白龍の逃避行 其の四
三国志の史実と演義の登場人物が出てくる中で、あらゆる策謀が渦巻く中、彼らとどう対峙していくか。
「お気を確かに持たれよ寵姫殿・・・・・。」
夏候惇は布に包まってピクリとも動かない柚を覗いた。走る馬の振動が辛いのか、じっと目を伏せたままでいる。
途方も無い焦りが打ち寄せて、まだ暗い西の彼方を見た。
東の彼方に赤壁の大火が見える。耳を澄ませば、追っ手と思しき小隊の蹄の音が聞こえて来た。
「この身に変えましても‥‥必ずや孟徳様の元に!」
きつく抱きしめる腕は強く、しかし柚が苦しまぬように優しく支えている。身近に迫った小隊の先方が火矢を放った。
闇夜に乗じて逃げているにも関わらず、自分達の居場所を推測できる者が追撃主となったのだと覚悟する。
馬の嘶きと蹄が辺りに分布して、夏候惇を追いつめた。
これ以上柚に負担をかけることはできない。
「隻眼の武将‥‥そこを行くは、曹軍の夏候将軍と見る!」
「‥‥雉の羽を目印に、白馬に跨るは、呉の周都督か。」
お互いに松明の炎に照らされて、特徴を掴んだのか。矢継ぎ早に相手の正体を明かす周瑜と夏候惇。
次に周瑜の視線が夏候惇の腕の中に注がれる。馬をあしらいながら、退路を見つけるべく注意を払った。
しかし、相手は呉の軍師、周瑜公瑾。迂闊に手を出せば、柚の命も危うい。
「夏候将軍、投降されよ。さすれば、貴殿が抱いている曹公のご婦人にも危害が及ぶ事は無いだろう。」
「口約束などは、この元譲信じるに及ばん!」
夏候惇が厳しく言い放った時、腕の中の柚がゆっくりと目を開けた。
「ご無事か?!」
「元譲‥‥苦しい‥‥少し手を‥‥」
体勢を起こして馬上から周りを見渡し柚は、ああと、小さく頷いた。そして夏候惇の耳に小さな声で囁く。
「あなたが死ぬと‥‥孟徳が悲しむわ」
「何を仰いますか!」
「切り抜ける良い考えがあるの。簪をとって‥‥」
「‥‥」
柚が考えていることを把握できない夏候惇は言われたことに不安を感じた。曹操にしたように、自身を犠牲にするのではないかと。
しかし、自分は活路を見出せない。
「私、あなた達が私とユウを比べているって‥‥妬んでた」
「‥‥」
「比べられても仕方が無かった。けど、やっぱり普通の女の子として見て貰いたかったの」
「‥‥」
「ごめんね。こんな時に言われても困るよね。お願いがあるの」
「‥‥ご寵姫‥‥」
「私は‥‥死んだと伝えて。あなたなら‥‥あなた一人なら逃げ出せるでしょう?」
「柚様!」
驚く夏候惇の手を振り払い、悪戯っぽく笑う。
「やっと、名前で呼んでくれた‥‥ありがとう、元譲将軍‥‥」
戸惑う彼の腕からすり抜けて馬から下り立ち、最後の力を振り絞って簪を引き抜き、馬の尻に刺す。
悲鳴に近い嘶きが響き、前足を上げて馬は暴れるように走りだした。
夏候惇は振り向いたが、柚が強く言い放つ。
「それは私の形見。あの人に届けて‥‥お願い、元譲!」
鈴の音を転がしたような声に、戦乱の威圧的な空気も吹き飛ばされる。馬の尻に浅く突き刺さった簪を引き抜いて夏候惇は闇夜に消えた。
― これは何? ―
― そなたに似合うと思ってな。 ―
― きれい‥‥すてきね‥‥でも、いいの? ―
― 緑の色と朱の色がよう映えておる。 ―
― 孟徳、ありがとう‥‥大切にするわ ―
「柚殿と申されたな。私は呉の水軍都督 周公瑾」
感慨に耽っていた柚は、声のした方へ振り向いた。
馬から下りた周瑜は、恭しく頭を下げた。未だ布を頭からかぶっている柚には、周瑜しか見えていない。とは言っても、暗がりの中ではその影しか見えないのだが。
「ご無礼を許されよ」
「!!」
バサッと音を立てて、布を剥ぎ取る。松明に囲まれた明かりの中で、布を舞わせた周瑜が見たものは‥‥
息を呑むほどの麗人。小刻みに震えているのは、自分に対する恐怖からだろうと判る。
しかし、目は頑として周瑜を見据えて動じない。
ユウと同じく自分に物怖じしない娘が居るとは‥‥周瑜は心の中で小さく笑った。
「我主、孫公の元へ来て頂く」
「私は死んだと伝わります。貴方がどのような知恵を出しても孟徳様には通じないわ!」
「何と気の強い‥‥」
驚きつつも、小喬にない強さを感じて頷く。自分は頑なな娘に弱いのだと。
「悪いようにはせぬ。人質という訳でもなんでもない」
「‥‥どういう‥‥」
言葉の真意を量りかねていると、周瑜は柚を抱き上げて馬に乗せながら話し出す。
「そなたには大喬様か私の妻小喬の相手をしてもらう。若しくは・・・・相応しい御仁に娶ってもらうか‥‥」
「・・・・・私は孟徳の寵姫なのよ?!」
「だが、もう死んだ事になっておられる」
柚は二の句が継げなかった。よりによって、相手に出し抜かれるとは。
「‥‥」
「どうした、先ほどの威勢がないな」
少し苛めすぎたかと、腕の中を見下ろした周瑜は馬の速度を遅めた。馬の揺れが酷かったのか、柚は震えながら周瑜の懐に掴まっている。
青ざめた顔と周瑜のマントを握る手が、その辛さを物語っていた。
「興覇、陸路では女性の身に堪え様、急ぎ船を用意して参れ!」
「畏まりました!」
周瑜は夏候惇の馬足が遅かった理由を悟った。追撃をしなかったのは、この先に控える劉軍の追撃主を知っていたため。そして、無駄な争いで兵を失いたく無かったためである。
夏候惇の武勇は、遠く呉まで聞き及んでいる。何百の兵に値する将軍。
今は曹操の妾を無傷で連れ帰れば、孫権は納得するだろう。遠くの赤壁の大火に目をやり、勝利を実感する。
「‥‥っ‥‥」
「柚殿?」
あまりの苦しみように、馬の脚を止めて覗き込む。
その時、柚の口から信じられない言葉が発せられた‥‥
読んで下さって、ありがとうございます。
毎日、一話ずつ投稿できたらと思います。
貴重なお時間を使って頂き、心から感謝します。
誤字脱字に関しては、優しく教えて頂けましたら幸いです。
ゴールデンウイークを含む4/28~5/6は2話ずつ更新していきます。




