天地の嘆き 其の七
三国志の史実と演義の登場人物が出てくる中で、あらゆる策謀が渦巻く中、彼らとどう対峙していくか。
いつしか芽生えた孔明への淡い気持ちは、現代との違いによって苦しむ恋になった。
「自然はその恩恵を分け隔てなく降り注がせる‥‥私は何て非力なの‥‥」
柚は空を仰いで嘆くように囁いた。その呟きは仲達にも聞こえていて。
「何も暗い道だけではなかろう。そなたは寵姫という身分を手に入れている」
「そうね。私は幸せで居られるわ」
遠まわしに肯定する柚の瞳は悲しげだ。仲達は無言で馬足を速める。
「仲達、お願いがあるの」
「願いだと?」
「貴方しか成し得ないことだから。もし、これを叶えてくれれば‥‥」
これから先、仲達に協力しようと申し出る。驚きつつも表情に出さず、柚を見据える仲達の視線は鋭い。
「私にはこの子が一番なの。だから、つまらない争いで命を亡くすことが無いように‥‥」
「孟徳様の御子として生まれるのだ。それは避けられぬもの」
切り離そうとする仲達にしがみ付く様に柚は懇願した。
「男の子なら‥‥お願い!死産ということにして!」
「何を言っているか判っておられるのか?!」
「権力争いなど、この子は殺されてしまうわ‥‥お願い、貴方の部下の子でもいい。他のご寵姫に知られないように‥‥」
必死に食い下がる柚の顔は、もはや我侭を言っている娘ではなく母の顔。それほどに子供の行く末を案じ、一番安全だと思われる人物に託す。
「それは受けいれられぬ」
「いいえ、貴方は受けるわ。この子は人質として貴方に託します」
眉間に皺を寄せ、睨む仲達を見据える。それに根負けしたかのように、彼は笑い出した。
「それでは私が不忠を働くようではないか。ご寵姫よ」
「孟徳様の御世ではその力も削がれるでしょうけど、世代交代は全てを受け継ぐわけではないわ。」
「御長子様の教育係は私なのだ。何を言われるか。」
曹操の嫡子 曹丕は親ほどの才知に長けた器を持ってはいない。
そして、自分の弟達にその非凡性を見出すと、容赦なく蹴落とすような心の狭い一面も持ち合わせていた。そのことは教育係に上がった者なら周知の事実。
「私の国では争いごとが無かったわ。生まれてくる子が孟徳様の御子と言うだけでその身を追われるのなら‥‥」
たとえ自身の手で育てられなかったとしても、生きる道を選んでやりたいのだと切に訴えた。
死なせる為に生むのではない。生きて欲しいからこそ、曹操との愛が真実であった証だからこそ‥‥生きて欲しいと。
「仲達‥‥もし、次の世代になった時には‥‥自分の持っている全ての知識を明かすわ」
「そなたの知識‥‥」
「貴方が子供の命を保障してくれるのなら‥‥私は貴方のために全てをかけます」
曹操の次の世代になった時、仲達の為に動くと言い切る柚。
「悪女として名を連ねようと、構わない。だから‥‥」
「‥‥この戦を利用せねばならなくなったか」
同意。
仲達は柚の腹を見て黙り込む。その意図を測ってか、柚は囁くように呟く。
「‥‥劉軍の主治医の華陀という人が、あと五ヶ月だと。早産になるだろうって‥‥」
仲達は馬を走らせながら、後ろを走る虎豹騎に合図を送る。
声を出さずとも号令の行き届いた彼らには、所作で誰を呼んだのか判る仕組みになっていた。風を切るように隣に並んだ黒ずくめの男が、仲達の支持をまつ。
小さく囁くように声を交わすと、男は一人団体から離れていった。
「仲達、孔明が動いて荊州の三城は劉軍が手に入れるわ」
「であろうな」
「驚かないの?」
周瑜が如何に水軍大都督と称されていようとも、その采配の凄さは水の上でのみ。
陸では孔明と徐庶の連携が凌ぐだろうと容易に推測できた。たとえ水上でも孔明が軍を指揮すれば、その軍隊は恐ろしいものになる。
赤壁での心理作戦や呉を同盟国にした手腕を評価しての答え。別段、驚くことも無いのだと笑って見せる。
「孔明という漢、戦を見るのではなく人を観て動く。故に心を推し量るのが尋常ではない」
「そうなると呉軍がどんなに策をめぐらせても‥‥どうにもならない?」
「時間稼ぎにはなろうが、根底は覆せぬであろう」
柚は仲達を見上げ、対等を装ってくれる彼の心遣いに感謝した。ただでさえ不安定なこの時期に、戦場を往来しているのだ。何よりも、体の変化が恐ろしい。
仲達が同意したことによって、悪女として気持ちを奮い立たせることができる。震える手で彼の衣を握りしめ‥‥後戻りできないのだと未練を振り切った。
愛する者を守る為、あえて禁じられた”歴史”を明かし始める柚だった‥‥。
読んで下さって、ありがとうございます。
毎日、一話ずつ投稿できたらと思います。
貴重なお時間を使って頂き、心から感謝します。
誤字脱字に関しては、優しく教えて頂けましたら幸いです。




