天地の嘆き 其の三
三国志の史実と演義の登場人物が出てくる中で、あらゆる策謀が渦巻く中、彼らとどう対峙していくか。
いつしか芽生えた孔明への淡い気持ちは、現代との違いによって苦しむ恋になった。
「ユウ殿、よいですかな?」
「‥‥あの、これではあまりにも‥‥」
結城の横で、風変わりな格好をした徐庶が笑っている。今迄着た事の無いような装束。
それは旅の商人風を装ったものだった。少しもくたびれた箇所が見当たらなければ 着るのを躊躇っただろう。
馬も痩せた牝馬で、到底‥‥濃師一行とは思えぬような様。
馬に揺られ劉備陣営を離れて丸一日が経つ結城達。彩豊かな衣装が風に靡いて、行き交う者の目を引く。
「ここはもう南郡城近くなのですか?」
「城はまだ先。ここから迂回して城を遠くに見通せる場所に行く」
「えっ‥‥城の近くではないのですか?」
孔明の説明を思い出した結城は、後ろで手綱を操る徐庶を見上げた。
「いえいえ、黄殿は雑多な世間を嫌う御仁。おそらく、戦場となる家には居らぬでしょう」
「では何処に?」
「‥‥」
広大な土地を見つめて押し黙った。笑顔の無くなった徐庶の視線が物語る先。
「孔明様の‥‥奥方様‥‥」
「‥‥」
震える声が真実を露にした。
心拍数が上がり、何も考えられない状況に陥る。動揺を覚られないようにすればするほど、体が小刻みに震えた。
「ユウ殿、引き返しても誰も咎めない。賊に襲われたとでも言えば何のことはないのだ」
「元直様‥‥」
「それほどまでに心を傷めていては、見ている私も辛い」
そこまで言って徐庶は結城を見た。憂いを宿し、落ち着かせるように言葉を紡ぐ。しかし、結城は首を横に振った。
「違いますっ、私は男子。男の私が孔明様を‥‥違うっ!」
結城は徐庶の衣を掴んで叫んだ。そんな姿に徐庶は、目を伏せて結城を抱きしめた。驚く結城の耳元で小さく囁く。
「貴女が女子であることは、母から聞いていました」
偽りの言い訳。しかし今の結城に、それが偽りだと見破る余裕は無く。驚いた眼差しで徐庶を見つめる。
「何で‥‥元直様、何故‥‥今になって言うっ‥‥っ‥‥ひど‥‥い‥‥」
全てを知っていたのなら、孔明への気持ちも知っていたことになる。結城は信じられない気持ちを抑えることも出来ず抗った。
「奥方に会っては、貴女の傷は深まるばかり‥‥」
「どうして‥‥もう戻れないのに‥‥言うの‥‥」
「戻れぬ事は無い。貴女が望めば、孔明も‥‥」
孔明の名が出た瞬間、結城の顔が凍りつく。そして徐庶の胸に凭れ掛かり、堰が切れたように泣き出した。その肩を優しく包み込み、背中を撫ぜる徐庶。
「ユウ殿は限界を考えず、全て孔明に合わせようとしている」
「‥‥」
「それは軍にとって願っても無い事、しかし‥‥同時に貴女の心は辛い道を歩む事に」
反応も無くただ泣き続ける結城に語りかける。
「それでは、理想郷を創ろうとしている玄徳様の意志に反する事になるのです」
諭すようにゆっくりと。
「辛い時には辛いと。心を騙しては万民の為に生きることもできない」
「‥‥!」
ピクリと動きが止まった結城に徐庶は踏み込む。
「あの日、孔明と私は貴女の声を耳にした」
「うそ‥‥」
『柚殿を逃がしましたね?』
『同郷の方とはいえ、貴方がしたことは‥‥私への信頼を裏切ったことなのです』
孔明の言葉が走馬灯のように蘇る。
あの日、彼も徐庶と一緒に聞いていたのなら、孔明が言った言葉は不自然だ。結城は恐る恐る徐庶の顔を見た。
「それで良いのです。何も怖がることは無い」
「えっ‥‥」
「貴女が女子だと判っても、なんら変わることも無い。孔明に対しても然り」
何を言わんとしているのか‥‥読み取れず結城は怪訝な顔をした。
「孔明は貴女を欲している。政治・軍事・内政‥‥そして生きる道に。」
だからこそ対等に胸を張って孔明と渡り合って欲しいのだと告げる。孔明がそれを望んでいる以上、結城には超えなければならない壁。
「無理です‥‥奥様に‥‥」
「何を言われる。既に添うことを選んだ者は、その全てを受ける覚悟を決めている」
彼に従う奥方は、既に結城のことも容認しているのだと。それに関しては結城にも言えることで。
孔明という接点を介して、認め合うことができるだろうと徐庶は説いた。
「好きになった人の全てを‥‥」
愛するという事は、憎しみや嫉妬すらも超越した敬愛になるのだと。
「孔明の横に並ぶ‥‥容易いことではないが、貴女ならば」
孔明の兄、諸葛瑾の言葉に重なる徐庶の言葉。自身が孔明と歩む道を選んだ以上、逃げ出せない。
「肩の力を抜いて、本質から目を逸らさぬように。貴女が強くなるまで傍に居ましょう」
「元直様‥‥私‥‥っ‥‥孔明様のことが‥‥」
「素直に現実を受け止められた今、貴女は少しだけ強くなられた」
馬の手綱を持ち替えて、徐庶は笑顔になる。黄承彦に会いますかと尋ねられた結城は、涙ぐみながらも力強く頷いた。
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