謀略の明暗 其の三
「ユウ殿、夜更けに出歩くとは感心出来ぬな。」
不意に闇の中から声がして振り返ると、結城の小さな体は声の主に捕らえられていた。
あっ、と声を立てたが、相手が怯む気配もない。
「公瑾殿・・・・・戯れはおやめください」
「私の気持ちは先刻申し上げた筈、まぁ、らしい反応だが」
「それよりも、この地に拠点を築いてどうするのですか・・・・」
私が口説いているのに一向に微笑む兆しもないとは、などと嘆くまねをする周瑜。
「公瑾殿!」
不謹慎だと抗議の声を上げる。
「この赤壁は地の理に叶っている」
「でも、曹孟徳殿の布陣する場所は大河を隔てた対岸。これでは、大きな戦を誘っていませんか?」
結城の悲痛な言葉に、周瑜は眼下の篝火を見て手すりに体を預けた。
布陣する場合、天幕を幾重にも張るのだが、孫権を慕う呉の豪族が快く屋敷を開放したため赤壁に布陣した軍を見渡す高台の屋敷に寝泊りをしていた。
城とは少しばかり勝手も違うが、軍が駐屯するには最適な場所。
手すりの下は低い崖になっていて天幕が広がっている。
「え・・・・」
「貴女は此処で大人しく見物されよ」
そう言い残して周瑜は屋敷の中に入っていった。
聞き取れないほどの声で囁かれた言葉に結城はその場を動けなくなった。
― ここに寝起きする者達全員が無傷な戦など・・・・あり得ると、そう思われるか? ―
死を見定めた言葉なだけに、結城の心にずしりと何かが突き刺さった。
現代人に生死を賭けた戦いなど理解できるのか?バーチャルなゲーム上では”経験がある”であろう。
しかし、ここでは現実での実践なのだ。痛みもあれば苦しみもある。
言い換えれば、グロテスクな血の臭う冴え冴えとした光景が繰り広げられる。
「私は・・・・・どうすれば・・・・」
先日の刃の痛みを思い出して、死闘が始まる赤壁を見る。
夜目に遠くまで見渡す事が出来なかったが、結城の恐怖心を煽るには充分すぎるほどの闇夜であった。
軍師参謀であるかぎり、人の死からは逃れられない。自分の即決が人の死を左右する。
今更ながら孔明や公瑾の置かれた立場の重みを理解した。
「おお、孔明殿。此方の書物庫に居られましたか」
「魯子敬殿」
「この度の戦・・・・ユウ殿を連れて参られるのでしょうか」
「いつかは通らねばならぬ道。先も後も無いでしょう」
「しかし・・・・・」
「心配は無用です」
孔明は平然とした態度で魯粛に答えた。その声は恐ろしく静かで穏やかだ。
当の本人は見慣れない書簡を見ては、蝋燭の明かりを頼りに何やら読み返している。
魯粛は孔明という人間が目論みなしに行動するような人だとは見なしていない。先日の矢の件で判っている事だけに、言葉自体が重いのだ。
しかし、気象を予測するだけではなく自分以外の・・・人間に対してそれが当てはまるか検討もつかなかった。
人がどう思うかまで判るのでしょうか?と。
懸命に周瑜の難題に立ち向かっていった結城の直向な顔を思い出して、魯粛は苦虫を噛んだような思いだった。
先ほどから述べているように、孔明・周瑜の二人は結城の甘さを見通している。
ただ二人、出した結論は違った。
乱世という中で生き抜いていくには、非常なまでの過酷な現実を受け入れなくてはならない。
周瑜は小覇王と言われた孫策と義兄弟の契りを交わして戦乱の世に出。二人揃って大喬・小喬の二喬を花嫁に貰った。
無論、妻である小喬に戦乱の大事小事を教える事もない。女性は屋敷の奥で愛でるものと。
以前、孔明が仕掛けた際に小喬に『下がりなさい』と言った言葉からしても、彼らしい対応だった。
そして、孔明の方は隠遁な生活をする前は各地を兄の諸葛瑾と歩いてきた。
当然、現実を見ぬ女子がどのような目に遭うかも承知の上なのだ。戦に負ければ良くて戦利品として扱われるか、兵士達の慰み者になってしまう。
知らない事は自身の首を絞めて余計な悲劇を生む。
両者、”守るべきもの”と結論は出ているが両極端であった。
それを解しているだけに、魯粛は言い難い思いに悩んでいた。
深い闇の中に影が忍び寄る・・・・・・




