天命 其の六
三国志の史実と演義の登場人物が出てくる中で、あらゆる策謀が渦巻く中、彼らとどう対峙していくか。
いつしか芽生えた孔明への淡い気持ちは、現代との違いによって苦しむ恋になった。
結城は一人暗闇の中で泣いた。悲しさに包まれた心は、引き裂かれそうにもがいている。瞳を閉じれば、仲達の姿が浮ぶ。
― そなたの居場所はこの腕の中にある! ―
行けば幸せな道を歩めただろうか‥‥そう算段している自分に嫌気がさして‥‥頭に木霊する仲達の声をはらった。
― ユウ、貴方は私について来れば良いのです ―
「‥‥な‥‥んで‥‥今頃‥‥‥‥」
様々な声が浮んだが、最後に浮んだのは孔明の声で。優しく穏やかな声と彼の温もりが蘇える。
孔明には妻が居る。この時代の女性の心を思うと、それを認めてしまうわけにはいかない。
小喬の美しい顔が凍りついた時や、貴方なら我慢できます‥‥と告白した時の悲しさを宿した瞳。
愛する人の一番でありたい。
そう願うのは男女共に同じなのだ。
時代や慣習が違ったとしても、この世界では男性なら所有欲や女性ならば独占欲といった恋の形があった。
ただ孔明達の慣習は”恋愛観”といったものを公に出さない秘められたもので。何よりも政略結婚や身分相応の引き合わせによる本人の意思に反した形が多いのも否めない。
言うなれば、恋と愛は別物だということだ。
彼らの観点は、女性を守ろうという愛情からきている。
とは言え、一兵卒ならまだしも、民衆と国を導く軍師参謀の彼らには仁慈的な気持ちも存在していた。
それらを結城や柚に理解しろと言っても詮無いこと。
柚は自身の気持を抑え、曹操との幸福な時間を過ごすため妥協した。だからこその‥‥忠告。
しかし、結城には柚のやり方は受け入れられなかった。恐らく、それをやれば‥‥孔明に凭れかかる人生を送る事になるから。
そしてそんな道を歩む自身から孔明の気持ちが離れる事も。
形の無い愛を‥‥孔明と築き上げるのは‥‥多くの障害を越えて歩み寄らなければ成されない。
「‥‥どうして‥‥‥‥」
ふと気がつくと 結城は絶望的に呟いた。
暗闇を彷徨っていた筈だったが 無意識に足が辿り着いてしまった。
「‥‥ユウ、戻ってきたのですね」
「孔明様‥‥」
天幕の中から孔明の優しい声が聞こえ、結城は入り口に佇んだまま、溢れる涙を拭うこともせずに唇を噛み締めた。
彼の声を聞いて、安堵している自身に驚いたのだ。
「‥‥黙って出て‥‥すみません‥‥」
「貴方に聞きたい事があったのです」
「‥‥はい」
一呼吸おいて、孔明は静かに‥‥そしてあやすように言った。
「柚殿を逃がしましたね?」
「っ!!」
「同郷の方とはいえ、貴方がしたことは‥‥私への信頼を裏切ったことなのです」
怒りも軽蔑も、何も感じられない声色。だからこそ計り知れない。
「この罪を、貴方はどう償われるか?」
淡々と告げられる言葉に、先程の大天幕での記憶が蘇える。ここには結城を庇ってくれる人間は居ない。
「‥‥これからは‥‥万民の‥‥為に‥‥生きます‥‥」
「それは不要でしょう」
「えっ‥‥」
「その気持は、玄徳様と私が持っていれば良いこと。貴方は臣下としての忠義を弁えていればよいのです」
「‥‥はい‥‥」
震える声を悟られたくなくて、小さな声は消え入りそうなくらいで。
ところが、その懸命な努力も‥‥掴まれた腕を引っ張られ、天幕の中に引き込まれて泡となった。
「そのような泣き方は‥‥私の前では不要です」
「‥‥!」
「ユウ殿、これだけは覚えておきなさい」
強い力で抱すくめられ、結城は驚いたように孔明を見上げた。
「貴方には私の為に生きてもらいたいのです」
「!!!」
「これから荊州を手中に収め、蜀を手にしなければ玄徳様の志は果たされません。
それには元直殿をはじめとする参謀方。それを束ねる私が力を発揮せねば成し得ない」
そこまで聞いて結城は孔明から逃れられないことを悟った。今‥‥自身が決断したのだ。
それを彼が逆手に取ろうと、それは彼の非ではない。
「ユウ殿が”万民”を憂うのであれば、その場を提供するのが務め。私の横に並び、濃師として軍師の私に仕えて下さい」
「濃‥‥師?」
「参謀と変わりませんが、民の生活を改善して見守る役目です。貴方の望みと合うでしょう」
それならば徐庶の下でも良い筈だと考えたが、それは口にする前に封じられた。
「軍事と政治‥‥内政‥‥これらの均衡は三分両立して成る。国庫の守り役が私と並び立たないで如何んとされる?」
「私には‥‥」
心が張裂けそうになりながら、断る気力も萎え。体から力が抜け、孔明にもたれるようにして答えた。
「孔明様が‥‥それを望まれるのなら‥‥」
震える声で答え、静かに涙する。他ならぬ愛した男性が、自身の力を欲しているのだと。本望ではないかと‥‥言い聞かせて。
隠せない気持
誰よりも貴方が好きだと
気付いてしまわなければ、苦しまなかった
「明日の軍議にて、貴方を推挙します」
「‥‥」
「今ならば、恨み言の一つも聞きましょう。それ以後は如何なる言葉も受け入れません」
― ああ‥‥この人は‥‥孔明様は‥‥ ―
薄暗い中で遠くの篝火が孔明の顔を浮かび上がらせる。その瞳の色が哀愁に染まり 、彼が恨まれると判って自分を追いつめたと悟った。
「孔明様の中に私の居場所を作ってくださったのなら、何処までもついて行きます。私は濃師なのだから‥‥」
― 斯様な道を歩ませた私を恨まずに‥‥慕ってくれるのですね‥‥ ―
― しかし、私はそれ以上に過酷な道を貴女に強いるでしょう‥‥ ―
「先に休んでいなさい。私は玄徳様の所へ行きます」
長い沈黙の後、孔明は穏やかな声で告げると天幕を出て行った‥‥。
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