女王様の筆頭侍女(♂)が代弁いたします。
「それでは謁見者は中へ。女王リファエルの代弁者ノキアが問答いたします」
ノキアと名乗る長身長髪の侍女が謁見者の入室を許可すると、荘厳な玉座に座る世にも美しい女性が謁見者たちの目に留まる。
これが若干19歳でこの国の女王となり、世の噂を席巻する美貌かと皆が息を呑む音が聞こえるようだ。
「は、初めまして女王様。私は女王様の国と国境を接する地に領地を持つベッカーと申します。この度の御即位に際し、遅ればせながらご挨拶に参りました次第です」
「…………」
女王の玉座は小川(どういうわけか宮殿内であるにもかかわらず流れている……前の王の時代にはこんな川は無かったはずだ……)の向こうにあり、その御声を聞くことは叶いそうにない。
代わりに傍で仕えている代弁者の侍女が抑揚のない声を張り上げる。
「女王様は、貴殿の領地の特産品である陶芸品を高く評価しているとおっしゃっておられます」
「なんと!ありがたいお言葉でございます」
小川を隔てているだけあって会話はかなわないものと思っていたが、彼女を介してであればこうしてやりとりをすることも出来るようだ。
見回すと、川の向こうは女性従者のみで固められており、男性従者は謁見者のいるこちら側に数人衛兵が控えるのみだ。
(ふん、勿体ぶりやがって。美しい女王の声すら聞かせてもらえんとは……!)
ベッカー男爵は心の中で独り言つ。
とはいえ女の王の貞操の重要さが理解できないわけではない。
若い女が王になる時は、価値のある男をこれでもかと侍らせるか、あらゆる男を遠ざけるかの二者択一になりやすい。(婚約者を即位と同時に立ててしまうと、男の方にしか注目が集まらず、話題性に欠けやすいからである)
彼女の場合は安い男を引きつけない孤高な女王であることをウリにした方が価値が高まると判断されたのだろう。
だが、代弁者を立てている時点で、政などできるはずもない19歳の小娘を王女にまつり上げただけの傀儡政権であることは疑いようもない。
この国の内政状況までは把握していないが、さしずめこのノキアという侍女の家の長が実質的な摂政といったところか。
「……………」
「女王様は、先日の土砂災害の被害を憂慮しておられます」
「えぇ、土砂の影響で質のいい粘土を採ることのできる地域が変わってしまいまして、今必死に新しい採掘場の交通を整備しているところで……って、こんな難しい話、女王様にはつまらなかったですよね、ははは」
「……おい」
ノキアと名乗った侍女が一歩前に出る。地の底から湧き出たような怒気にまみれたその声が彼女から発せられたのだと気づくのに、ベッカー男爵は幾ばくかの時間を要した。
「口の利き方には気をつけろ。我らの女王様に其方ごときの話が分からないと?」
「わ、私はそんなつもりで言ったわけでは……」
「隣国の男爵風情の謁見を許可しただけでもありがたく思うべきところを、我らの女王様を愚弄した罪は重いぞ」
「そ、そんな……!」
「貴国の今の王とは古くから親交があるが、国境にこんな無能を置くのは感心しないと進言しておくとしよう」
「待ってください!これはただの言葉の綾で!!!」
ベッカー男爵はなんとか釈明しようとするが、代弁者ノキアの瞳から鋭さが消えることはない。
「…………」
もうダメかと思ったところで、どういうわけかその鋭い眼光がふっと和らぐ。
―――恭しく身をかがめ、女王の口元に耳を寄せる代弁者のその姿は、女王を崇拝する者のそれだった。
「……寛大なる女王様は、其方の罪を赦すと仰っておられる。それだけでなく、採掘場への街道整備を焦らぬようとも……」
「はい?」
「…………………………」
「貴領の食器の取引先の4割は我が国であろう。採掘が遅れ、生産が追い付かなくなれば客離れを心配する声も上がるだろうが、そなたのところの陶芸品は質が売りだ。多少高値になろうともこれまで通りの上質な陶芸を期待していると仰せだ。励むように」
「は、はい!これ以上ないありがたいお言葉でございます!!!」
ノキアはこれ以上会話の必要がないと悟ると、次の謁見者を迎える準備のためか、手元の資料に目を落とす。
女王のあまりの美しさで視界に入っていなかったが、侍女の方もかなりの美女だ。
しかも、とんでもない切れ者らしい。
(ただの傀儡政権かと思ったが、ここまで優秀な従者がいるのであればこの国も安泰か……?)
19歳の女王に陶芸品の値や質の事を即座に決めて交渉する力などあるわけがない。従者の方もかなり若そうだが、こちらにはそれを判断する権力も能力もありそうだと内心で舌を巻く。
(……いや、だが惜しいな。どちらも女では長期政権は見込めないだろう)
ちらりと隣の謁見者たちを盗み見る。どいつもこいつも、女王を一目見ようとスケベ心を隠しきれていない愚かな男ばかりだ。
こんな男たちが毎日押しかけてくるのだから、女王もこの侍女も婚姻に困ることはないだろう。
女はどうせ結婚して子供を持つ。所詮、政治には向かない生き物なのだ。
ベッカー男爵はもう一度美しい女王と侍女を視界に収めると、自国の国王へ送る謁見報告書の内容をどうしたものかと考えながら謁見場を後にした。
ーーーーー
「ふうう……つっかれたーーーーー!!!」
私達が謁見を終えたのは昼の13時を回った頃だった。近頃は謁見に来る人間が増えたため、昼休憩の時間が押しがちなのだ。
「リファ、はしたない。足見えてる」
「ごめんてノキア」
ベッドにごろんと寝転びながらだらだらとサンドイッチを食べる私に、ノキアは侍女らしい小言を投げつけながら自身も同じベッドに腰掛け、午後の仕事の書類に目を通す。
普段は女王らしくしろと子細に注意してくるこの侍女頭だが、2人きりの休憩中は私的な時間だからとなにかと目を瞑ってくれている。
こうして寝転がって趣味の骨董壺を愛でながら昼食をとる私に「女王らしくしろ」とは決して言わない。本当に出来た従者だ……いや、今は私的な時間なのだから親友と呼ぶべきか。
「ノキア着替えないの?」
「別にいい」
「あれ?最初はあんなに女装嫌がってたのに?」
「慣れた」
「えー!?どういう心境の変化!?」
別にいいと言いながらも侍女専用の優美な衣を乱雑にはぎ取ると、ノキアのたくましい腕があらわになる。
……よくこの薄衣一枚でこの太腕をごまかせているものだとついつい笑いがこみ上げてくる。
謁見室の小川の向こうには男子禁制の女王の自室がある。しかし今、その女王の部屋のベッドで共にくつろぐノキアは心も体も男性である。
筆頭侍女であるノキアが実は男性だということは、女王である私以外、誰も知ることのない重大な秘密なのだ。
「急ぎの仕事?」
「いや、さっきの男爵の処遇をどうしようかと思って」
「まだ言ってるの?罰の方は別にいいって言ったのに」
「あいつ、お前のことスゲーいやらしい目で見てた癖に大っぴらにバカにしてきたんだぞ?一回痛い目見せとかないと舐められるぞ」
「でも、あそこの壺好きだからなぁ……」
私は国内でも一、二を争う壺コレクターである。お気に入りの作家が領主に急かされて駄作を作らされるのは世の損失だ。そんな愚かなことは女王の権限を振りかざしてでも絶対に阻止しなければならない。
……が、そんな私の下心など見え見えだと言いたげなノキアに横目で睨まれてしまう。
「甘い甘い。ああいうのは早めに叩くべきなんだ。徹底的にやってやるから任せろって」
「ノキア、また敵作る気?」
「お前の体裁守るのも俺の仕事」
「あ!サンドイッチ取った!!!」
幼馴染のノキアがこうして女のフリをしているのには理由がある(決して彼の趣味で好んでしているわけではない)
女王の謁見者の大半は冷やかしだ。政治のことは自分一人でも問題なくこなせるだろうが、女王に群がる有象無象の排除をする為には男子禁制の雰囲気を出すのが一番だというのが彼の論だ。
しかし、高嶺の花の女王(笑)を射止めようと、最近では遠くの王族まで謁見に出向いてくる始末。
先日対応した男は、女王のパートナーの座だけでなくこの国の王の座まで狙う姿勢を隠さない阿呆だったから排除しやすかったものの、こうした対応が増えれば面倒が増えて来るのは目に見えていた。
「あーあ、ノキアが私と結婚してくれればいいのになー」
「おい。そういうこと冗談でも言うなって、いつも言ってるよな」
「あはは、そうだよね。ごめんごめん」
「次言ったらその壺割るからな」
「待って!それだけは絶対にやめてってば!!!」
2人の間に恋愛関係はない。
幼馴染というよりは兄弟のように過ごしてきたせいもあるだろう。
実のところはノキアの方が一つ年下なのだが、精神年齢がなぜか昔から高かったノキアのことを今では兄のように感じている。……いや、侍女姿が板について来た最近は姉のようだと言うべきかもしれない。
ノキアと結婚すれば、謁見室に川をつくる必要も、ノキアが女のフリをする必要もないと就任当初からずっと主張しているのに、この話をするとノキアは絶対に不機嫌になってしまう。
美人を怒らすと怖いと言うが、違和感なく女装出来てしまう男の怒りが怖くないわけがない。だけど、どうしてこの話題になるとこんなにも怒るのか。その理由がどうも腑に落ちなくて、つい何度もこの話題を振ってしまうのだ。
(女装して筆頭侍女を勤めてくれるくらいには絆があるはずだけど、そんなに結婚を嫌がるなんて……さてはノキア、私の事ものすごく嫌い!?それとも…………)
「分かった!ノキア、好きな子いるんでしょう!!!」
「はぁ?」
「好きな女の子だよ!いるんでしょ?だから怒ってるんだ!誰誰?どこの家の令嬢?水臭いなぁ、言ってくれれば肩持つのに……あれ、もしかしてもしかして、同僚の誰かだったりする?それともメイドさん?それとも……まさか!騎士の誰か!?」
ノキアは呆れ顔を作るのも面倒という様子で、私の頭を持っていたバインダーでブッ叩く。
「いったーーーーい!なにすんのさ!」
「女王様のくだらない詮索がウザいって労基部に訴えようかな」
「え、うそどうしよう……やめて、訴えないで!壺買うためのお給料が減らされちゃうぅ……!」
「上司にプライバシーを詮索されてツラいです……およおよ」
ノキアは涙をぬぐうふりをしてしずしずと鳴きまねをしてみせる。
「くっ……なんでもかんでもハラスメントになる時代めッ!私は可愛い部下と交流を深めることも出来んのか!!一緒に酒でも飲んで腹を割って話せば分かり合えるはずなのにぃい!!!」
「いえ、女王様。ノミニケーションとか要らないんで、定時で帰らせてもらいたいんですが……」
「ホレホレ、そう言わず付き合いたまえよ。ノキア君、良いカラダしてるし、お酌して欲しいなぁぐふふふ」
「おい、やめろやめろ!二の腕を揉むな!胸筋も揉むな!本気でセクハラで訴えるぞリファ!!」
ノキアとのいつものじゃれ合いに興じていると、謁見室の方の扉からノック音が響く。……まだ午後の仕事開始時間には早いはずだ。
私はノキアの脇に差し込んでいた手を離し、彼と目を見合わせる。ノキアも要件に見当がつかないようだ。
私たちは衣服を正し、用件を伝えに来た少し顔色の悪い侍女を室内に招き入れた。
「じょ、女王様の兄君であられるライボルト様が帰国なさいました……!」
「はい!?!?!?」
ーーーーー
「お久しぶりです、ライボルトお兄様」
「リファ、久しいな!随分と大人になって……お前が生まれた時はあんなに小さかったのになぁ」
「はぁ……」
15年ぶりに再会した長男のライボルトは、私と20も年の離れた兄だ。正直15年も会っていなかったので顔すら覚えていない上に、随分と太ったようで、現在39歳の彼からは当時の面影すら感じられなかった。
彼が流浪の旅に出ると言ってこの国を出て行ったのは彼が24歳の時。
それから本当にずっと旅に明け暮れていたのだろう。日に焼けて真っ黒になった肌に髭を生やし、旅慣れた装束をまとう彼が王族だと言っても誰も信じないだろう。
「お久しぶりでございますお兄様。旅に生きるお兄様が再びこの地に帰って来る日が来るとは思いもしませんでした」
「いやぁ、北の果ての極寒の台地で父王が死んだという噂を聞いた時は驚いたが、幼いリファが王女になったと聞いて二度驚いたよ。大変だったね」
「ら……ライボルトお兄さま……ッ!!!」
「はぁ……」
「大変だったね」という肉親からのねぎらいの一言についうっかり感情を揺さぶられそうになったところで、侍女姿のノキアが呆れたような返答を返す。
彼の蛇のような視線は「ほだされてんじゃねぇぞバカ」と言っている。
確かにそうだ。労いの声をかけられてついうっかり心を許しそうになったが、よく考えればこの人とは4歳の時から会っていない上に、当時からろくに絡みが無かった。
そんな兄に今さら何を言われても家族の情など沸き上がって来るはずもない。
「あの……それで、用件は?」
「要件?ははは、決まっているだろう?王を代わりに来たのだよ!」
「はい?」
「長男の俺がいない間よくこの国を治めてくれた!もう安心してこのお兄様に任せるがいい!」
「はい?????」
目ん玉が飛び出るほど呆れたことを言うのでうっかり「お前はバカか?」と言いそうになってしまった。
すんでのところで口から飛び出すのを抑えたが、代わりに隣にいるノキアの口から同じセリフが聞こえて来た。……川を隔てているのでライボルトにはギリギリ聞こえなかったことを祈りたい。
とはいえ私たちが呆れるのも無理はない。なんせこの長男、世継ぎとしての重圧が嫌で後継者教育から逃げ続け、しまいには「善行の旅に出るから探さないでくれ」と手紙を残して去っていった本物のでくの坊なのだ。
「えっと、お兄様は王になるのが嫌で国を出て行ったのではなかったのですか?」
「ひどい言い草だなぁ。世直しの旅に出てたんだよ。でも可愛い妹に国を背負わせてまで旅に出る理由なんてないからね。それに、旅をするうちにこの国の抱える問題に気づいたんだ。この国はそう、もっと対外的にオープンになるべきだってね!」
「はぁ……オープンですか…………?」
「まずは何より各地を追われた可哀想な難民をもっと受け入れるべきだね。それから、古臭い麦なんて作るのをやめてキヌアを作るのはどうかと考えているんだ!知ってるかい?キヌア。知らないだろう?今話題の栄養のある作物なんだ!これは売れるぞ~?それで大儲けしたら国際的な救護団体や生物保護団体をもっと支援するのも悪くないなぁ」
「ま、待ってください!国民の作る作物の売上は国民の物ではないですか!」
「ははは、他国はもっと税が高いのだよ。リファはこの国から出たことすらないのだから知らなくても無理ないだろうけどね。父のことだから、国庫を貯めに貯めているはずだし、慈善団体への寄付はすぐにでもできそうだね」
それからも、ライボルトは聞いてもいないのにどんどんと自分が王になってからの方策を話していく。
彼は世界を救うなどと豪語して国を飛び出しただけあって、旅先で出会った困っている人たちや助けを必要としている集落に国庫から寄付をして世界平和を実現するつもりらしいが、そんな外のことばかりに国庫を使われてはたまったものではない。
「それから、僕が世話になった西方の少数民族の長とはちょっと顔がきくんだけど……」
「ノキアさんノキアさん。これ、いつまで聞いてればいいのかな」
私はしびれを切らし、こっそりと隣に仕えるノキアに声をかける。
「リファさんリファさん、むしろ俺はお前がキレるの待ちなんだが?」
「珍しいね、ノキアがすぐにブチ切れないの」
「俺よりもキレる権利のあるやつが隣にいるから、ギリギリ我慢してる」
「権利の問題なんだ?」
そう言うノキアの顔は確かにギリギリで我慢しているという風で、GOが出れば秒で噛みつく猛犬のようだなぁとつい思ってしまう。
そんなキレキャラの彼が我慢をしているというのはかなり珍しいことだけれど、確かにキレる権利なら私にある。
私は好き勝手に出て行った兄を頼ることも出来ず、他に誰もいないからという理由で後継者教育から逃げることすらも許されなかった。
今日まで散々苦労してきたのに、当たり前のように王位を継ぐつもりでのうのうと帰国した放蕩者の兄に怒りが湧いてこないはずもない。
けれど、私はすでにちょっと、この兄の話を面白いと思い始めてしまっていた。荒唐無稽なようで、絶対盛ってるだろという話もありつつ、それでいて笑えるオチがついてくる。この人に他国のいい壺を知らないか聞いてみたら、なかなか興味深い話が聞けそうだ。
「ところでライボルトお兄様。私、良い壺に目がないのですが……」
「え?つ……壺かい?」
「リ~ファ~エ~ル~?」
私がうっかり「外国のいい壺を融通してくれたら滞在の面倒ぐらいみてあげようかな」なんて思ってしまったのがノキアに伝わったらしい。
形の良い目をすうっと目を細めると、ノキアは侍女のたたずまいとしてはいささか不敬ととられかねないほど顎を上げてライボルトをふてぶてしく見下ろす……うわぁ、戦闘準備完了っぽい。
ノキアがキレるとどうなるか。手や足が直接出ることもあるし、自分では手を汚さずに裏で誰かにやらせるような時もある。その場で足腰立たなくなるほど言い負かすこともあるし、どうやったのかは分からないけれど民衆を味方に付けて二度とこの国の土地を踏めないようにしてしまったこともあったっけ。
「ど……どうするつもり?」
「こうするつもり」
そういってノキアがひとつ、軽やかに指をはじくと……ん?玉座の目の前に何かがせり上がって来た。いつの間にこんな仕掛けを作ったのだろうか。というか、これは一体なんだ。
「なんか出て来ましたけど?」
「そうだな……よし、一番左のボタンを押してくれ」
「え?私が押すの?」
「あぁ、タイミングは任せる。あ、アレに別れの言葉をかけるなら今の内だぞ」
「別れの言葉!?!?」
ノキアが何を言っているのかよく分からない。けれど、ライボルトは壺の話には乗って来てくれず、聞いてもいないのに別の話を始めている。
彼はすでに王座を手中に収めたつもりでいるようで、宮殿の改装についてや、こんな川を謁見室のど真ん中に作るなんて……とお小言を言い始めていて、壺を融通してくれるつもりはなさそうだ。残念。
「うーん。壺もくれなさそうだし、特にかけたい言葉とかはないかな。えい!」
私はノキアに言われた通りボタンを押す。すると……
(ん?何も起きない?……いや、これはまさか…………!!!)
先ほどまでそよそよと流れていた小川の水位が徐々に増している……ような気がする。
その水位はゴゴゴゴゴゴという音と共に加速度的に増えていく。そして…………
「リファもこのお兄様のように、これからはあちこちに旅に出て視野を広げるべきだぞ……って、なんだこれは‼冷たいではないか!おい、この水はなんでこんなに?どういうつもりだリファ!!!」
ライボルトは自分の話に酔っていたせいで、水位の上昇に気づくのが遅くなってしまったらしい。
多少鍛えているようではあるが、醜く肥えた体では増えた水に抗うことも出来ないようで、あわあわと捕まるものを探した結果、床に着いた手をあっさりと水にさらわれてしまう。
「うわぁあああああああああああああ!!!!!!!!」
数秒後、凄まじい断末魔と共に、排水路に飲まれていったライボルトの姿はもはやどこにもなかった。
「え?し……死んだ!?」
「一応死んでないと思う。でも、あの先は海だからなぁ……」
「ひぃいい」
そう言って気分良さそうにノキアは笑う。この男はどこまで悪魔的なのだろうかと思う一方で、私もちょっとすっきりしてしまったのも事実だ。
「はぁ……居て欲しいときには居なかったくせに、来たと思ったらあっけなくいなくなっちゃったな……」
「なに?寂しいとか言うわけ?」
「まさか。私の家族はノキアだけだもん。ノキアがいれば寂しくないし、他には誰もいらないよ」
父も母も亡くした私にとって、家族と呼べるのはもはやノキアだけだ。そう思って言ったのだけれどもノキアは「お前マジ……本当そういうとこ…………」と言って天を仰いだまま何も言わなくなってしまった。
私はまたなにか気に障ることを言ってしまったらしい。
私は慌てて話題を変える。
「ところでノキア、さっきの装置はいつ作ったの?あれは一体なに?」
「そんなことより、今日は1時間早めに上がろうぜ。あんなののせいで昼休憩潰されちまって迷惑もいいところだ」
「え?いいの!?ノキア最高!!!」
怒らせたかなと思ったけれど、むしろ機嫌が良さそうだ。多分、私が少し傷心しているのを気遣ってくれているのだろう。
「んでパティシエに山ほど菓子でも作らせよう。糖分取らないとやってらんねぇ」
「同感!同感!やった!お菓子パーティーだー!!!」
こうして実兄ライボルトのことも、謎の水責め装置のことも私の頭からさっぱりと忘れ去られたのだった。
ーーーーー
しかし、面倒というのは重なるものだ。
「やぁリファ!随分良いカラダになったじゃねぇか!Fカップはあるだろ?ガハハハハ」
「はぁ……久しぶりですね、フレイライトお兄様」
昼下がりに現れたのは、二番目の兄であるフレイライトだった。
「ふぅ~ん?顔も随分男ウケしそうな雰囲気じゃねぇか。スタイルも悪くねぇし、その気になりゃ隣国の王子の1人や2人余裕で落とせるんじゃねぇか?」
「あの……何の御用でしょう」
「なんだ、冷たいな。まあいい、今日はいい話を持って来たんだ」
「……お帰り下さい」
フレイライトは今36歳だっただろうか。長男の方とは違ってあの頃から体型も変わっていないし、顔もあの頃の面影を残しているところが「現役感」を強めていて、生々しい毒々しさがある。
血のつながった妹の胸のサイズに真っ先に目がいくのも不愉快極まりないが、無神経なこの兄にそんなことを言えば、せっかく褒めてやったのにと機嫌を損ねてしまうことだろう。
「そんな冷たいこと言うなよ!悪い話じゃないぜ?」
「いや、10年ぶりに会って急に言われましても……」
例にもれず、この兄もまた国を出て行った身である……いや、この人に関しては追い出されたと言うべきだろうか。
彼は物心ついた時から女癖が悪く、数多の女性と浮名を流して来た。
王族が女好きだというのは別にそれ自体は問題になるほどのことではない。むしろ、世継ぎを増やすためには推奨される事すらある。ハーレムなどがいい例だ。
しかし、何事にも限度というものがある。この人の女遊びは常軌を逸していたため、こうして王族でありながら国外追放されてしまったのである。
「リファ、お前は何も言うな」
「え?ノキア、でも……」
「こいつと話すと穢れるし妊娠するから話すな。長男の時も思ったけど、こういうのは今後、全部俺が話すから黙って座ってろ」
「え?うん。分かったけど……」
話さなくていいと言うから、てっきり優しさからきた言葉なのかと思ったけれど、黙って座ってろと口にする彼はいつも通りの戦闘狂顔だ。
「フレイライト殿、用件を伺います」
「誰だお前は。俺はリファに……って、うっひょー!すげぇ美人じゃねぇか!!」
「恐れ入ります。で、用件は?」
「いやぁ……それが、南方の島国にしばらく滞在してたんだが、ここの王族だって名乗ってたらそこの国の姫様に迫られちゃって、その……嫁に来てもらわないといけなくなったんだが……」
「嫁に来てもらわないと”いけなくなった”?」
「あぁ、いや、それはその……」
嫁に来てもらえることになったではなく、いけなくなったということは、つまり責任を取る必要ができたということだろう。
この人は本当に懲りない人のようだ。
「そもそも貴方は既にここの王族ではないはずですが?」
「そう言うなよ。あいつの父親、おっかねぇ王様なんだよ」
「そうですか。うちの国に迷惑かけないように勝手に頑張ってください」
「コイツも女なのに王なんてなって大変だろうし、代わってやるって言ってんだ。悪い話じゃないだろ?」
「国外追放となったフレイライト様に王位継承権はございません」
「だったら公爵位でいい!なぁ、せめてそれくらいはいいだろ?妹に王位を譲った寛大な兄に公爵位をくれるぐらいなんてことないだろ?」
「は?王位を譲っただと?」
ノキアのこめかみあたりからブチンという音が聞こえたような気がする。やばい、これはブチ切れ確定だ。
「リファ、さっきのボタンの隣を押せ」
「え?いつの間にこのボタンまた出て来たの!?」
「いいから早く押せ!!」
「は、はいぃ!!」
慌ててボタンを押すと……今度は川の水量に変化はないようだ。
しかし、気づいた時にはフレイライトの姿は天から降り注ぐ大量の水に隠れて見えなくなっていた。
こんな上の方に水源なんてあっただろうかと思い、吹き抜けになっている天井を見上げると、この宮殿をリフォームした際に天吊りにしてもらったお気に入りの巨大壺が傾き、そこから水か零れ落ちていた。
……なんで私の大切な大切な壺に水が入っていたのか。これは後でノキアを問い詰める必要がありそうだ。
「ま、待てゴボゴボ……ブガベボっリファてめぇビバブブフォッ、助けてぇ!!」
「お前が俺たちにしたこと、俺は一つも忘れてないからな」
「え?ノキア何?フレイライトお兄様のしたことって?」
いつもの怒りに悲しみを滲ませたような、あまり見ない表情のノキアの言葉が気になって反射的にそう問いかけると、ノキアはしまったという顔を見せる。
「……リファが覚えてないならそれでいい。知らない方が良いこともある」
「いい訳ないよ!そもそも、なんでお兄様は廃嫡になったのかだって詳しい理由は教えてもらってないし……」
「言うつもりないから聞いても無駄だぞ」
「そんな!私女王なのに!!」
「それとこれとは話が別」
ノキアとのこんな押し問答の間も、天からの水はフレイライトを打ち付け続けている。あまりの水圧に立ち上がることすら出来ず、カツラも取れて禿げ上がった頭を醜く晒す二番目の兄を見ながら、私はノキアが私に隠そうとしていることについて考えていた。
フレイライトお兄様が国を追われたのは今からおよそ13年前。私が6歳の時だったはずだ。普通は既に物心あるような年であるにもかかわらず、私には当時の記憶があまりない。
その時期というと、ちょうど私の母が病に臥せ、ノキアの母を供にして療養地に行ってしまった時期でもある。
幸い私には当時の記憶は無いので、つらい思いを引きずることなくのほほんと生きてこられたが、ノキアは当時の事を覚えているのだろう。
フレイライトお兄様とは母親が違うので交流も少なく、当時23歳だったやんちゃ盛りの兄が当時何を考え、どう過ごしていたかはまるで分かりそうにない。
けれど、ノキアの言葉を信じるのであれば、母親を失ったばかりの私やノキアに成人済みの兄が何かをしたということになる。これは確かにただ事ではない。
廃嫡された腹いせに私たちを害したのか、はたまた私たちを害して廃嫡されたのか。私の足りない脳味噌ではその内容までは想像しきることが出来ないけれど、少しだけ思い出せる当時の両親やノキアの表情はいつもいつも暗かったような気がする。
「ボゴボガッフガフガ………ッ!!!!ぬおおおおおおお…………」
「あ、流れてっちゃった……」
「ふん、良い気味だ。二度と顔見せるな」
「あれ?ライボルトお兄様とは違うところに流れて行ったけど?」
「あいつは大海行きじゃ生ぬるい。素敵な下水道へご案内だ」
「ひ、ひぃい……」
ちょっとやり過ぎでは?と思ってしまったけれど、全ての事情を知っているノキアの顔に「ようやく復讐を遂げられてスッキリ!」と書いてあるように見えて、私が口を出すことではなかったなと気づく。
ツラいことを知らずに済むようにしてくれて、復讐の機会を与えてくれて、追い返してくれて、ノキアの準備の良さにはいつまでたっても全く敵いそうにない。
「……ありがとう、ノキア」
「は?」
急に感謝の言葉を投げられた意味が分からなかったようで、ノキアは私の真意を探るようにいつもの傾聴の姿勢をとる。
「考えてみたら私、随分ノキアに守られてるんだなって思って」
「なんだ、今さらだな」
「うん。そうなんだけどさ」
「俺がこの装置を作った時には、もうちょっと爽快な喜ばれ方を想像してたんだが?」
「爽快は爽快だよ!兄のせいで苦労させられてるのは本当だし、川にカツラが流れていくのを追いかけて自分も流されていく姿とか、一生語り継いでいきたいぐらいスカッとしたもん」
「ならよかった。そうじゃなきゃ作った甲斐がないからな」
ノキアが楽しそうに宮廷内を暗躍しているのはいつものことだけれど、まさか改装工事を検討していた際のあのにこやかな笑顔がこんな復讐を企んでいた顔だったとは思いもしなかった。
「お前はどうしようもない壺バカだけど、一生懸命すべきことから逃げずに頑張ってきたんだ。そんなことも分からないあんな馬鹿から守るのも打ちのめすのも俺の仕事だって思ってるから」
「ノキア……」
ノキアは口では仕事だと言うけれど、こうして私の心も守ろうとしてくれるのだからズルい。
「ねぇノキア、やっぱり私と、その……」
「結婚ならしないからな」
間髪入れないノキアの容赦ない返答にドキリと心が揺れる。
結婚を申し出て断られる。こんな会話は日常のはずだ。けれど、何度となく交わして来たこの会話に、どうしてかさわさわと胸の奥を揺さぶられてしまう。
その理由を上手く言葉にできそうにない。「結婚ならしないからな」というノキアの言葉が何度も頭の中を駆け巡って、頭が真っ白になってしまう。
「…………」
「どうした?」
「…………ううん。なんでもない…………。それより、ボタンがもう一つ余ってるのが気になるんだけど……?
「安心しろ。もう一人の兄の分もちゃーんと特別なのを用意してあるから」
「う、うわぁ……超楽しみだナ、ははは……」
すでにかなりの力作だったと思うのだけど、ノキアの笑みを見るに、最後はかなりの自信作らしい。それを”あの兄”に持ってこようというのだから、確信犯もいいところだ。
「それより、もう今日は上がろうぜ。やたらに疲れる羽目になったし、パティシエだけじゃなくて、シェフにも良いモノ作ってもらわないとな」
「賛成!もうお腹ペコペコ。ひとまず危機は去ったことだし、さっさと食べてさっさと忘れよ!!!」
こうしてひとまずの危機は去ったが、もう一人の危機がやって来たのは意外にもその翌日だった。
ーーーーー
「ブリザナイト殿、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「要件だと?堅苦しいことを言うなよ。ここはオレ様の実家だろ?」
「廃嫡されておりますので、実家ではありません」
「パーティの仲間が8人と馬が3匹に犬が1匹。それから先日懐柔した魔獣が一頭いるから部屋を用意しろ」
「お断りいたします」
「なんだと?」
(うわぁ……絶対こうなると思った…………)
三男のブリザナイトは長男や次男とは違い、4つしか年が離れていない。そのため、昔からなにかと関わる機会が多く、その横暴さに付き合わされることも本当に多かったが、私やノキアの事も召使いや下僕程度にしか考えていないかのような態度が大嫌いだった。
そんなわがままな兄にキツイ王家の教育が耐えられるはずもなく「俺は勇者だから魔王を倒してくる」などと世迷言を言って城を出て行ったのが8年前。
他の兄とは違い、それから幾度となく帰国したこの兄は、全滅寸前で転がり込んできたり、金の無心に来たり、恐ろしい魔物に追いかけられたままこの城に逃げ込んできて「代わりに追い払え」と言ってきたりと毎度とんでもない目に遭わされていた。
「ねぇ、ノキア。今回は何だと思う?この人に限って、ただの帰郷だとは考えにくいよね」
「さぁな。どうせろくでもない理由だ。さっさと追い返すが勝ちだな」
「あぁ、それと……」
私とノキアがこそこそと話し合っていると、思い出したというようにブリザナイトが口を開く。
「城の客室とは別に、一等地に家を5~6件用意しろ。庭付きの一軒家で、すぐ必要なんだが手は抜くなよ。新品同様のものにしてくれ」
「はい?」
「分かるだろ?俺の大事な仲間たちが住むんだ。半端な場所に住まわせるのは王家の威信に関わるぞ」
「別に関わりませんが?」
「そうだ、新しい馬車も欲しいな。それに、爵位も全員に伯爵位以上で用意してやってくれ」
「あの……話を聞く限り、この国に定住されるように聞こえるのですが……魔王を倒す旅はどうされたのですか?」
「はぁ?おい女、そんなことも分からないのに従者やってんのか?無能は黙ってろよ」
「あ?」
今の一言はマズい。完全にノキアの短い導火線に火を点けてしまった。
「勇者様の大事な大事な使命とやらはどうされたのかって聞いてるんだが?」
「何を言っているんだ!お前たちが無能なせいで旅を終える羽目になったんじゃないか!!」
「はい???」
「黙って座っている事しか出来ない無能な王女と察しの悪い侍女頭なんかに国が任せられると思うか?
仕方がないから志半ばにはなるが、皆を説得して旅を終えることにしたんだ。お前たちのせいで、だ!」
「そんなこと頼んでいませんが」
「いい。お前たち無能に説明は不要だ。さっさと荷物をまとめて出て行け。全く、こんなところに川なんか作りやがって、改装するならもっと映える作りにするとかあるだろうに……ブツブツ」
ノキアがキレていることは確定だが、私もさすがにブチギレだ。
こんな兄に大切な国を任せられるはずがない。というか、これ以上同じ空間に居たくない。
「ノキア、例のボタンだして」
「もう出した」
「私、今すぐ押すけど止めないでね」
「誰が止めるか。さっさと押すぞ」
「うん」
今回はノキアも一緒に押してくれるらしい。2人でボタンに手を重ねて押下すると、不思議な高揚感に包まれた。
ポチッ……
ん?何も起きない?今のところ視界に変化もない。
機械音と共に地面が小刻みに揺れ始め、「何事か」が起きていることだけははっきりと分かるのに、いつまでたってもブリザナイトにも謁見室にも何の変化も起きない。不発だろうか。
……いや、違う。謁見室ごと”せり上がって”いるのだ
見上げれば、二番目の兄のカツラをはぎ取った天吊りの巨大な壺が眼前に迫っていた。確実に天井に床が近づいている。
このままでは天井に挟まれて潰れてしまう。しかし、よく見てみるとこちら側の天窓が開いていて、私たちが押しつぶされる心配はなさそうだ。
「うわ、何だこれは!おいリファエル!勇者である兄に嫌がらせのつもりか!」
「いいえ、正当な復讐でございます」
「何が復讐だ!従者に囲まれてのうのうと王宮で暮しているだけの貴様に何の権利がある?」
「復讐の権利ならいくらでもあるに決まってるだろう」
「は!?おい、本当にやるつもりか?やめろ!やめてくれ!今日のところは帰るから!!!」
ブリザナイトの頭は今にも天井についてしまいそうだ。
「ねぇ、ノキア。あいつ天井にすりつぶされちゃいそうだけど、大丈夫?」
「なんだ、潰したらダメだったか?」
「それは別にいいけど、血がいっぱい出るの見るのはさすがに嫌かも……」
「それなら心配するな、ほら、見てろ?面白いもんが見れるぜ」
「!?」
気づけば、ブリザナイトは半狂乱で川に飛び込んでいた。川底は床面よりも低いので、川に飛び込むことで助かると踏んだのだろう。しかし、川は相変わらず流れがあり、冷静さを欠いた兄はその流れに足をとられていく。
罵詈雑言を投げつけながらなんとかもがいてはいるが、川のこちら側に来ることは叶いそうにない。
「うわ、もう天井がすぐそこに……!クソッ!ぶわ……!!ぐわっ…………っ!!!!!!」
ブリザナイトは川面と天井の間に残された数センチの隙間を金魚のようにぴょこぴょこと顔を出しながらなんとか息を保つだけで必死の様子だ。
「リファエルさま……何の音ですか…………?って、きゃああ!なんですかこれは」
侍女の一人が玉座の後方の侍従室から出てきて目を丸くする。……出て来てみたら天窓がすぐ近くにあってさぞ驚かせてしまったことだろう。
「えっと……どう説明していいか分かんないんだけど……あれ?なにかあったの?」
「はい、それが……城下町の衛兵から連絡がありまして、どうもブリザナイト様のお仲間たちが町のあちこちで迷惑行為を繰り返しているようでして……」
「はぁ……勇者が勇者なら仲間も仲間だな。どこまでクズなんだが……」
「彼らを連れて来たブリザナイト様に苦情を訴えようと、城の前に国民が大挙しております。いかがいたしましょうか……」
「そうでうか。それは好都合ですね」
「え?好都合?ノキアどういう意味?」
「まぁ俺達にすることはもう特にないから、リファは女王らしくそのままそこでどっかり座って見てろよ」
「う、うん……」
相変わらずブリザナイトは水中と水面上を行ったり来たりしているが、徐々に川の流れに押され、流されていく。そして……
「ぎゃああああああああ!!!!!」
今までの兄と違い、川の先に排水路はない。川の終える先は……城の外だ。
「ダメ!この高さから落ちたら死んじゃう!!!」
心の底から恨んではいるけれど、さすがに死んでほしいとは思っていない。天窓をよじ登って屋上によじ登り彼の落ちて行った先下を見下ろすと、眼下には城下町が広がっていた。
(だめだ、こんなに高い場所から落ちたのなら助かりっこない…………ん?今声が……?)
声の先を探し、きょろきょろと見回してみるが、どこから声がするのか分からない。
「た、た…………たたた助けてくれーーーーーー!!!!!!!」
「ぶ、ブリザナイトお兄様!どうしてそんなところに!!!」
ブリザナイトは私のいる場所の数メートル下、城の外壁を飾る壺の中にいた。壺から顔だけを出し、頭から流れ続ける川の水を受け続けている。どうやらあの壺の中に落ちてしまったらしい。
壺が割れなくて本当に良かった。
「何なんだこれは!どういうつもりだ!早くここから出せ!!!」
「おっと、そろそろ川の水もさすがに水切れか」
「ノキア!」
おそらくこうなることを全て分かっていたであろうこの装置の設計者であるノキアが悠然とブリザナイトを見下ろす位置に立つ。
「貴様ら、数々の功績を残した勇者であるこの俺をこんな目に遭わせるとは!今すぐに国外追放にしてやるからな!!」
「国外追放?それはアンタの方だと思うが?」
「フン、魔王とやり合えるのは俺だけだ。そんな俺を追放できる奴なんかいるものか!」
「ほう、ずいぶんな自信だな。なら、国民の皆に聞いてみるとするか」
「は?」
ノキアはすうっと大きく息を吸い込むと、いつものけだるげな様子からは想像も出来ないほどの声量で、眼下に”都合よく”集まっていた民衆に声をかける。
「おーーーい、皆さん!ここに皆さんに迷惑をかけた連中の親玉が居ますよーーー!!!」
「なッ……!?」
ノキアの声を聞いた民衆の反応は早かった。
「あんなところにいたぞ!あのクソ王子め!」
「今日という今日は許さんぞ!」
「昔から悪ガキと思っていたが、いい加減にしろ!!!」
「税金泥棒!」
「お前の仲間が飲んだ酒代払え!」
「よくもおらの嫁のケツを触ったな!」
「俺達の大切な女王様を困らせるな!!!」
「二度とこの国の土地を踏めないようにしてやる!!」
ブリザナイトに次々と投げつけられるのは暴言だけではない。生卵やら、手斧やら、民衆がたまたま手に持っていた投擲可能なあらゆる物が彼めがけて投げられていく。
その一投一投に恨みが籠っているようで、彼がいかに民衆から恨まれているのかがよく分かった。
「うわぁ……えげつない…………」
「どうだ?ちょっとはスッキリしたか?」
「うん。私ももちろんスッキリしたけど、国の皆のこれまでの恨みを発散する場を作ってあげられて本当に良かったなって」
「それはそうだな……」
城の最上部から見下ろした町は活気にあふれる私たちの愛すべき国だ。この国を守るために必死になって今日までやって来たのだ。
これからもこの国の危機はきっと何度もあるだろう。けれど、なんとなく、ノキアと一緒なら乗り越えられるような気がした。
「私、ノキアが居ないと生きていけないかも」
「おいおい、大げさだな」
「大げさじゃないよ。私、ノキアがいなかったら……」
ノキアのいない未来を想像するだけで目の前が真っ暗になる。息が苦しくなるし、考えもまとまらない。良い壺が手に入っても嬉しくないし、美味しいケーキを食べても、隣にノキアがいなければ味気ない。
「ノキア、やっぱり私たちその…………」
「なんだ、いつものやつ言わないのか?」
「いや、普通に言おうと思ったんだけど、なんか口から出てきてくれなくて……」
「は?まさか、お前………本当に俺に惚れたのか!?」
「え?えええええ!?いやいや、待って!違う、違うはず!だって、今までは普通に言えてたし」
「でも言えないんだろ?結婚しようって言葉が」
「い、言わないでよおおお!!!」
「そんな耳まで真っ赤になって、まさか本気で言ってんのかよ…………」
「うぅ…………」
自分でも困惑していてどう言っていいか分からない内に、どんどんとノキアに詰め寄られてしまう。なんとか言い訳したいのに、この蛇目男はそれすら許してくれそうにない。
このままでは家族同然の相手に恋情を抱く気持ち悪くて痛い奴になってしまう。
「違うから、本当に違うから、勘違いだから…………もうやめて……何も言わないで」
自分の声が自分の声じゃないみたいに、か弱く聞こえる。
ノキアを失いたくないとは思ったけれど、まさか自分の失言で失いそうになるとはさすがに考えていなかった。
ノキアの追及から逃げるためにその場にうずくまると、視界が暗くなって考えまで暗くなっていく。想定したとおりのノキアのいない地獄のような毎日が目の前に迫っているように思えて震えが止まらない。
「はぁ……やっとかよ」
「え?」
「きゃーーーー!」
気づけばノキアに抱きしめられていた。それに気づいた民衆が歓声を上げる。
「やっとって何?っていうか、ノキア待って!侍女の衣脱げてる!!!マズいよ!これじゃ皆にバレちゃう!」
「いや、皆知ってるから」
「はい?」
「リファ以外の全国民、俺が男だって知ってるから」
「はい!?」
「あと、俺がクソガキのころからお前の事好きなことも、全員に知られてる」
「はい!?!?!?!?!?」
訳が分からないし意味がわからない。どうしてそんなことになっているのか。
「お前、王子たちが国外追放になった時にその……男性不信になってたんだ」
「私が……男性不信!?」
「あぁ。俺は女みたいな見た目だったから男だけど唯一大丈夫でさ。でも、俺もだんだん男らしい見た目になってきてて……」
「うそ……」
「本当。お前の男性不信のことも皆知ってるから。即位の時に民衆からも不安に思う声が上がってたんだ。男が苦手な女王の夫に相応しいのはノキアしかいないだろうが、ノキアが男らしくなってきたことで、またお前の男性不審が復活するんじゃないかって。そうしたら、この国の未来はどうなるんだって…………」
「私、別に男の人怖いと思ったことないよ?」
「お前がそう思えるようにみんなで配慮してきたんだ。お前の周りに置くのは基本女ばっかりだったろ?謁見で会うときも川越しだったし、一言も自分では男と会話すらしてないはずだ」
「そ、そういわれてみればそうかも……?」
私には当時の記憶があまりない。男性不信だった記憶ごと忘れてしまっていたらしい。
皆に配慮されていたという言葉を聞いて考えてみると、もしかしてあれもこれも?と皆んなの配慮と思わしき決まり事や制度がいくつも思い至る。
「……なあ、俺、こうやって抱きしめてて、本当に大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫……いや、ダメかも」
「……どっちだよ」
「だって!!ノキアがさっき好きとか言った気がしたから……その…………」
「俺が好きだとマズいの?やっと両想いになって結婚してくれるんだろ?」
「し、しないもん!」
しかし、民衆は残酷だ。
「ヒューヒュー!おめでとう!!!」
「やっとくっついたかお二人さん」
「長い片思いだったねぇノキアちゃん……」
「女装までして支えたんだ!ノキアを大事にしてやってくれよ、女王様!」
「よ!この一途男ッ!!!」
「結婚おめでとう」!!!
いつの間にか既に結婚ムードになっている。おかしい。私はいつもの「結婚しよう」が言えなかったはずなのに、どうしてむしろ結婚する話になっているのか。頭が混乱してきた。
「あの、これはその勘違いで……」
「否定すんなよ」
「え?」
いつもは強気な男のすがるような言葉に、心臓が止まりそうになる。
「別に焦んなくていい。邪魔者の兄達は三人とも排除したし、これからも敵は俺が全員ぶっ潰す。だから否定せずにゆっくり考えてくれよ、俺とのこと」
「う、うん……」
答えはとっくに出ている。けれど、それを口に出すことが出来ないのは男性というものと接触をことごとく避けて来たからなのだろうか。
考えてみれば、初恋というものすら私にとっては初めてなのだ。
「分かった。でも分かんない」
「は?何が?」
「ノキアが私を好きだなんて、全然気づかなかった。やっぱり冗談なんじゃないの?だって、今まで何回結婚しようって言っても機嫌悪そうに断ってたのに」
「はぁ……お前、ほんとムカつくな」
「ちょっ、そんな言い方しなくてもいいじゃん!」
ノキアの言葉はいつものように尖っていてまるで好意を感じない。けれどあの邪龍のような目が今はどこまでも優しくて温かくて、穴が空きそなほど見つめられて否応なしに赤面させられてしまう。
「お前の好意が俺に向いてないのに、そんなこと言われて嬉しい訳あるか?」
「なにそれ、全然分かんない。意味不明過ぎ!」
「分かんねぇなら、どんな手段を使っても分からせるしかねぇな」
言葉自体はいつも聞く戦略家のノキアらしい言葉だ。けれど、その言葉に、いつもは感じない熱が潜んでいることに嫌でも気づいてしまう。
この男がどんな手段でも使うと言ったら本当にそうするのだろう。これまでの付き合いの長さから、彼の陰湿さは良く知っている。
きっと「もう分かったから勘弁してくれ」と言っても止まらないほどの猛攻を喰らうだろう。
彼のその恐ろしい政治手腕が自分との色恋のために使われることの恐ろしさに、めまいを起こしかける。
「マジか……」
「そんなに信じれないなら、プロポーズ用に前から用意してあった壺見る?」
「は?見るに決まってる!出して!今すぐ見せて!」
「いいけど、受け取るってことはそういうことになるぞ?いいのか?」
「うぐッ……まさか、こんな手で来るなんて…………卑劣な……ッ!!」
「フッ……卑劣ってなんだよ」
普段あまり笑わないノキアが私の言葉に簡単に笑う。
待ってくれ、私はまだ数分前に彼への好意をほんのり自覚したばかりだというのに、これではオーバーキル確定だ。
私はせめてなにか反論しようと、恐る恐るノキアと視線を合わせる。目があった、それだけのことなのに優しく微笑まれ、口から心臓が飛び出そうなほど脈を打ち付ける……うん、もうとっくにオーバーキルだ。瀕死だよ、瀕死。
「お手柔らかにお願いします……」
私は投降の言葉を吐き名がらも、これからもこの親友兼家臣兼こ……婚約者との未来が温かなこの国の真ん中で続いていくことに安堵したのだった。
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・「物書き令嬢は婚約者の兄に断罪される」がコメディ部門日間ランキング3位に入りました!お読みいただきありがとうございます。
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