天命 其の一
三国志の史実と演義の登場人物が出てくる中で、あらゆる策謀が渦巻く中、彼らとどう対峙していくか。
柚は長い眠りから覚め、体を震わした。見上げる天井は布のような天幕だ。
「おお、気がついたか」
「‥‥貴方は?」
「華佗と申す医者での、案ずるな」
記憶が錯誤しているのか、柚はゆっくりと辺りを見回す。
天幕の出入り口の所に立っていた影が動き、ゆっくりと華佗の方へ歩み寄る。薄暗い明かりの中ではそれが誰なのか見定めることも出来ない。
しかし、柚には判るのか、震える体を起こして平伏して礼を尽くした。
「曹公のご寵姫、柚殿よ‥‥先の事は忘れられよ。我母はユウ殿の手引きで命を救われている」
「えっ‥‥うそ‥‥」
「柚殿がユウ殿の友であろうと‥‥母を失っていれば、この元直‥‥許しはしなかっただろう」
「‥‥生きて‥‥生きて、いる‥‥」
「左様。我母御は健在。故に貴女への怨恨はありはしない。これで御納得できるか?」
「‥‥よ‥‥よか‥‥っ‥‥」
柚は徐庶の裾にすがり付いて泣いた。何よりも人を殺めることの恐ろしさと罪深さを教えられた現代。だからこそ、徐庶の母を追いつめた事を悔やんできたのだ。
間接的であったとしても、言葉が人を追いつめ‥‥その人が傷つくならば‥‥その者は舌刀を使った事になる。
言葉でも人を追いつめ、殺めてしまうのだ。言葉は生きているのだと。
柚は生まれて初めて、その身に思い知った。物事の善悪を知っていようと、本来の生活で実践されなければ意味が無い。
今ここに彼の母が生きていたことを、柚は感謝せずにはいられなかった。だからこその ”良かった”という言葉。
毎夜、魘されるほどに恐怖し、怯えていた彼女の体は弱り果てていた。
冷たい水に落ちたぐらいでは、あのような状態に成り得ない。徐庶もそれを汲み取ったからこそ、敢えて今柚に告白したのだ。
彼女は充分苦しんだのだと。
「これ、元直殿、娘御を苛めるのはその辺にせい」
「華佗殿、これは御寵姫にとっても私にとっても大切な事なのです」
柚の姿に華佗が助け舟を出す。しかし、実直な徐庶はやんわりと聞き流した。
「何を言っておる!心配事をとってやったのなら貴殿に用はないわい!」
「‥‥あんまりな言い様ですな‥‥」
「当り前じゃ!」
華佗は柚に薬湯を渡し、諌めるように言った。
「腹の子に何かあったらどうするつもりじゃ‥‥折角助かった命を、今度は貴殿が紡ぐのか?!」
「えっ‥‥?!」
小さく添えて笑っている華佗を、驚きの眼で柚と徐庶が見る。
「曹公の‥‥」
「!!」
呟くような言葉に柚の体はびくりと振るえる。この時代、怨恨が残る種は摘み取られるのが慣例。
しかし今度は華佗が何かを言う前に、徐庶自身が付け足した。
「案ずるな。我君はそれで貴女を如何こうするような御方では無い」
「‥‥元直様‥‥」
「それでも心配ならば、私が貴女を見受けよう」
「!!」
率直な物言いであったが、身の安全を約束しようと言う彼の計らい。徐庶の妻として迎え入れられれば、お腹の子も彼の子として育てられる。
無論、柚に対して”妻”という役割を求めているわけでない。不安を取り除くための大義名分なのだと。
徐庶の男気に柚は深く‥‥深く感謝した。
「早く元の貴女に戻られよ。ユウ殿もそれを望んでいるだろう」
「‥‥かの‥‥いえ、彼は今?」
「緊張の糸が解れたのか、孔明殿の天幕で休んでおる。直に目覚めて此処へ来るだろうが‥‥」
結城と話す前に柚自身も休息が必要だと徐庶は付け加えた。部屋の雰囲気は温かく、柚が横たわるのを確認すると彼は華佗に黙礼して出て行った。
時は人の心を穏やかにし 一時の休息を与える‥‥。
もし、怒り狂うことが遭ったとしたら‥‥
もし、悲しみに覆われることがあったとしても‥‥
感情は時が解決してくれるだろう。
何よりも、人を許すことが大切なのだ。
自分を傷つけた人間を許さず裁けば、同じ事が繰り返されるだろう。
時にはそれも必要かもしれない‥‥しかし‥‥
人は既に学んでいるのだ。
怨恨からは‥‥怨恨しか生まれない。
穏やかに、そう願うならば‥‥寛大な気持と寛容な心で相手を向かい入れたいと。
読んで下さって、ありがとうございます。
毎日、一話ずつ投稿できたらと思います。
貴重なお時間を使って頂き、心から感謝します。
誤字脱字に関しては、優しく教えて頂けましたら幸いです。




