第15話 居酒屋と俺の境界線
会社帰り、俺は久しぶりに繁華街の駅で電車を降りた。
スマホの地図アプリを頼りに、予約された店を目指す。
居酒屋の提灯が見えてきた頃、胸の奥が妙にざわついた。
(……俺、どんな顔して店に入ればいいんだ?)
同級生との飲み会なんて、何年ぶりだろう。
仕事を辞めて、自信をなくしてからは、ずっと誘いを断ってきた。
でも──佐伯部長の言葉が、頭の奥に残っていた。
『今どこにいるかより、何を大事にして生きてるか』
その言葉が、今日の俺の背中を押してくれた。
扉を開けると、すでに数人の男女がテーブルを囲んで盛り上がっていた。
松野の声が飛んでくる。
「──おっ、来た来た! まっしー!」
一斉に視線がこちらに向いた。
「久しぶり〜!」
「まじで何年ぶり?」
懐かしい顔が並ぶ中、不安だった“見下される空気”はどこにもなかった。
──拍子抜けするほど、あの頃と変わらない。
自然と、肩の力が抜けた。
「席空いてるよ! こっちこっち!」
松野に促されて席に着き、注文を済ませる。
グラスの音が軽やかに響いた。
笑い声が弾け、思い出話が飛び交う。
みんな、結婚していたり、転職していたり、親になっていたり。
「真嶋は彼女できたん?」
「いや、そういうのは……」
「真嶋くんモテそうなのにー。誰か紹介しよか?」
そんなやり取りの途中、松野がふとつぶやいた。
「そういえばさ、“まっしー”ってあだ名、おれが呼び始めたんだっけ?」
「……え?」
「今、俺しか使ってねーじゃん。みんな大人になったら、急に呼び方変えちゃうし」
──その一言で、時間が止まったような気がした。
頭の奥で、誰かの声が揺れる。
『……ましまくん……そうだっ……まっしー……!』
小さくて、弱くて――でも、どこか一生懸命な声。
思い出せそうで、思い出せない。
指先だけが、その記憶に触れかけていた。
「……いや、たぶん、お前じゃなかった」
ぽつりと、そう呟いた。
松野は少し首をかしげたが、すぐに笑って言った。
「まあ、でも似合ってるよ。“まっしー”って、やっぱお前っぽいし」
「……ありがと」
グラスを持つ手が、わずかに震えていた。
なぜ震えているのか──自分でもよくわからなかった。
そのあとも、たわいない会話が続いた。
けれど、不思議と心は穏やかだった。
(……来てよかった)
──
飲み会が終わり、店を出たところで、松野が声をかけてきた。
「なあ、まっしー。ちょっと、二人で話せるか?」
「……え?」
「実はさ。今、起業の準備してんだ。来年の春、本格的に東京で立ち上げる予定で──」
「……!」
「よかったら、お前にも手伝ってほしい」