
「……ツリー?」
「うん。来月、クリスマスでしょ。
……会社に、飾ってほしいの。綺麗なツリー」
声は震えていないのに、
なぜか、胸の奥が痛いほど熱くなった。
「……なんで……?」
ユウは答えなかった。
ただ、少しだけ笑って、夜の闇に視線を向ける。
「見たいんだ。……まっしーと一緒に」
──その声が、表情が。
なぜだか、今まででいちばん、遠くに感じた。