謀略の明暗 其の二
「仲達殿、此方にいらっしゃいましたか!」
「程仲徳殿、徐公明将軍・・・斯様な場所まで如何された」
程昱の呼びかけに、思案を中断させる。
後ろに徐晃を従えて現れた二人に仲達は視線だけを向けた。
「今回の件、孟徳様の本意では・・・」
「良いのです、私には”反骨の相”があると前々から”善し”とは思われておりませぬ故。」
「仲達殿?」
皮肉めいた言葉を発した仲達を不思議に思い、二人は傍の森に注意を寄せて納得した。
寵姫である柚の間諜が三人を見張っているからだ。
気にする風もなく、仲達は程昱と徐晃に笑った。
「私も日頃の処務が山積み故、後方に控えて北や西の部族の憂いを除く事に専念します。」
謙虚に、そして不服申し立ては無いと引き下がる態度を取る。
この場合の不服とは曹操に対してではない。
というのも、先日仲達は曹操に呼び出された。
西涼の馬騰討伐後の長子である馬超を返り討ちにした後の残党の動きを気にした曹操に、後方に控えて憂いに備えよと言い付かったのだ。
その影に寵姫柚の陰謀が見え隠れしていたが、曹操がそんな事で仲達を遠ざける筈もなく。
理論的に導き出された形であると踏んだ。
しかし、感情論は穏やかではない。
浅知恵の者であれば即座に反論しただろうし、不服を申し立てただろう。
だが、仲達は甘んじて受けたのだ。
名門、司馬一族の者が宦官出の曹操に仕えて、尚且つ戦場で理不尽な扱いを受ける。
それでも、司馬の跡取であるからこそ仲達は笑って時を待った。
状況を見れば、これから大戦が始まると予測がつく。
その場を離れるのは、総指揮の軍師を降りることである。
功績を残したいと思うのであれば、不服も募るばかり。
だが、司馬懿仲達という男はなかなかどうして、今を楽しむかのように受けた。
程昱や荀彧達にはその後ろに隠された想いを汲み取って、残念ながらも協力を申し出るに至っていた。
「して、彼の人は?」
「仲徳殿、今は軍の大事。故に、それに専念するまで。」
「‥‥詮無きことであった。許されよ仲達殿。」
「今回は曹子桓様や曹子和殿もいらっしゃる。」
「何と、では虎豹騎も・・・。」
曹子桓とは曹操の嫡子である曹丕。字を子桓という。曹子和とは曹操の従弟で曹純。字を子和といった。
曹仁とは同異母である。
徐晃が驚いて虎豹騎と洩らしたのは、ちょっとした理由がある。
通常、騎馬隊の統括者は張遼や夏候惇であり、その士気を一任されている。
しかし、虎豹騎は個別の、全く軍とは別格扱いの少数で成り立っている最強騎馬部隊である。
その権限は曹操直下であったが、今では従弟の曹純が担っていた。
彼が行くのなら、無論”虎豹騎”も動く。
「私はあくまでも後方維持です。」
「成る程。」
それでは、と程昱は礼をして去っていった。
目の前の大河を見て仲達は、くくっと咽を鳴らして笑った。
「愚鈍な果実は見切れば甘美なものよ。」
肩を揺らして歩く仲達の思惑。
何処かで何かが回り始めていた。
「荀彧よ、急ぎ戻って内政を整えよ。」
「畏まりました。」
曹操は恭しく礼をする荀彧を見て頷く。
今回の戦は少数の劉備を討って早々に引き上げるつもりでいた。
しかし、予想外の軍師が現れ、呉と劉備と劉琦率いる軍と対峙することを強いられた。
周到な彼は多くの参謀を都に残して留守を守らせていたが、どうにもこうにも外交や兵糧の要である内政に不安を感じた。
人材が豊富ではあったが、彼が安心して留守を預けるには些か物足りない。
いつもなら、荀彧と荀攸の二人を置くのだが、今回に限って遠征に従軍させていた。
日数が過ぎるほど、遠く離れた城が気になる。
思ってしまえば即実行、曹操は荀彧を都へ戻す決意を固めた。
「では私はこれで・・・・」
「うむ。途中、曹純の元へ行き”思うように動いてやれ”と伝えよ。」
「・・・・畏まりました。」
荀彧は目前で笑みを浮かべる曹操を見て、ふと心が緩んだ。
厳しさの中に豊かな優しさがあるのだ。
曹純は仲達に同行する。
思うようにとは、即ち仲達の願いを叶えてやれということ。
「このような扱い方をされては、素直に受けるかどうか・・・・」
「荀彧よ、あれは素直などとは程遠い。好機は逃さず使う強かな者よ」
「これが最良と仰いますか・・・・」
「どう思うかなど、構わん。要は目的と利害が善き方へ転じていればな」
「人心を大切に・・・お考え下さいませ」
そう言って引き下がる荀彧の後姿が消えると、曹操はパチンと手を鳴らした。
「どうであった。」
衝立の陰から出てきたのは程昱。
深々とお辞儀をして先刻の仲達の意志を告げる。
それを聞いた曹操は面白そうな笑みを浮かべて、椅子に凭れかかった。
寵姫の柚がユウの失踪を理由に仲達を失脚させようとしている。
逆恨みもいいところなのだが、大義名分はたつだろう。
総指揮をする軍師から降ろし、自由にするには打って付けの理由であった。
別段、柚に翻弄されて決断したのではない。
周囲がどう受け取ろうとも、曹操自身全く以ってどうでもよい事。
女は愛しいが、愛でるだけ。
戦や政に関与させれば、ろくな事にはならないと歴史が物語っている。
以前、曹操は雛氏と甘い蜜のような恋に溺れ大切な部下であった猛者の典韋を失っている。
それ以後、色を求めても我を忘れて溺れる事はなかった。
柚の件にしても、乱世というこの時代に相応しい悪女ぶりだと笑って見ていた。
遊び心が心を寛容にも寛大にもさせている、そんな男なのだ。
「しかし、斯様に求めるとは・・・母御の影は色濃く心に残っておられるようで・・・・」
「仲徳、男は常に面影を女に求める」
「確かに・・・・」
頷く程昱に曹操はまたもニヤリと笑った。




