濃師 其の二
三国志の史実と演義の登場人物が出てくる中で、あらゆる策謀が渦巻く中、彼らとどう対峙していくか。
いつしか芽生えた孔明への淡い気持ちは、現代との違いによって苦しむ恋になった。
長老の屋敷は思った以上に広く、結城は通された部屋に入った。板敷きに藁を編んだ敷物が用意され、下座に白髪の老人が平伏している。
それだけでこの長老の人柄を知る事ができた。
「長老殿、私は貴方に教えを乞いに来たのです。どうぞ、あちらには長老がお座り下さい」
「なんと‥‥我らが知る事など雀の涙ほどの事‥‥どうぞ上座へは濃師様がお座り下さいませ」
「では、こうしましょう」
結城は長老の隣に座って彼に向き直った。
戸口の前に佇んだ黄承彦と徐庶が顔を見合わせて笑う。
「今は身分の事はお考え下さいますな。濃師は貴方のお話を聞きたいだけなのです」
徐庶の言葉もあって、ようやく長老を動かす事ができた。火鉢のような炭熾しの傍を皆が囲って座る。
数刻、他愛もない話を交しお互いの親睦を深めた後、結城は本題に入った。
「長老殿、この土地と農耕の事をお聞きしたいのです」
「山間のこの村は、霧が多く日の光が遮られて茶畑を作って凌いでおります。」
「お茶‥‥標高が高いと質が良いのよね‥‥確か‥‥」
「麓では村民の食物も作っておるのですが木枯らしが平原から吹き、年によっては火事で作物が燃やされてしまうのです」
「濃師よ、これを見るが良い」
黄承彦から渡されたのはこの地域の地図。水墨で描かれた山と川に麓から広がる平原。
馬で揺られて此処まで来たのだが、ここの村民は茶畑までかなりの時間を費やして行き来していることになる。
「茶畑には茶を専門に見る者が暮らしておりますのじゃ」
「ああ、成程‥‥では、火事が熾ると村はどうするのです?」
「数十年に一度は村が全焼するほどの大火になっての‥‥皆、山小屋に非難して凌ぐしか‥‥」
「黄殿、これの北は?」
地図を睨んだまま結城は黄承彦に尋ねた。すっと手が動き一点を示す。北に山を背負い、東南に広がる平原。
「長老、火事は霜の降りる前になりませんか?」
「おお!その絵を見ただけで‥‥いや、それをどうして?」
答えは簡単である。秋は乾季で木々が乾く。
平原が東南に位置していた事から 東南から西北に抜ける風が火事を呼ぶと推測したのだ。
ここまで考えれば、先の赤壁の大戦で東南の風の威力を知っている結城がこの地理を解釈するのは容易かった。
東南の風は突風のような気流を生み出す。そんな風が数日撫ぜれば、木々がこすれて自然発火を招くのは当たり前。
「それが無ければのぉ‥‥飢えで苦しむ事もないのじゃが‥‥」
「長老よ、あればかりは長年見てきた儂でも困難。この若い濃師ではどうすることもできまいて」
黄承彦の言葉が重く遮った。徐庶も目を閉じて考えている。
そんな空気が重過ぎて、結城は外に出てきますと断って立ち上がった。
一人降り積もった雪の中を歩く。
「人の生活を支えると言う事は‥‥予想以上に過酷かもしれない‥‥」
弱音ではない。率直な意見なのだ。
孔明と並ぶ結城が濃師として話を聞きに来たのだ。地理的な事は分かったが、こんな問題が隠れ潜んでいようとは思わなかった。
「ユウ殿」
「元直様‥‥黄殿まで‥‥」
「詮無いことをしてしまったのう。儂が浅はかであった」
「孔明ならば如何にしたものか‥‥」
心配した黄承彦と徐庶が追って来たのだが、二人共先ほどの問題に頭を抱えていた。
黄承彦は変わり者であったが、人の何たるかは知っている人であった。だからこその反省。
「長老は屋内ですね」
「うむ」
「ユウ殿?」
「私は重圧に耐えかねて逃げてしまった‥‥自分の言葉の重みを知ったから‥‥」
月を見上げ、光輝く雪を見つめる。結局、孔明からも政からも逃げているのだと。
「‥‥信じてみよう‥‥」
「どうかしましたかな?」
月に誓うかの如く呟くと結城は二人に振り返った。
読んで下さって、ありがとうございます。
毎日、一話ずつ投稿できたらと思います。
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誤字脱字に関しては、優しく教えて頂けましたら幸いです。




