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天涯地神伝  作者: 真白 歩宙
結城の章
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幽明の調べ 其の三

「朝もやがこんなにも綺麗だったなんて・・・」


 結城は渡り廊下の手すりに座り外を眺める。

 曹操が荊州(けいしゅう)に入って1週間が過ぎようとしていた。

 結城には仲達の持つ計略など判りもしなかったが、見えぬところで何らかの動きがあることは感じていた。


ヒヒーン。


馬の(いなな)きが聞こえ (とばり)を下ろした馬車が門へ向かって来る。あまりにも荒々しく闊歩(かっぽ)する様に、欠伸(あくび)が引っ込んだほどだ。


「何・・・・・今の?」


 奇妙な感覚が結城を包み込む。とりあえず、何でもよいのだ。仲達を起こさなくてはと。手すりからスルリと降りると、結城は仲達の部屋に向かった。


「仲達殿!」

「・・・・・このような朝早く・・・何用か?」

「今、帳を下ろした馬車が凄い勢いで門をくぐったけど・・・・。」

「ユウ殿・・・・今の私を見て何とも思わぬか?」

「え・・・・っ・・・・・失礼しましたっ!!!」


 叫びそうになるのを堪え、部屋を飛び出す。

 仲達は、夜に訪れても良いと言ったが、朝方は言っていないのだ。

 よくよく考えれば、相手は結城を女子と知っている訳で。年頃の娘が朝方、男の部屋を訪れるなど、しかも仲達は薄絹を(まと)っただけの格好。

 急ぎの馬車が通ったくらいで踏み込んで良いというものではなかった。


 後から冷静に考えれば赤面というより、、仕出かした事にへたり込んでしまった。

 どうにも鼓動が早まって仕方が無い。その間も、仲達が着替えているのか、壁を挟んで衣擦れの音がする。

 頬を押えて目を瞑り‥‥


― きゃぁ~ごめんなさいっ ごめんなさいっっ!! ―


と心の中で連呼(れんこ)する。


「いい加減目を開けたらどうだ?」

「え・・・・きゃぁ!」

「何という声を出すのだ・・・・そなたは。」

「あ、だって、でも・・・その・・・・・っ・・・ああ、ごめんなさいっ!!」


 目の前に近づけられた彼の顔を見ることが出来ず、結城は必死に謝った。

 当の仲達と言えば、くくっと、笑いを堪えているようで。結城の狼狽(ろうばい)()りを楽しんでいるようだった。


「そうだな・・・・貴重な時間を潰されたのだ。その責任は取ってもらおうか?」

「ええっ?!」


 顔が頬に触れ、耳元まで唇が寄せられる。心音が聞こえそうなくらい早まり、結城は手足を硬直させる。

 低い優しい声で‥‥


「そなたには(しと)やかさが欠ける故、詩経を写し提出されよ。」

「な・・・・。」

「それとも、私が時間を割いて教授せねば、淑やかにはなれぬか?」

「け・・・・結構です!」


 真っ赤になって拒絶する結城の姿は初々しく映ったのか、仲達は結城の姿が見えなくなるまで笑っていた。



「酷いっ酷すぎるっ!!」


 走り去ったものの、思わぬ宿題まで出された結城は書物庫へ向かいながら愚痴(ぐち)る。

 あの馬車が気になった。それを報告してこの在りようだ。結城が理不尽(りふじん)に思っても仕方が無い。


「信じられないっ!大っ嫌いっっ!」


 (すで)に男子で在るという事を忘れるほど、悔しさでいっぱいになった結城。

その声は書物庫に居た荀彧と荀攸を驚かせた。


「どうなされたユウ殿?」

「じゅ・・・荀彧殿・・・荀攸殿!」


 すっかり回りに気を配る事を失念していた結城は、冷や水をかけられたように固まった。

 先程までの真っ赤な顔が、今度は青くなっている。きっとこの場に仲達が居たら、腹を抱えて笑うだろう。


「何か・・・ござったか?」

「か・・・夏候惇殿までっ!」


 何故に天下の曹操陣営の参謀二人と将軍が居るのだと・・・・先程までの暴挙(ぼうきょ)を思い出し真っ赤になる。

 その姿に夏候惇は、何処か具合が悪いのかと近寄ってくる。堪らず結城は部屋に戻ろうとした。


「何をしておる。貴殿は『詩経』を探しに来たのであろう?」

「仲達殿っ?!」

「読むほど嫌いなれば仕方ないが・・・・くくっ。」

「き・・・嫌いって・・・。」

「では読むことだ。」


 そのまま唇を噛み締めた結城を見て、仲達は笑いながら城への廊下を歩いていった。

 残された結城はからかわれた悔しさに涙を浮かべ、それを振り払うように書物庫の入口をくぐった。

 仲達の豪快(ごうかい)な笑いと結城の真っ赤な顔を見て、夏候惇は荀彧に手にした書を戻した。



「・・・・・で、これは何なのだ?」

「『詩経(しきょう)』です。」

「・・・・・・・・詩の前に手習いが必要だったか・・・・。」


 仲達の(たく)の上には、結城が1日かけて写した『詩経』の一部があった。

 『詩経』とは中国最古の詩集で国風をうたった民謡が主だが 儀式・祭典等の詩も含んだ。

 その数三〇〇〇余りから孔子が選抜し儒教の経典としたものであった。

 確かに結城の字は美しいとは言いがたい。


 『何処を写されておられるか?』と夏候惇が心配したぐらいなのだから。

 丸字に近い文字を、筆で書き辛そうに写している様は、筆と(たわむ)れ・・・()しくは格闘しているのではないかと思うくらいに必死だった。

 それでも終わりの方は、荀攸に手解きをしてもらい、見れるようにはなった。

 その苦労を『何なのだ?』で済まされては、結城は悔しくて涙を溜めることしかできない。


 しかし、朝からの仲達の言葉に打ちのめされていた結城は、彼を見ることなくそのまま部屋を飛び出していた。

 上司に腹を立てて勤務中に会社を飛び出すOLなど聞いたことが無い。

 それはこの時代でも同じこと。仲達は怒っているだろうと結城は思った。


 だがそれよりも、泣き顔を誰にも見られたくない。

 現代人の結城にとって、この世界で生きる寂しさもあれば、誰かを拠所(よりどころ)にしたいという甘えもある。

 まだ、自身の置かれた境遇(きょうぐう)を完全に受け入れるには時間が必要だった。



「仲達殿、あれでは・・・あんまりではございませぬか?」

「当面はあれで目一杯であろう。それで良い。」

「しかし、それでは貴殿が・・・。」

「それよりも、あの件は公にしてはならぬ・・・・仲徳殿。」

「公達殿も動いておられるので、まず心配は無いでしょう。」

「・・・・仲達殿、拙者・・・嫌な予感がしてならぬ。」

「夏候将軍、貴殿らしかぬ発言ですな・・・。」


 仲達の部屋に入ってきたのは参謀達と四人の将軍であった。

 彼らが何か、策を廻らしているのは確かだったが、各面々・・・乗り気でないのは雰囲気から察知できる。


「あの御寵姫にはほとほと・・。。」

「今に列女(れつじょ)として悪名を(とどろ)かせるであろうが・・・我君には不要な事よ。」


 更なる会話で柚が関与していることも伺える。

 それが何なのか、今はまだ判らない・・・・。


 歯車は回り、拍車をかける・・・・。



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