東呉の誘い 其の一
伯言と会ってから数日が経ったある日。結城は廊下で孫乾に呼び止められた。
「ユウ殿、今、東呉より使者が参っておられる。急ぎ、孔明殿の所へ。」
「東呉の使者・・・・・?」
― 使者が来た事と、私関係あるの? ―
首を傾げながらも貴賓室に向かう。途中、扉の外で待っていた関興にせかされ、結城は扉の前に立った。
こんな形で文官としての仕事がこようとは思わなかったのだ。
「安心しろよ、立って自然に振舞ってればいいって孔明様が言ってた。」
「関興殿・・・・ありがとう。」
重く開け放たれた扉をくぐり、手を胸の前で組んだ状態で奥の中央に座る劉備の前まで来る。
丁度、使者の斜め後ろの場所で立ち止って、深く礼をする。
面を上げるのが恐い、外から差し込む光がまぶしく時間が止まってしまえばと思ったくらいだ。
「お呼びでございますか・・・・。」
自分の声が響き渡り こんな声をしていたのだろうか? と驚くほど緊張している。
それでも目を開けないわけにはいかない。
ゆっくり 伏せられた瞼を開けて劉備を見た後 使者の方へ視線を走らし小さく一礼する。
「おお、貴方が先程お話にあった佐倉ユウ殿か。私は魯粛子敬と申します。」
「魯粛殿、ユウと申します。」
「成る程、龍が白き珠を光らせて舞い降りるが如き、貴方は理知の光に包まれている。
孔明殿が東呉へ使者として立たれる間、共に来られて見聞を広められよ。」
一瞬、何を言われたか判らない結城は動揺を隠して孔明を見た。彼は羽扇を泳がせて頷くと、魯粛と結城の前に歩み出た。
「魯子敬殿はユウ殿を白龍と見立てるか・・・・・なれば、お言葉に甘え使者として二人参りましょう。」
― 白龍・・・・使者? ―
結城はただ、目の前の人の良さそうな魯粛を見るしかなかった。
「子瑜殿には昵懇に願っております。」
子瑜とは孔明の兄、諸葛瑾のことである。孔明が仕官する以前より先に東呉の孫権に仕えて補佐役までになっている人物。
恐らく、孔明に誠意を見せたかったのだろう。兄と親しくさせてもらっていると謙虚な言い方だった。
「劉備殿にはこれより、対岸の樊口へ駐屯されるがよろしいかと。」
「玄徳様、早々に移られませ。」
「魯子敬殿・・・・お心、感謝する。」
「私は一足先に戻り、主にこの旨を伝え、説き伏せましょう。御使者として参られる日を待っていますぞ。」
魯粛は深々と礼をして貴賓室を出て行った。
「ユウ殿、如何した?」
「・・・・・・・・。」
固まったままの結城に、徐庶は心配になって声をかけた。呆然としている様は愛らしいが、使者の役を孔明と受けてもらわねばならないのだ。
徐庶は歩み寄ろうとしたが、慣れれば心配ないでしょうと孔明は羽扇で阻む。
「あの・・・・使者って?」
「私と貴方です。」
「嘘・・・徐庶殿や他の方が行った方が・・・・私では足手まといになりますっ!」
「魯子敬殿も、楽しみに待っていると言っていたではありませんか。」
「待つ・・・・それは孔明様のことで・・・・ああ、お考え直しを・・・・無理です。」
あまりの事に涙目で訴える結城。それを糜竺や孫乾までが こなせると言い始める。
すがる目を趙雲や関羽・・・・張飛に向けたが 目を伏せられるだけ。
「ダメです。ダメ・・・・多くの方々の命が左右されるのに・・・・孔明様‥‥。」
震える声で訴えたが、孔明は結城の肩に手を置いて羽扇で口元を隠して耳元で囁く。
「貴方は学ばなくてはなりません。私の世話役として同席しなさい。」
仲達のやり方とは全く違った教授であった。
実践から学ぶ、如何にも孔明らしいやり方ではあるが。親の庇護下で甘えて育った結城には恐怖しか湧かなかった。
「万民の命がかかっているからこそ、貴方には同行して頂く。これは私からの命令です。」
気が遠くなるのを堪えて、結城は『はい』と小さく答えた。決定的な物言いに、周囲はただ結城を見つめていた。
樊口へ移動した劉備軍。孔明と結城は呉の駐屯地、柴桑へ向かった。
歴史は流れる・・・・・。




