謀略の乱 其の二
結城は眼下に広がる水面を見ていた。
柴桑城の中に作られた蓮池。
ほうっ、と溜息をついてばかりいる。
力なく凭れる様は宮中に住まう姫のよう。
その仕草の一部始終を見ていた陸遜は、その横に立つと驚かせないように声をかけた。
「何をそんなに悩んでいるのです?」
「陸遜殿・・・・・・」
「先程、見事な進言をなさった方とは思えませんね」
笑いながら観覧の席に腰掛ける。
― 進言・・・・・ ―
「そう・・・・だよね」
「まさか、後悔されているのですか?」
「・・・・・・自分の言った事の重さは判っています。ただ・・・・」
もっと言いようが無かっただろうか、と心を痛めていた。
相手に余談を起こさせず、此方の術中に抱え込む企業戦略の話術。
選択肢を与える”振り”をして答えを突きつけるやり方は、結城の最も嫌うやり方だった。
言葉は”居合”と同じなのだ。
踏み込めば切り込まれる。
孫権は結城を若輩者と決め付けて踏み込んだ。
無論、不意を突かれた反動で結城は切り込んでしまった訳だが。
「ただ・・・・呉の人にも大切な家族が居るんだよね・・・・・・」
ポツリと言った言葉に陸遜は絶句した。
あれほどまでの遣り取りを文武百官の前で繰り広げながら、相手の事を思いやっているとはと。
「私は貴方のそう云う所が好きなのですよ」
「え・・・・・?」
「このまま呉に居ませんか?」
「陸遜殿?」
「此処に居れば戦を知らずに済む」
結城は慌てて首を横に振った。
その時、貴賓室の扉が開き、孔明と魯粛が入って来た。
「ユウ殿、先程の口上・・・・見事でございましたな。お疲れでしょうが、これから孔明殿は周都督の元に参られる。」
謁見に参加していなかった周瑜が夜、屋敷へ戻るというのだ。
孔明はこれからの為に、最も難攻な彼を説得しに行く。
魯粛の言葉には、着いて参られよという意図が含まれていた。
「周瑜都督殿のお屋敷ですか。」
立ち上がった結城は、これから孔明と周瑜の論争が起こると感じた。
チクリ、と下っ腹が痛くなる。
「小喬殿に伺った処、都督が戻るまで屋敷で寛がれるように言われましてな。」
「ほぅ・・・・小喬殿と言えば、あの二喬の。」
孔明は静かに返しながら、彼女を褒め称える。
大喬小喬と云えば橋玄の娘で絶世の美女。姉の大喬を孫策が、小喬を周瑜が娶っている。
結城は孔明の言葉端から彼女の情報を覚える。
― 傾国の美女、そんな感じの人なのかな・・・・・ ―
屋敷の門をくぐり、手入れされた庭園を進む。
自然と心躍るのは自分と違う境遇の同性に合える気持ちからなのだが。
「ユウ殿、小喬殿は周瑜様の妻ですから一目惚れしても駄目ですよ。」
「はぁ・・・・?」
「赤面するほど図星ですか?」
「り‥‥陸遜殿っ!」
客間に結城の素っ頓狂な声が響く。
魯粛は、お若いですなと助け舟をだすが焼け石に水で。
ますます結城の顔は真っ赤になるばかり。その横で陸遜は腹を抱えて笑う。
「小喬様が参られました。」
女官の声がして客間に現れた女性に結城は息を呑んだ。
美しいと言うような表現では言い表せないくらいの、気品と愛らしさを纏った女性。
声は鈴が鳴るかのようで、同じ女性である結城でさえも心を奪われそうだ。
― 周瑜って人は凄い人なのかも・・・・ ―
美女を娶っているから凄いというのではなく、結城の脳裏に上司の言葉が蘇える。
― 男の善し悪しはその妻を見れば判る。家庭を作り出すのは女、その空間で寝起きを共にしていれば似てくるもんだ。 ―
要するに、自分の部下を把握したいなら妻から学べと。
妻に品位があれば、無論、家庭はそういう空間になる。
夫婦同伴でのパーティーで、酔った上司が課長に言っていた言葉である。
圧倒された結城は紹介の席で呆然と我を忘れていた。
「ユウ殿・・・・お加減でも?」
「・・・・・は素晴らしい方なのですね・・・・・・」
感心したようにポツリと洩らした言葉に小喬は頬を染めて微笑む。
結城の言葉は周囲を和ませ、孔明は魯粛と書について語りだした。
小喬は陸遜に、庭を案内しましょうと提案する。
それは結城に向けられての言葉であり、陸遜は驚きつつも彼女の提案を受けた。
都督の妻自らが、他国の使者の相手をするなどありえない。
挨拶程度で引き下がるのが常識だった。
「今は梨が実っているのですわ。」
「あ、あれはアケビですね。」
紫の実がなった蔓を指し示しながら進む。
陸遜は二人の後ろから歩いていく。
― これでは、姉妹と言っても誰も疑わぬな。公瑾様が見たら笑われるだろうが・・・・ ―
伯言殿と声を揃えて呼び、可笑しくなったのか笑い出す二人の娘を陸遜は微笑んで見た。
小喬のほうも、自身が男性相手に警戒していない事に驚きながらも歩みを進める。
不自然さが無いほど、打ち解けていた。
― 私も女性として生きることを選んだら、こんな感じで暮らせたのかな ―
小喬の笑顔が眩しく、結城は遠くの空を見上げた。
その夜、周瑜公瑾は帰宅後、孔明と面会した。




