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天涯地神伝  作者: 真白 歩宙
結城の章

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32/147

謀略の明暗 其の四

 結城は朝靄(あさもや)が織り成す田んぼの畦道(あぜみち)を、あても無く歩いていた。

 赤壁の陣営から然程(さほど)離れていない農村は、これから起こるであろう戦火の緊張した雰囲気など微塵(みじん)も無い。

 ただ静けさの中に、美しい鳥の声と景色が広がるだけだった。


 結城は力なく(うずくま)った。

 その眼下に、畦道わきへ隠された竹槍(たけやり)が所々に置いてある。

 兵士だけでなく農民や婦女子に至るまで、(たくま)しくも”戦”というものを意識している。

 雨風に(さら)された竹槍は少しばかり色褪(いろあ)せて、その鋭さも失っている。

 原始的な武器が放つ殺気に、結城は身震(みぶる)いして後退(あとずさ)りした。


「どうして・・・・そうまでして戦うの・・・・・・」


先日、開戦を促すような発言をした気持ちは何処へいったか。結城の頭は突きつけられた”死”の重みで混乱していた。

 その姿を遠くの森から見つめる六つの瞳があった。


 結城はまだ、その異変に気がつかない。



 鳥の(さえず)りが止み、一斉(いっせい)に飛び立っていく。

 突然の物音に結城はその方角に視線を走らせた。


「あ・・・・」


 そこには、明らかに曹軍の伏兵であろう男達が身構えていた。

 ギラリと光る剣の鋭さが、結城の足を(すく)ませる。


昇格(しょうかく)だ・・・・参謀(さんぼう)の首を取っていけば・・・・」

「俺が先に見つけたんだ!俺が報告する!」

()ち取ったヤツが報告すればいい」


 3人の男はひ弱そうな結城の物腰を見て、自分達の褒美を勘定している。

 結城は死の矛先が自分に向いてしまった恐ろしさと力の差に恐怖した。

 戦わないと・・・・殺される! そう思ったのは仕方の無いことだった。


 ここでは現代の倫理など皆無。殺らなければ自らが死を受けることになる。

怯えつつも、結城は畦道(あぜみち)にあった竹槍を構えた。


「黙って殺されてりゃぁ苦しまずにすむものを・・・・」


 はい、そうですか。などと承諾(しょうだく)できるわけが無い。

 まだ、女であることを知られるよりは(いさぎよ)く戦って死んだ方がましだ と決意したのだった。

 とは言っても、多勢(たぜい)無勢(ぶぜい)。真っ向から向かっていくには部が悪い。結城は畦道に沿って、近くの竹林の中に入った。


 竹が密集している場所では思うように剣を振るう事はできない。よしんば出来たとしても、縦に振るうか突く形になる。

 横に撫ぜるような動作でなければ、(おおよ)その太刀筋(たちすじ)は見極める事ができるのだ。


 竹林を走りながら、結城は3人の動きを見た。驚くほど冷静に見ることが出来る。ここ数日間で自分の中の何かが変わった。


小賢(こざか)しい男だ!」

「死ねっ!」

「くっ!」


 結城に男の一人が切りかかって来た。ヒュッと、空を切る音がして剣が結城の腕を掠める。

 痛みを感じるはずの腕からは、しきりに熱が広がりジンジンとしてくる。

 血は獣を()きつける。


 結城は青ざめたまま後退り、若竹に掴まり走り出す。

 追って来た男達へ若竹を離し、それはビュンと撓って一人の足を掬い、もう一人の額を打った。

 先日、周瑜が見せた技だった。


 そのまま走りながら結城は陣営に向かって叫んだ。

敵の伏兵だ!と。

 その声は深々とした林の気配にかき消されてしまう。


「ハァ・・・・だ・・・誰かっ!」

「待てっ!」


 その時、追い付けないと悟った男が剣を投げた。ザッ――!竹に当って逸れはしたものの、(ひるがえ)った結城の衣を射抜く。

 近くの木の幹に上衣を縫いとめられて、結城は前のめりに転倒した。落ち葉や雑草が体を受け止めたが、次の瞬間に体にきた衝撃(しょうげき)(うめ)き声をあげる。


「てこずらせやがって!」

「ううっ・・・く・・・・くるし・・・い・・・!」


 馬乗りになって結城の首を締め付ける男は、留めとばかりに手に力を入れる。

 意識の朦朧とする中で、結城は男の手や顔を引っかいた。次第に力が入らなくなり、目の前が回りだす。


ザシュッ!


 最後を覚悟した結城の耳に、何かを撫ぜるような音が聞こえる。不意に緩んだ首を抑え、力を振り絞って開けた視界は・・・・・・真っ赤に染まっていた。


「ユウよ、斯様(かよう)な場所で何をしているのだ!」


 呆然としている結城に容赦(ようしゃ)ない叱咤(しった)の声が飛ぶ。

それは意外にも仲達(ちゅうたつ)の声であった。

 何が起こったか判らない結城は、ただぼんやりと仲達の顔を見返す。


「大事はないか?」

「仲達様・・・お急ぎ下され、いくら虎豹騎(こひょうき)と言えど・・・・少数」

「陣の奥深くに居る筈のそなたが、何故(なぜ)斯様(かよう)な場所でこの様な事になっておるのだ!」


 的を得ている質問であったが、この場合の心配は余計とも言える。

 曹軍に従事していない結城が、どのような所在であろうと関係の無い話なのだから。しかし、結城は答えられなかった。

 あまりの出来事に、何故こんな事になったのか、何故仲達が此処に居て自分を助けたのか。

 冷静に考える事すら出来ていない。


「ふん、まぁ良い。そなたを手に入れる好機(こうき)


 横で急かす曹純(そうじゅん)を見て、仲達は結城に手を伸ばした。彼の部下が呉の小隊を目で捕らえている。

 結城を探しに来た部隊であることは明白だった。


「急がれませ。此方は陸路(りくろ)なれば勝ち目はござるが、船に乗らねばならぬ」

(そう)子和(しわ)殿、敵はこの場所を察知(さっち)してはおらぬ」

「ですが・・・・・」

虎豹騎こひょうき五人に竹を持たせ引き()って西に走らせよ。我等は北の船に乗り込む」

「成る程」


 五人の虎豹騎は、各自竹の葉を地面に()って走り去った。傍から見れば、多勢の騎馬隊が陸路を西に移動しているように見える。

 (おとり)として(あざむ)くには、丁度良い長さの竹だった。

 周瑜の放った部隊は西に移動していく。


 結城の衣に仲達の指が絡まる。衣が引っ張られ、結城は肌に滑る感触を覚えた。

何気なく自身の衣を見下ろす。


「ひっ・・・・」


 真っ赤な血が服を染め、近くには首と胴の離れた男が倒れていた。


「いゃぁぁぁぁぁぁっ――――!」

「ユウっ、(だま)らぬか!」

「仲達殿、部隊近くの草が今の悲鳴を聞き付けているでしょう・・・・今は諦め下さい」

然様(さよう)、我等の船では足が遅い・・・・」

「くっ・・・何処までも・・・・・・ユウよ、自身をしっかりと持つのだ・・・・・生きてまた遇おうぞ」


 仲達は歯噛(はが)みした。今、此処で(さら)ってしまえば手に入る娘を、返してやらねばならない。此処に来たのは結城を(さら)目論見(もくろみ)だったのだから。

 思いもよらず、陣営から離れたところで会ったのは、仲達にとって不利な形であった。

 工作を施して連れ去れば、時間稼ぎをすることが出来る。しかし、今回のように何の手も打たず離れた陣営で出会えば ”相手も探している”という事だ。

 双方、探すという行動をとっている以上、直ぐに追われる立場にもなり得ると言う事。


 特に今は結城が錯乱(さくらん)しているのだから、その娘を連れて逃げるには分が悪い。二人で馬に乗れば速度は減少するし、船に乗らねば対岸に渡ることが出来ない。

 周瑜と孔明が指揮をとっている状況では、結城を連れ去るのは無謀(むぼう)と言えた。曹純もそれが判っていたからこそ、何とか思いを叶えてやりたいと神経を軍隊へ向けていたのだから。

 結城の乱心(らんしん)が、予期せぬ方向へ進ませた。


ビュン!


心を乱しつつも結城は遠くの方で、木の幹に突き刺さる矢の音を聞いた。

チッ・・・と舌打ちする音も真直で聞こえる。

それ以上、意識は保っていられなかった・・・・・・・。



「ユウ殿、お怪我は?!」

「ユウ!」

「・・・・・・」

「しっかりいたせっ、気をしっかりと持つのだっ!」

「公瑾殿、恐らく西に向った者は(おとり)でしょう」

「孔明、貴殿は何とも思わぬのか?!」


 激情に結城を抱きしめる周瑜を馬上から見下ろして、孔明は羽扇を煽ると馬から降り立った。

 ユウと静かに声をかけたが、生気の失せた瞳が孔明を映すだけ。


「だから言ったのだ・・・・・そなたは宮殿の奥深くで待っていよと。孔明殿、ユウ殿は私が(もら)い受ける」

「それは本人の意思に任せたいと思います・・・・・が、その返答も今は聞けませぬ。その話は()え置きに」

「何故そうまでして傍に置く必要があるのだ。私には貴殿が”手放したくない”と言っている様に聞こえる」

「人の思いは双方在るもの。此処にユウ殿は居ませぬ故、詮索は無意味です」


二人のやり取りを横で見ていた初老の男が結城を抱き上げる。


公覆(こうふく)!ユウ殿に触れてはならぬ!」


結城を抱えた男、黄蓋(こうがい)字は公覆(こうふく)・・・という。老将(ろうしょう)は力無く自分を見上げる娘を気の毒に思った。


「御二方、今はこの方の手当てが先と思われるが・・・・」


 怒気を含んだ声色に、周瑜は眉をぴくりと動かした。理屈(りくつ)も通っているが、何よりも結城を抱き上げている事が腹立たしいのだ。

 その横を孔明は涼やかな顔をして、公覆(こうがい)殿頼みましたと通り過ぎる。そんな孔明の言葉や態度は、周瑜を煽るには十分だった。


 気に入っている娘を手放さないくせに、そのことを表立って公言しない。素振りも見せない態度が気に食わない。

 周瑜は黄蓋の腕に抱かれている結城に手を伸ばした。その瞬間、声にならない悲鳴をあげて結城は黄蓋(こうがい)(ふところ)にしがみ付いた。


拒絶。


 あまりにも尋常(じんじょう)ではない結城の態度に、孔明も足を止める。死を恐れる心が、争いも、異性をも、拒絶させた。


 悲痛な姿に、孔明は羽扇を握り締める。


その場に居た者は、その只ならぬ姿から結城と自身の間に、死に対する落差(らくさ)痛感(つうかん)した。


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