その王子、怠惰につき
ロクシス王子の普段の口癖は、
「めんどくさい」
であった。
一応やる気というか本気を出せば優秀ではあるはずなのだが、彼は常に気だるげにしていてやる気というものが感じられない。どうして王子に生まれてきちゃったんだろ、あーでも平民だったらこんな風に過ごせないのか、一日中働かなきゃいけないっていうのも面倒だなー、でも王族としての務めとかも面倒だなー、働きたくなーい、なんていう本心を隠しもしない程に色々とアレだった。
なので実際王子が優秀である、と思っている人間はかなり少ない。
優秀さの片鱗をかつて見た事がある者はさておき、それ以外は優秀だと思い込みたいだけではないのか? と思われる始末。
さて、そんなやる気が常に家出している王子の婚約者に選ばれたのが侯爵家令嬢のフローラである。
感情を一切表に出さず、その表情に変化はない。社交的な性格かと問われればそうでもないし、一見すれば地味な容貌。
地味でパッとしない人形のような娘。
フローラを知る者の多くは彼女をそう言った。
もっと王妃に相応しいだろう娘は他にもいたのだが。
けれども面倒くさがりの王子の尻拭いを率先してやりたがる娘はそう多くはない。
やる気のない王のかわりに自らがより多く働かねばならないと考えると、より一層大変なのは目に見えている。王を支え国を支え、その上で国の象徴のようにあらねばならぬ王妃。ちょっと考えただけで一見すれば煌びやかに見えるがそれ以上の苦労が待ち構えているのだ。
そこに更にやる気のない伴侶となる王、というプラスアルファで明らかに王妃としての仕事が増える元凶があるとわかりきっていれば、大抵の令嬢はそっと身を引いた。
最初から王族として生まれているならともかく一介の貴族令嬢として生まれた彼女たちには荷が重すぎる。結婚相手がせめてもうちょっときちんと働いてくれるならまだしも。
確かに王族というのは国の顔のようなものだ。だからこそ見すぼらしい姿は見せられない。そんな状態で外交などをすれば、他国からの評判はお察し。国全体が周囲から侮られれば最初のうちは交渉事で下に見られる程度かもしれないが、行き過ぎればやがては領土を占領だとか、下手をすれば戦争に発展しかねない。
この国ならば簡単に掌握できそうだ、なんて思われたら野心のある国ならば簡単に戦争を起こすだろう。
それでなくとも元からある領土はともかく、後から手に入れた領土に住む人間は自国に吸収したといえ元は他国の人間だ。しかも戦争で負けた国のとなれば、国民扱いどころか奴隷として扱ったって構わない――そう思う国が無いとは言い切れないのだ。
だというのに将来的に王になるであろうロクシスが、初っ端からやる気がない。
王妃になればどれだけ苦労するかが窺えるか、わかるというもの。
王子は常々「俺楽な方に流れていきたい」とか言うような人だったので、他国との交渉事で一見すればこちらに利がありそうでも実はそんな事は全くなかった、みたいな条約を結ばれるかもしれないという不安もある。最終的に自分の身の安全だけを確保して、それ以外は全て犠牲にしても構わないなんて言い出すのではないか。そう危険視するものも声高らかに言うわけではないがそれなりに存在していた。
いや、それじゃあそういう問題のありそうな奴を次期王にするなよ、と普通であれば言うのだが。
困ったことに他に適任がいないのである。
ロクシスの両親、つまりは現在の国王夫妻であるが、子はロクシスしかできなかった。
幼い頃からやる気も何もあったものじゃないロクシスに不安を覚え、念の為弟か妹を……と思ってはいたのだが、どれだけ頑張ってもできなかったのである。
ロクシスが生まれる前にできなかった、というのであれば側妃を迎える事もあっただろう。けれども、ロクシスが既に生まれている以上、子が出来なかった時のための措置としての側妃は迎えられなかった。
他の王位継承者に次期王となってもらう、と勿論王とて一度は考えた。
だがしかし、ロクシスよりも幼い者に王位を譲るのは流石に早すぎるし、それ以外――ロクシスよりも年上の、一応王家の血が流れていて継承権を持つ者たちは――こちらも正直不安しかなかった。
肉体面で問題のある者。
精神面で不安のある者。
ちょっと危険思想から処分こそされなかったがお外に出ちゃダメだゾ☆ という事で幽閉されている者。
正直びっくりするほどロクなのがいない。
そろそろ退位したい王から見て年齢的にも問題ないと言えるのが面倒くさがりの王子だけ。
ロクシスが幼い頃から教育に力を入れてきたけれど、王子の性根は改善されなかった。
一応やればできる子なんです……と言いたいが言っても何か親バカにしか見られない。
王は片手で顔を覆って「どうして……どうして……」と呻いたし、王妃に至っては自室でちょっと泣いた。
他のまだ幼い継承権を持つ者が成長するまで王が現役で頑張る、というのも考えたけれど、正直なところ王も大分お疲れだった。あと二年か三年の辛抱だ、とかならまだ頑張れるけれど、あと十年ちょっとがんばえーとか言われたら流石に頑張れない。というかそんな幼女っぽくエールを送られても言う相手がむさくるしいおっさんだったら殺意しか出てこない。怒りをパワーに変えて頑張ろうにも限度がある。
故にもう人生は諦めと妥協であるを合言葉に王はロクシスのやる気がないのであればもう周囲が頑張ってもらうしかない、というとても傍迷惑な思考へ至ったのである。
上が無能でも下につく連中が優秀ならそれなりにどうにかなるの法則。
一企業ならまだしも国でそれは諸刃の剣だぞ、と誰も王に突っ込まなかった。というか突っ込めなかった。
さて、そんなわけでさながら生贄のように王子の婚約者として選ばれてしまったのがフローラだった。
彼女は侯爵家の長女として生まれていたが、悲しい事に両親の愛情はフローラに向けられる事はなかった。
二つ下の妹であるマリーナに両親の愛情は全て向けられていたのである。
マリーナは愛嬌があり人の心に入り込むのが上手な娘だった。
天真爛漫、純粋無垢、そういった言葉は彼女のためにあるのだろう。そう思わせるような存在だった。
だが令嬢として時に凛とした佇まいを見せるなどし、そのギャップが良いのだと周囲もマリーナに目を向けこそすれど、フローラには見向きもしなかった。
同じ両親から生まれたはずなのにこの違いはなんだろうとフローラも思い悩んだ時期があった。
自分もマリーナのように愛されたい。そう思ってできる事から努力を始めた。けれども、フローラに両親の愛が向く事はなかったのである。
せめて、何かしらで褒められたいと努力し続けた結果、身についた優秀さは王子の婚約者として目をつけられてしまった。
常にやる気がないとのたまう王子の事は社交では有名である。
顔がいいのが取り柄、などと裏で囁かれ他に長所なんてあるはずないと言われている王子の婚約者にフローラが選ばれたとなった時、他の家の令嬢たちは「おめでとうございます」なんてとても晴れやかな笑顔で言ってくれていたけれど、最初から苦労するのがわかりきっている結婚生活だ。
生贄になってくれてありがとう、言葉の裏にはそんな意味がたっぷりと含まれていた。
両親だって王家との縁を結ぶ事になった時、もし王子がもっとマトモな人だったなら間違いなく自分ではなくマリーナを勧めただろう。
大丈夫よお姉さま、侯爵家の事は私が素敵な婿を迎えてやっていきますので、お姉さまは安心して嫁いでいってね。
妹の、悪意のない笑顔が突き刺さった。いっそ悪意が込められていた方がマシだった。
両親の、やっと邪魔なのが片付いたぞ、みたいな雰囲気があったからこそ、あぁ自分はこの家ではいらない子だったのだな、と突きつけられたのに妹はそんな悪意の欠片すら持っていなかった。余計に惨めになる。
直接的に邪魔だと言われた事はない。
けれども両親の態度は明らかに自分をいないものとして扱っていた。
暴力などを受けた事はない。意図的に悪意のある言葉を言われたわけでもない。
だがしかし、どうしたってフローラは両親にとって愛せない娘であったのだ。
マリーナと血のつながりがないか、はたまた半分だけしかつながっていない、というのであればフローラもまだ納得できたのだ。けれども同じ親から生まれたのに自分だけが愛されないとなれば、フローラとてマリーナのように感情を表に出すような事はできなかった。何をしてもマリーナと比べられ、自分が貶められる側になるのだ。
精神はとっくに摩耗していた。
両親に、周囲に愛される妹のマリーナが妬ましかった。けれどそうして悪意を彼女に向ければ悪いのは自分だ。間違いなく周囲は自分の心情など慮ってはくれない。一方的に悪者にされて、ますます愛は自分から遠ざかる。
それがわかっていたから、途中からはもう努力するのも嫌になった。けれども本当に何もしなくなったら役立たずと言われ家を追い出されるかもしれない。そう考えると、すっかり惰性で今までの生活をするしかなかったのだ。
妹は姉に悪意を持ってこそいないけれど、周囲の愛情を受けているのが当たり前で、姉にそれが向いていないという事に気付いているのかいないのか……最初からそれが当たり前だったからこそそういうものと受け入れているのかもしれない。自分が幸せなのだから、姉もきっと同じに違いない――と思っているのかもしれない。
純粋に姉として慕われていると思った事はない。
けれども嫌われていると言いきれる程決定的な何かがあったわけでもない。
だから、もしかしたら妹となら話し合えばわかりあえたかもしれない。
けれども。
愛されないのはお姉さまの努力不足ではなくって? だとか、お姉さまが愛されない事を私に言われても……だとか、そういう、自分には関係ありませんというような言葉を言われたら。
知りませんよそんな事、とすげなく突き放されてしまったら。
そんな事ありません、お姉さまだって充分愛されていますよ、と言われてもっと周囲を信じてあげてなんて言われたら。
そうなったらフローラの心はもう引き返せないところにいってしまいそうで。
そうでなくとも常に愛されている彼女の近くにいるのもつらくて。
だから、フローラは逃げたのだ。
家族から。望んでも決して愛される事がないとわかってしまった環境から。
本来ならば王子の婚約者はもう少し早い段階で決まるはずだった。ただ、王子本人が婚約者とかめんどくさーい、今から決めて後になって嫌だってなったら面倒だからもうちょっと後でよくなーい? なんてごねたので。
そしてその頃から面倒くさがりだった王子の婚約者候補は何名かいたけれど。
いずれも全員が逃げるように辞退した。王子を傀儡に国をいいように操ろうと思った家もあったらしいのだけれど、それは何と王子本人に阻止されてしまった。
面倒くさがりなのだから、こちらの言う事を疑問に思うでもなくいいよーと許可してしまうかと思ったのだ、と当時婚約者候補だった一つの家は捕縛された後にそう語ったという。
だがしかし、まだ幼いうちからこちらの思想に染めてしまおうと思っていたのだが、王子本人が、
「なんでそんなめんどくさい事しようとしてるのかわかんなーい。ってかさぁ、こんな面倒な事やってる家と付き合うのもめんどくさーい」
とのたまって、その家が裏でやってた悪事の色々な証拠を目の前でぶちまけたのだ。
今まで巧妙に隠していて周囲にバレていなかったそれが、まだ幼い王子に暴かれるという事実。
結局その家はタダで済むはずもなく、家はとり潰しこそされなかったが爵位は下がった。次の代は貴族ではないとなってしまったので、いっそ最初から素直にとり潰された方がマシだったかもしれない。
ともあれ、この一件で王子はやればできる子、とも言われているのだ。
他にもいくつか後ろ暗い事に心当たりのある家から出ていた婚約者候補たちは、この一件で蜘蛛の子散らすように逃げた。一応それなりにマトモだった家の婚約者候補に選ばれていた令嬢たちもまた、何やらいろいろな理由をつけて辞退した。
普段面倒って言ってるくせにいざという時こんな優秀な相手を支えていくとか自分たちには荷が重すぎます……と幼い娘に言われた家の親の心情や如何に。
この一件がなければ、王子よりも我が娘の方が優秀だとか思っていた者は多かっただろう。だからこそ、将来的に王妃となってもうまくやっていけるだろうと、そう思っていたのが砕かれたのだ。幼い娘もやる気に満ちていたものの、しかし面倒だなんだとやる気を見せないくせに時折とんでもなく優秀な部分を見せられてしまえば、支えるだとかなんて思い上がりだろうと思ってしまって……王子の婚約者候補はこの時点で無かったことになってしまった。
結婚とかめんどくさーい、とかのたまってた事もあるので、まさかそれもお前の作戦ではあるまいな……? と国王は訝しんだが問い詰めても王子は何それめんどくさーい、で全てを受け流してしまうのである。
王妃になる相手は早い段階で決めるべきだったのだが、これが決められなかった原因でもある。
そのせいで、フローラはこれから大急ぎで王妃としての教育を受けなければならない。
だがしかし、今のフローラにとってそれは渡りに船だった。
家にはいたくない。学習するのにも時間は有限で、わざわざ城と家を往復などするくらいならいっそ城に部屋を用意してもらってそこでみっちり勉強漬けになってしまえば、フローラも余計な事を考える暇はない。
そう考えて、だからこそ王家にはその旨を打診した。
学習意欲に満ちた娘だ、とその願いは受け入れられフローラはこうして城にやって来たのである。
フローラにとって城での生活はとても目の回るような忙しさであった。何せ学ぶ事が多い。
しかもそれらをなるべく早くに覚えなければならないのだ。食事と睡眠時間、あとトイレ休憩などのちょっとした休み時間を除けばそれ以外は全部学ぶための時間といってもいい程であった。
城でフローラの教師をしている者たちから、フローラは丁重に扱われていた。何せあの王子の婚約者。他に適任になるだろう令嬢はいるけれど、しかしそちらの令嬢は王子の婚約者など私にはとてもとても……と言葉はさておきお断りされている。しなくていい苦労まで背負い込みたくはない、他に誰もいなくて王命が下されたならともかく……というのが見え隠れしていたくらいだ。
それに、社交の場でフローラの家の事情はそれとなく知られていた。
妹ばかりが溺愛されている家の姉。家に居場所がなくて、だからこうして生贄のように王家に差し出された。フローラの存在は、他の王子の婚約者となる可能性があった令嬢たちからすればとても都合の良いものであった。
王妃の座にでもしがみつかないと居場所がありませんものね、とフローラを嘲る者もいたが、フローラがそれを気にする余裕はなかった。実際事実でもあるのだ。
それに、少なくとも国王夫妻は王子の支えという役目でしかないフローラの事を将来の娘として気遣ってくれている。家にいるよりも居心地が良かったのは確かだ。
面倒くさいが口癖の、普段は怠惰極まりない王子とフローラがマトモに顔を合わせたのはフローラが城の一室を借りて勉強漬けになってから一月後の事であった。
本来ならばもっと早くに顔を合わせていたはずだが、例によって王子の面倒くさいが発動したためにこのような事態になったのである。それもあって余計に国王夫妻がフローラを気にかけていた、という事実もあったわけだ。
「……ねぇ」
「はい?」
「それ、きみが覚えなくていいやつじゃないの?」
それ、とロクシスが指差した教本は、確かにフローラが本来ならば覚える必要のないものである。それを覚えるべきは王子の方であるからだ。
「そうですね。でも、かわりは必要でしょうから」
たまたまフローラの休憩時間にやって来たロクシスは、そう言って笑うフローラを珍獣でも見るような目でもって見た。
王子が普段から面倒くさい面倒くさいとのたまうから、王子が何もしなくても、ただ国の象徴、顔だけの存在となったとしてもどうにでもなるように、その分の重圧は王妃へと向かう事となった。いや、なってしまったと言うべきか。
うっすらと目の下に隈ができているフローラに、ちゃんと寝てるの? と問えば、充分すぎる程にと返される。だったら、その目の下の隈は何。
ご飯は? と問えばそれも問題なく与えられていると言う。
本当に? 見ただけでわかる細さなのに? そもそも、自分の家できちんとした生活ができていたのだろうか。ロクシスは疑問に思ってしまった。
実際フローラは家では妹ばかりが優遇されていたために、食事は与えられていたけれど家の中でも立場の低い使用人とそう変わりのないものばかりであった。けれども無いわけではないのだ。確かに睡眠時間は家にいた時よりも短くなってしまったけれど、フローラは今の生活に満足していた。頑張れば頑張った分だけ認めてもらえるのだから。
認めてくれる相手に家族がいなくとも。たとえ王子本人から愛情が向けられる事はなくても。
それでも彼の両親は実の親以上に自分を必要としてくれている。
わかっているのだフローラとて。
それが本当の愛情によるものではないという事を。
王子の尻拭いをさせるための貧乏くじ。それもあって申し訳なさから二人が優しいのだという事も。
けれどもそれでも良かったのだ。同情であれどんな形であろうとも、優しさである事にかわりはないのだから。
幸せです、という表情を浮かべて笑うフローラに、ロクシスは思わず眉を顰めてしまった。
「はぁ……面倒くさい」
そうしてそれだけを呟くと、踵を返して部屋を出て行ってしまった。
普段から面倒くさいとのたまう王子から見れば、何事にも一生懸命に取り組むフローラの様子は確かに面倒くさいものなのかもしれない。
わかってはいたけれど、それでもちょっとだけ落ち込んだ気持ちを切り替えるようにフローラは休憩を早々に切り上げて、再び勉強する事にした。覚えなければならない事はまだまだたくさんあるのだ。
王妃として、王の代理として、ロクシスが面倒だと言うのなら自分はそれら全てを引き受けなければならない。親の愛情欲しさに勉強ばかりに時間を費やして、可愛げも何もないけど一応優秀だななどと評価されるだけが取り柄の自分には、それしかないのだから。
そこまでしないと必要とされない自分という存在に、フローラは痛む胸に気付かない振りをしてペンを握った。
だぁん! と壁に拳を打ち付けた事でたまたま近くにいた文官がびくりと肩を震わせたが、ロクシスはそんな事はお構いなしであった。
普段から面倒くさいが口癖のやる気も何もあったものじゃない王子が何故かお怒りの様子を見せている事に、一体何があったのだろうかと文官は思ったが触らぬ神に祟りなし。声をかけるのも躊躇われる程不機嫌そうな空気を漂わせている王子に声などかけられるはずもなかった。できる事といえば、そっと気配と足音を消して王子の周囲からそっと己の存在を消す事である。そろりそろりとゆっくり距離をとっていく文官にロクシスは気付いていたが、別にあの文官に用はない。なのでそのまま見逃す事にした。
もし用があれば声をかけていたし、それ故文官は逃げるタイミングを失っていただろう。
それよりも何よりも、ロクシスの中に渦巻く感情はただただひたすらに面倒くさいというものであった。
王族としての役目を果たしたくないわけではない。やらなければならない事は理解している。
けれども、そのためだけに上っ面だけ整えたお飾りの妻を迎えるのも、そしてそんな相手と跡継ぎを作らなければならないのも、ロクシスからすれば面倒極まりない事だったのである。
常々やる気がないと言われているロクシスだが、幼い頃から既に大抵の事は理解できていた。だからこそ、いずれは国のために自分の妻となる女性を選ばなければならない事も随分と早い段階で理解していたのだ。
けれども、それがやたらと面倒だった。
婚約者候補が集められた時、彼女たちは幼い頃から大人たちに優秀だと判断されたのだろう。やる気がないと常々のたまっていた自分のかわりとして、自分を支える妻として、いずれは王妃として国の頂点に在るべきものとして彼女たちは選ばれた。
けれども、ロクシスとしてはいくら幼い頃に優秀だろうと大人になってもそうだとは限らないと思っていた。王妃としての資質を見るにしたって、いくらなんでも早すぎる。
確かにこういった事は早めに決めるべきことだというのもわかる。だが、婚約者が決まった時点で、そんな女を追い落としてでも自分がそこに収まろうとする相手が出てこないとも限らない。
こんな、大々的に決めるべきことなのか? とロクシスは疑問を抱いた。
勿論早い段階で決まってしまえばその婚約者が王妃としての教育を始める余裕はその分できる。けれど、優秀だと言われた令嬢とはいえロクシスの目から見ると彼女たちはとてもじゃないが王妃の器足り得なかったのである。
中には自分を簡単に扱えると思いあがった家の者たちが、将来的に自分を傀儡に国を好きにしようと目論んでいる始末。膿をそのままにしておくわけにはいかなかった。その事実だけでも面倒くさい。
王子は自分に使える手段のありとあらゆるものを駆使して、まず一番厄介な家の悪事の証拠を掴んだ。そうしてそれ以外の令嬢たちとは関わった時に少しだけ、そう、ほんのちょっとお話をしただけ。
自分との話についてこられないようなら、とても優秀とは言えない。
実際王妃教育などまだ始めてすらいない小さな令嬢たちは、ロクシスの振った話題についていけるはずもなくそれ故に、ロクシスを支えるという目的はこの時点でぽっきりと折れてしまったのだ。
やる気がなかろうともやるべきことは弁えている。
実際ロクシスは最低限これだけはやりなさい、と言われた事はきちんと済ませていた。ただ、率先してそれ以上をやる気がないだけで。勿論やろうと思えばできるのだが、やる気がないのだ。
両親はロクシスをやればできる子認定しているが、それでもやはり不安があったらしい。将来の側近となるだろう者たちをとても慎重に選んでいたし、選ばれた者たちは皆やる気があって努力することを惜しまない、そして結果もきっちり出せるだけの実力を持った者ばかり。
これだけ優秀な部下がつくなら自分は楽ができそうだなぁ、と思っていたけれど、それはそれとして面倒な気持ちは残っていた。
将来的な側近候補たちの中で脱落しそうなのは今のところいない。
となれば次に決められるべきは――
予想するまでもなく婚約者である。
前回の件から数年が経過して、流石にそろそろ決めなければ問題しかない。
最悪自国で行き場のない行き遅れ王族だとかを無理矢理輿入れさせてくる他国がないとも限らない。というかそんな噂がちらっと聞こえてきてこれにもロクシスは面倒くさいと思ったのだ。
だが、性格が悪いから結婚できなかったのか能力的に不足しかないから結婚できなかったのか、はたまた見た目が悪すぎて誰ももらってくれなかったのかすらわからない他国の王女を受け入れる事になるよりも先に、婚約者が決まってしまった。幼い頃に名乗りをあげて結局無かったことになった家の令嬢ではない。
見た目は決して悪くないけれど、華があるかと問われればそうでもない。なんとも地味な令嬢だな、というのが周囲の評価であった。ただ、優秀であるという噂は聞こえてはいたのだ。
面倒くさい。
また、かつての幼い頃の令嬢たちのように王子の事は私が支えますね、なんて言われるのだろうか。別に支えてくれなんて頼んですらいないのに。頼まれてもいないうちから押しつけがましいと思ったあの時、ロクシスの口から出るのはただ面倒くさいという言葉だけ。そのくせ自分よりできるわけじゃないのに、その自信は一体どこから……と思ってそれもまた面倒だという結論に到着する。
面倒くさすぎて決まってしまった婚約者と会う機会を先延ばしにしていたのはロクシスだ。いくら顔を合わさずともいずれは夫婦になるというのもロクシスは理解していた。他に、王として適した相手がいるならまだしも、困ったことに自分以外でそういった相手がいない。
もっと父親に頑張ってほしいと思う気持ちもあるけれど、ロクシスは知っていた。色々と忙しくしていた父は少し前に内臓をやられてしまって、以前ほど頑張れない事を。無理をすればその分命が削られる。
いくら面倒くさがりだからとて、親に早死にしてほしいわけではない。そりゃあ、できる事ならもうちょっと元気に長生きして王として頑張ってもらってその間自分は親のすねをかじって生きていきたいな、と思う事もあるけれど。
だがそうもいかないし、流石にそろそろ顔を合わせるくらいしなければ今度は母からの小言がやってくる。ロクシスの今までの経験から、今日会わなければ明日か明後日にはそうなるだろうと思われていた。
だからこそ、相手の都合も何も気にせずつい先程彼女が王妃として必要な知識を学んでいる真っ最中であろうとも、部屋に突撃したのだが。
あぁ! もう!! 本当に面倒くさい!!
そうだ、普段からやる気がないとのたまう男の妻にさせられるのだから、そうなる可能性を考えていなかったわけじゃない。けれどもまさか本当にそうするとは思っていなかった。
ロクシスが公式の場にいなくとも、代理として王妃となるべき女が全て済ませてしまえるように。
彼女は王妃教育だけではない。王としての教育も受けさせられている。
ある意味で彼女は影武者だった。
勿論自分の姿形と似ているはずもない。けれども王の代理と言いながらその実到底代理などでは済まされない王の仕事もさせられてしまえば。もし国に何かあった時、きっと彼女が全ての元凶であると責任も何もかもを押し付けられる。
そうして王のかわりに裁かれるのだろう。
面倒だ、と普段から零していた自分が言えた義理ではないが、それはあまりにも重たい荷物でしかない。
王族として生まれたならまだしも、彼女はそうではないのに。
だがしかし、そうなったのは自分のせいだとわからない程愚かでもない。
確かに普段から面倒くさいと言っていたのは認める。
けれども王となった以上は面倒でもやらねばならない事はいくらでもある。ロクシス本人としてはそれをよく理解していた。していたけれど、だからといって黙々とやる気もなかったのでただ思っていた事を口にしていただけだ。王になったなら流石に場所を選ばず面倒だなんて言ってられなくなる。だからいずれはこの口癖も封印しなければならないだろう。
二人分の重圧と、国全体の期待という重荷を背負わせた両親に言いたい事はあるけれどロクシスはそれすら面倒くさかった。両親にとっては自分を大事にした結果なのだろう。常々面倒くさいと言い続けてきたからこそ、将来的にも面倒が減るような、自分の代わりに色々やってくれる妻を選んだだけ。
そしてその結果、通常の王妃教育以上に厳しいいばらの道を歩ませる事になってしまった。
本来ならばあんな面倒な事、普通の神経をしていたらとてもじゃないがやってられない。
けれども彼女は、それに対してイヤだと主張すらせずどこかぎこちない笑みを浮かべていた。
そうなった原因はなんだとなれば、それは間違いなく自分のせいだ。
あぁ、何てことをしてしまったのだろう。
面倒を避けたいだけだったのに、とんでもなく面倒な事を何も悪くない女性に背負わせてしまった。
「面倒な事は減らさなきゃ……」
普段はやりたくなーい、で済む話だがもうそんな話で済まないところまできてしまっている。
面倒だのなんだの言っていられる状況ではなくなってきたのだ。
ロクシスは自分のすべきことを頭の中で整理しはじめた。
――まず最初にやるべきことは、フローラに王妃教育だけに集中してもらう事だ。
王としてロクシスが覚えなければならない部分まで覚えさせる必要はない。何故ってそんなものとっくに自分が覚えているのだから。詰め込むように覚えなければならない事が膨大過ぎて睡眠時間を削ってまで勉強しなきゃならないなんて、なんて面倒くさいんだ。
そんな状況を解決しなければならない。既にそれは自分が覚えているし自分がやらなければならない仕事なので、フローラが覚える必要はないのだ。
そんな事よりもうちょっとしっかり休んでしっかりご飯を食べてほしい。
いくらやる気に溢れていようとも、足りない睡眠はいずれ健康面でとんでもない足を引っ張ってくる事になりかねないし、ご飯だってしっかり食べなければ身体がもたない。
ほんのり悪い顔色を化粧で誤魔化すにしたって限度というものはあるのだ。
勉強の様子を確認して、教師に覚えさせる必要のないものはすっぱりやめさせた。それによってできた時間は他の事に回されるだろうけれど、休み時間も多少は増えるだろう。
あまり社交に出る事もなかったからか、フローラはダンスが得意ではなかった。
それもあってダンスの練習もする事になったのだ。外交の場で毎回踊る事はないが、それでも他国の祭事に誘われる事はある。そういった場で踊る事だってあるのだ。そこで下手なダンスを披露してみろ。周囲から色々言われて面倒な事になる。
だからこそ、ロクシスはフローラのダンスの時間に合わせて参加するようになった。
普段は一人で練習するのだが、たまに相手役が必要になる事もある。けれどその相手役の教師はロクシスと背丈や体格が異なるから、ある程度踊れるようになってもいざロクシスと踊る時に微妙な差異に戸惑うのではないか。
そうなったらまた練習のやり直しだ。
それなら最初から自分と踊って感覚を掴んでもらった方がいい。
王妃になったらどうせ他の誰かと踊るような事なんてほとんどないのだから、練習も本番も全部自分でいい。いちいち誰かと比べるなんて面倒な事、するつもりもないしさせる気もなかった。
そうやって無駄をそぎ落としていった結果――
「ロクシス様は、私が邪魔なのでしょうか……」
自由時間を合わせた上で訪れた彼女の勉強部屋――なおつい先程までは教師もいたが休憩時間なので退室した――でお茶を用意してもらって、近況報告を聞こうと思っていた矢先にそう言われ、ロクシスは最初何を言われたのか理解できなかった。
「何故」
「いくつか、覚えなければならないものを取り消しましたよね。あれは……あれも、私が覚えなければならないはずのものなのに」
「それは違う」
「ですが、私の取り柄などそれくらいなのです。なのにそれを取り上げられてしまったら私……どこまでいってもただのお荷物になってしまいます……」
そうしたら、自分のいる意味なんて……と嘆くフローラに、ロクシスは彼女の家庭環境について思い出していた。
そういえば、妹ばかりを溺愛していて両親は彼女の事など見向きもしていなかったんだったな……姉妹で対応変えるなんてなんて面倒な事をしているんだ。
まず最初に思ったのはそれだった。
能力的な差があって、それに応じて対応を変えているのであればまだしも、単純な好みだけで家族間――この場合姉妹間と言うべきか? ともあれ、姉妹に対する差をつけすぎれば周囲がどんな目で見るかわかりそうなものなのに。
人間性が劣悪で差をつけるしかなかった、なんていう理由があるならともかく、どうもフローラの両親の言動からそうでないのは明白だし、そもそも婚約者として関わりを持ってからロクシスのフローラに対する感想は、まだ若いのにこんなに疲れ果てて……である。お前は一体何の立場から見ているんだと突っ込む相手がいないのが悔やまれる。
妹――マリーナの方が可愛らしいから愛情を向けるのは妹であって当たり前。それが正しいと思い込んでいる。指摘したところでその価値観はそう簡単に変わらないだろう。
マリーナが生まれる以前には、その愛情をたった一欠けらであるかもしれないがフローラに向けていたはずなのに。
妹も妹だ。彼女はわざと姉を貶めるような事はしていないが、自分が両親から愛されているが故に姉もそうなのだと思い込んでいる。そうではない、と気付きもしない。気付けるヒントはいくらでも転がっているのに。
姉の扱いが妹よりも大分雑であったとしても、マリーナはそれに気付かないし、誰かに訴えられたとして果たしてそれを認めるかどうかも疑わしかった。
自分を愛してくれる両親がそんな事をするはずがないと信じているのか、はたまた姉の扱いが雑であるという事実は無いものとして思っているのでそれを認めてしまうと矛盾が生じるが故に無意識に目をそらしているのか……
どちらにしても愛らしいと評判の妹の方はナチュラルに自覚ナシの無神経な人間である事が窺える。生憎とロクシスはマリーナと会った事がないのであくまでも聞こえる範囲での話からそう判断したに過ぎないため、もしかしたら後々考えを改める事もあるかもしれないが現時点ではそういう認識だった。
侯爵家の跡取りとしてマリーナが継ぐとなれば、婿がなるべく周囲を気遣えるタイプじゃないと後々人間関係に亀裂が入って破綻しそうだな、とすら思っている。
もしロクシスの婚約者としてフローラが選ばれなかったなら、果たしてどうなっていたのだろう。
あまり想像したくはないが、それでも高確率でそうなりそうだと予想できるのは、表向きマリーナが家を継いで家の中の仕事は全てフローラに……といったところであろうか。
脚光を浴びる華々しい部分だけを愛らしい妹が取り仕切り、それ以外の面倒な雑事は全て姉が。
姉を虐げているつもりのない妹がそれを良しとするかはわからないが、姉妹仲良く協力してだとか聞こえの良い言葉で両親が丸め込めば妹の方は簡単にそれを信じてしまうかもしれない。それが、どれだけ姉を踏みつけにしている行為かわからなくても。
そう考えるとやはり侯爵家の子育ては面倒な事してるなぁ、としか思えない。
若いうちは多少無神経だろうとまだ人生経験が浅いから、で許される事もあるだろう。だがそのまま年を重ねれば、許されないものへと変化するのだ。
フローラの両親はそういう意味で先を見通すのが得意ではないのだな、という評価だけをしてロクシスは自信なさげに眉を下げて視線を落としているフローラを見た。
王妃としてだけではなく王の代理として、そうなる事で己の存在意義を見出してしまった哀れな女。
それでも自分がいてもいいという理由を得たが故に、家にいた頃はまったく変化しなかった表情が多少は動くようになってきてはいる、とは報告で聞いたものではあるが。
もっと人生楽しめばいいのに。
なんでこんなに自分から貧乏くじばかり引くような事してんだろ。
いやまぁ原因の一部は自分なんだけど。
もっと余裕を与えたら、楽しむ事も覚えてくれるだろうか。
「ね、フローラ」
「は、はい」
「俺は、きみが将来のお嫁さんで良かったって今思ってるよ」
「えっ!?」
マナーとしてはどうかと思いつつ、頬杖をついて正面のフローラを見る。
とはいえ、割と普段からこんな感じだ。きちんとしないといけない場所ではもうちょっとちゃんとしている。
「俺面倒くさがりだからさ、きちんとしてる人が奥さんになるなら安心だもんね。
でもさ、俺もきちんとする時はあるから、きみがずっとちゃんとしてる必要はないんだよ。たまにはきみも息抜きすべきだ」
「そう、おっしゃられても……」
息抜きって何をすればいいのかしら。
フローラは大いに戸惑った。
何せ今まで両親にちょっとでも自分を見てもらいたい一心で勉強ばかりしてきたのだ。それ以外の――それこそダンスなど社交に関係するようなものは全部マリーナが注目されていた。
「それじゃあ、明日は俺と一緒に行動しようか」
「えっ!?」
先程とは違う意味合いでの「えっ!?」という声が出たがロクシスはそれを気にした様子もない。
フローラが何かを言うよりも早々に明日の予定が決められてしまった。拒否権がない。いや、本気で嫌がればロクシスはきっとやめてくれるとは思うのだけれど、生憎イヤだと思っていなかったので拒絶する理由がなかった、ともいう。
そうして翌日急遽王子の我儘で本来の予定が全て総崩れしたものの、フローラは今まで自分が体験した事のないものを体験する事になっていた。
例えばドレスを決める事だとか。
それに合うアクセサリー選びだとか。
今までマリーナだけに与えられていたものが、自分にも与えられるというのは未知の体験であった。
自分に与えられないもの。そう思って諦めていた。でも興味がなかったわけじゃない。自分だって妹のように綺麗なドレスやアクセサリーを身につけて着飾ってみたかった。
家族で社交の場に出た事がないわけではない。けれども妹と違いフローラは、新しいドレスなど用意すらされなかったのだ。前に妹が一度着ただけでもういいわ、となってしまったようなドレスをある程度手直ししたもの。要はお下がりである。
自分の方が姉なのに、ドレスのサイズはむしろ妹の方が少し大きかったからこそ着る事に関しては問題がなかった。
それでもドレスにだって流行がある。
一つ前の流行のドレスを手直ししたものを着て参加する社交の場は、より一層フローラを惨めな気持ちにさせていた。妹は最新の、流行りのドレスに妹がより似合うだろうというアレンジを加えているというのに自分はそんな流行りにすらのっかっていないのだ。
周囲のひそひそ囁かれる言葉はフローラが両親に愛されていない事を改めて突きつけるようなもので。
婚約者も決まっていないマリーナには次々にダンスの誘いがあったけれど、フローラにはそんな誘い一度もなくて。
それが余計に周囲のひそひそした囁きに拍車をかけていたのかもしれない。なるべく目立たないように壁の方に寄って、そうして華やかな光景をただ無の表情で見るだけで精一杯だった。
今まで自分に与えられなかった物を与えられて、ついでに王子といくつかの社交の場に出て。
普段面倒くさいが口癖の王子はフローラと共に社交の場に出た時は思っていた以上にきちんとしていた。
面倒だからやりたくない、と言ってはいてもやるしかないならできるのがロクシスである。
わぁ、こうして見るとロクシスさまとても王子様みたい……! いや実際に王子様なんですけれど。
なんて普段は思わないようなアホっぽい事をフローラは思いながらロクシスを見ていた程だ。
ちなみに周囲では今までフローラを密かに馬鹿にしていた令嬢も複数名いたのだが、この頃には食事も改善されて休みも適度に増えたからか、フローラの健康状態もしっかり改善されていた。目の下の隈はとっくにおさらばしているし、肌も荒れていたのが嘘のようにつるつるである。
そうして頭の先からつま先までピッカピカに磨き上げられたフローラは、今までの地味な見た目とは異なり華やかさを手に入れていた。
フローラとてマリーナの姉であるのだ。同じ両親から生まれているし、その両親だって顔は良かった。
マリーナが最初からわかりやすく存在している宝石であったなら、フローラは他の鉱石に覆われていてその輝きがわからない状態であったとも言える。
故にロクシスが面倒だなーとかのたまいながらもあれこれ手配してフローラを磨き上げた結果、元々持ち合わせていた美貌が姿を現すようになったのだ。
見違えたフローラに、今まで密かに彼女の事を馬鹿にしていた令嬢たちは「本当にあの地味令嬢……?」と信じられない様子だった。
だがしかし、フローラは真面目な王子様ムーヴしているロクシスを見るのに意識がいっていてそんな令嬢たちの声などこれっぽっちも聞いていなかった。
仮に今から未来の王妃と交流を重ね、王妃の友人である、という立場を得ようとしても恐らくは手遅れだろう。もうフローラの意識に彼女たちの声など届いてすらいないので。
仮にこの後関わりを持てたとしても、仲の良い友人という立場にはなれそうもない。精々が友好的な派閥に所属しているか否か、くらいのものだろうか。
今まであまり周囲と接していなかったフローラはこれまた王子に引っ張りまわされあちこちの社交に連れ出され、を何度もやっていくうちに、それなりに親しい間柄の友人というものもできつつあった。
人間関係ってめんどくさーい、と言ってた割にロクシスはきっちりどこの誰でどの派閥で、だとかをちゃんと把握していたし、フローラがまだそこまで把握していない……というような状態でも「あのご令嬢なら友人になっても大丈夫」とかしれっと伝えてくるのだ。彼は一体何をどこまで把握しているのだろうか。
何だったら他国から留学している皇女様とかしれっと紹介されてフローラは危うく一瞬大きく隙を見せるところですらあった。普段面倒とか言ってる王子の交友関係が思った以上に幅広過ぎたのである。
ロクシス曰く皇女様に関しては自分が知り合ったわけじゃなくて、側近の一人が先だそうだがそういう問題でもないような気がする。
とりあえずこの国と友好的な関係を築いていくつもりのある皇女様だったので、ロクシスはフローラに末永くよろしくしといて、ととても雑な事を言っていた。
ちなみにこの皇女様、ある意味でとてもいい性格をしてらっしゃったがフローラの事は気に入ってくれたらしく、あれよあれよといううちにフローラには何と友人までできてしまったのである。
お勉強は一杯してきたけれど人間関係を上手い事回していくのは苦手だったフローラにとって、この皇女様は笑顔で練習だと思って、などといってとんでもない無茶振りをかましたりもしたけれど。
そのおかげか、人前に出ても堂々と振舞えるようになってきたとフローラは思っている。
さて、そんな感じで気付けば年単位経過していた。
王妃教育はほぼ終わりを迎えている。ロクシスもそろそろ年貢の納め時かなー、なんて言っていてどうやらいよいよ彼が即位する日も近づきつつあるらしい。その前には結婚式をするようで、今はフローラのウェディングドレスの採寸に始まりデザインのあたりで何やらすさまじい話し合いがされていると聞く。
婚約した直後は地味令嬢と言われていたフローラだが、今となってはその面影すらないのだ。
なんだったら王子が着る服以上に気合をいれてデザイン論争が繰り広げられているらしい。
ところが、そんな中横やりを入れてきた者がいた。
フローラの両親である。
実のところ、フローラを連れて色々な社交の場に顔を出していたロクシスを見て、思った以上にマトモな王子様やってた彼のところには今まで結構な数の釣書が届けられていた。婚約者がいるにも関わらずである。
別に王妃としてうちの娘を……というものではない。
この釣書、なんと側妃としてうちの娘はどうですか? というものであったのだ。
中には愛妾狙いのものもあったと言われて、後から聞いたフローラは思わず遠い目をしてしまった。
「凄いめんどくさい事してくるね」
とロクシスはいつも通りの反応だったので一周回って安心感すらあったけれど。
今までは面倒くさいやる気しなーい、という王子であったから、そんな男と婚姻を結べば間違いなく苦労すると思われていた。それを逆に利用してやろうと思った野心あふれる家に関してはロクシスがそういう時に発揮する謎の有能さでもって潰されていたけれど、彼が本当に優れているかを目の当たりにした事のない家は彼が優秀なのではなくその側近たちがそうなのだと思っているところもあった。
故に、やはり娘に苦労させるつもりは……と大抵の家は遠巻きにしていたわけだが、事ここに至ってロクシスが様々な社交の場に現れて、意外とマトモな王子様しているのを見た者たちは話に聞いていた噂程酷いものではないな……? と思ってしまったようなのだ。
けれども既に婚約者はいる。
だが、その婚約者も噂では地味で何の華やかさもない令嬢だと聞いている。
実際その社交の場に本人がいたにも関わらず気付けなかったのはあまりの地味さに気付けなかったと思っている者と、見違えるくらい華やかな女性になっていて本人だとわかっていないかのどちらかであった。
華やかな女性を連れている王子を見て、まさかそれが婚約者だと思わなかったのだ。
王子本人が婚約者だと言っていたにも関わらず、どこかでそれを信じられなかった。
なのでその華やかな女性は側妃となる予定の者か、はたまた最初の婚約者を側妃にして彼女が王妃になるのだろうという噂すらしたほどだ。同一人物であるというのに。ある意味とてもフローラに失礼な話である。
地味令嬢が大抵の仕事をするのであれば、側妃としてなら苦労もそうしないだろう。
そう判断して今更甘い汁を啜ろうとでも思ったらしき家から、側妃としてどうだろうか、という釣書が送られてきたのであった。
なおこの時のロクシスの反応は、
「この国の貴族思ってたより馬鹿ばっかりで面倒くさい」
である。
多分そのうち何かの機会があれば一斉に膿を出そうとして様々な改革が行われるのではないだろうか。面倒な事であっても、放置した方がより面倒な事になるのであればロクシスは面倒の少ない方をとる男である。
側妃云々に関してはある程度終わらせてからフローラに笑い話のように語っていたけれど、まさかのフローラの実家からの横やりは事後報告というわけにもいかない。ロクシスはあまりの面倒くささにバッサリ拒絶してしまいたかったが、仮にも妻となる相手の実家である。もうそれだけで面倒な気配しかしない。
どうせ今まで放置してたんだから、そのままずっと放置して関わらないでくれればいいのに。
と、声に出して言えばちょっと問題になりそうな事すら思っていたくらいだ。
「それで、どうする? 一緒に来る? 多分何言い出すか予想はついてるし、面倒だからさっさと終わらせて帰ってくるつもりではあるけど」
「……では、ご一緒させて下さい」
少し考えた結果、フローラはともに行く事を決めた。
邪魔者を追い出すように王子の婚約者にした両親が、今更何を言うのだろう。ロクシスは予想がついてると言っていたがフローラにはわからなかった。
――行くだとか、帰ってくるだとか言っていたが、行く先は王城の一室である。
いくら普段はやる気のないダウナー系王子であろうとも流石に侯爵家が王族を呼びつけるはずもない。事前に連絡を入れてやって来たのはフローラの両親である。
どうせ婚約に関する話なんだろうなと思っていたロクシスは遠慮なく自分の両親もその場に呼び寄せた。一応念の為宰相と、あとはその他使用人が数名並んだ状態である。
一応簡単に挨拶を済ませ、ロクシスは興味なさげにフローラの両親の話を聞く事にしたのだった。
結論としては、ロクシスの予想通りだったと言える。
今更。
本当に今更ではあるのだけれど、王子の婚約者に妹はどうか、という打診をしてきたのである。今更。
それに対してロクシスは「何で?」ととてももっともな突っ込みをしたのだが、それは突っ込みではなく質問ととられたらしい。
妹の方が見た目にも華やかだし、王妃として外交などに参加するのであればそちらの方がより相応しい、だとか妹も決して劣っているわけではないので妃としても立派にやっていけるだとか。
フローラの両親だけかと思いきや、そこにはマリーナもいた。
彼女は両親が自分の方が王妃に相応しいだろうという言葉をにこにこしながら聞いている。
親に褒められてにこにこしているだけならまだしも、自分が王妃になれるだけの器であると信じて疑ってすらいない。いや、それは両親のせいなのかもしれないけれど。
だがその時点で器どころの話ではない。
だって自分何もわかっていませんよと言っているも同然なのだ。これで王妃として務まるつもりなのだと言われても、ロクシスからすれば面倒極まりないという感想しか出てこない。
それに、とロクシスは自分の隣にいるフローラと、向かいでにこにこしているマリーナを見る。
そりゃあ、以前のフローラは地味令嬢と言われ実際そうだったかもしれない。
けれども食事や睡眠をきちんとして改善させ、その後は美容関係に力を入れてもらった結果今ではフローラに地味なんて言ったらこの国の令嬢の八割が皆地味だという事になりかねない程度には見違えているのだ。
なんだったら今もまだ留学してこの国にいる皇女様と並んでも何の遜色もない。
けれど、マリーナは両親が溺愛しているのもあって確かに愛嬌はある。だが、それだけにしかロクシスには見えなかった。何より、今更名乗りをあげている時点で……という思いしかない。
ロクシスが即位するまで、あともう少しの時間しかないのだ。
「つまり、そっちの妹さんは三か月で王妃教育を終わらせることができるって事?」
即位まで三か月という事ではないが、正直後あと残されている時間的猶予を考えるとそれくらいだろうか。今から花嫁を挿げ替えるとなったとして、フローラのために作っているドレスは多分マリーナには似合わない気がする。
見違えたフローラは可愛いというよりは綺麗、と表現するのが正しいような気がするが、マリーナは綺麗というよりは可愛いというのがしっくりきた。
それに、生活改善した結果、去年あたりにフローラの身長は少し伸びたのだ。一緒にダンスの練習としてお互い向かい合う事があったから、案外気付くのは早かった。
その結果、今までは妹のマリーナよりちょっとだけ低かった背丈は今では少しだけマリーナよりも伸びている。
流石にウェディングドレスを使いまわすつもりはないけれど、姉のお下がりを着るにしても……フローラが着れば裾を踏まない程度に床スレスレの長さで足元を隠してくれるだろうけれど、そのドレスをマリーナが着れば間違いなくドレスの裾は床を拭く形になるだろう。その分丈を詰めればいい? そうなるとドレスに刺繍した部分が台無しになってしまう。あのドレスは長さをこれ以上長くするのも短くするのもどっちにしたって美しさを損なうのだ。
「三か月はちょっと……流石に短すぎますわ」
困ったようにそう言ったのはフローラの母だった。
「でももうそれくらいしか残された時間はないんだけど。できないの? できないのによくそれで妹の方が務まるなんて言えたね?」
「あの、私頑張ります。三か月は無理でも、ちゃんと覚えてみせます」
「で?」
「え?」
「三か月は無理でも覚える。いつ?」
「そ、れは……」
答えられるはずがない。
そもそも王妃教育の内容全てを把握できているはずがないのだ。誰でも知ってる内容だったらそもそも王妃教育とは呼べないし、ましてやどんな内容のものを覚えるのかもわからないのにいつまでに覚えられます、などと断言できるはずもない。
言葉に詰まるマリーナに、ロクシスははぁ、と露骨に溜息を吐いてみせた。
「あのさ、結納金とかもそもそも侯爵家はロクに持たせずフローラを寄越したよね。いやそれはいいよ、駄目王子の尻拭いさせるのに送り出したんだから、金はなくとも仕事ぶりで、とかそういう思惑だったんでしょ? でもさ、その妹をそれと同じで引き受けたとして、俺は彼女にフローラと同じような扱いをするつもりはこれっぽっちもないよ」
王家の金はとてもぶっちゃけてしまえば税金である。
国民からの汗と涙と血の結晶。
ロクシスはフローラにあれこれ手配した時に、フローラが家から持参した金銭などスズメの涙レベルすぎたのもあって自分の私財から賄った。
面倒くさいが口癖ではあるが故に、何かをしたい時に金がないとなればやりたい事もできなくなる。だからこそ普段発揮しない有能さでもって彼は自らの財産を馬鹿みたいに増やしていたのである。
ちなみにロクシスがどれだけの資産を持っているかを両親が知れば、やっぱり有能だったんじゃないか! となって尻拭いさせるような相手を結婚相手に選ばなかった可能性がとても高い。
というか、仮に国が傾いても王子がなんとかできそうとすら思っていたに違いないのだ。
ロクシスがそっとフローラの肩に手を置いた事で、ようやくフローラの両親とマリーナはフローラの存在に気が付いたらしい。
「えっ……お姉さま? 見違えましたね!?」
一応この部屋で最初に挨拶をしていたはずなのに、一体誰だと思っていたのだろうか。まさか側妃候補を連れ歩いているとでも? 侯爵家の中でフローラはとっくにいないものとして扱われていたのだな、と思うとロクシスは知らず眉間にしわを寄せていた。
そもそもこの場には他にもいるのに。
ロクシスが視線をそれとなく向ければ、使用人たちは温度の無い目で侯爵たちを見ていたし、国王夫妻の表情もとても苦々しい。
ついでに宰相の表情もだ。
それもそうだろう。
どうして今更なのだ。
今更、フローラの王妃教育が終わりを迎えてから妹を王妃にと言われたとして、今までフローラにかけてきた時間が戻るわけでもないし、ましてや彼女にかけた金が戻るでもない。
むしろ、王妃としての教育をほとんど終えたフローラを侯爵家に戻してその上でマリーナを王妃に、などするはずがないだろうに。下手をすればフローラは王家の内情を探るために送り込んだと思われてもおかしくはない。
「マリーナ、貴方婚約者はどうしたの?」
フローラが問えば、マリーナはえっ? と素っ頓狂な声を上げた。
「侯爵家は貴方が婿を迎えてやっていく、と言っていたじゃない。私が王妃教育をしていた期間が数日とかならまだしも、年単位で時間が経過しているのだから当然婚約者も決まったのでしょう?」
そうでなければおかしい。
フローラがそれを指摘すれば、マリーナは困ったように両親へと視線を向けた。
「マリーナに相応しい婿が中々見つからんのだ」
侯爵のそんな言葉に、ロクシスは思わず失笑していた。
「それで婚約者も見つからない行き遅れるかもしれない娘を勧めてきたんだ。王家を馬鹿にしてる?
そもそもさ、たとえその女と結婚しても俺は彼女を支えようとは思わないよ」
そう言われてあからさまにショックを受けたような顔をするマリーナであったが、ロクシスには罪悪感すら芽生えなかった。
「あれでしょ、最近はやる気なし王子がマトモにやるようになった、って噂聞いてそれならいけると思ったんでしょ? でも残念だったね。俺はフローラだから面倒だと思っててもきちんとやってんの」
「お、お姉さまと私とではそこまで変わりはないではありませんか。何故」
何故、と問うか。
マリーナの中ではフローラも自分も同じようなもの、と思っていた事にむしろ驚きを感じた程だ。
愛されなかったフローラ、溺愛されていたマリーナ。
あぁ、やはり彼女は見ようともしていなかったのか、とロクシスはマリーナに対しての元からなかった興味を完全に消失させる。
マリーナが言った意味は恐らく見た目や年齢といった外側の話なのだろう。
けれども。中身は大きく異なる。
「さっきの話からきみさぁ、なんかあっても王が王妃を支えてくれるとでも思ってるんでしょ。最初からそういう考えの時点で向いてないよ。
その点フローラは俺がやる気ないって常々言ってたから、ここに来た時点で誰に何を言われずとも全てを背負う覚悟をしていた。
王妃だけじゃない、王の代わりも務めるつもりだった。王妃教育だけじゃない。王としての教育も最初は受けてたんだよ。そして、もし国に何かあった時、王が背負うべき責任すら請け負う覚悟すらしていた。
王族でもなんでもないただの一貴族の娘が。王家の駒として何もかも引き受けるつもりでだ。
こんな面倒な人他にいないよ。
お前にその覚悟は? 無いよね? なら、俺の妻と自分を同一視するような不愉快な発言はやめてもらえるかな?」
ロクシスの冷めきった表情に、マリーナは思わず一歩後ろに下がっていた。気圧されたのだ。
ちなみにロクシスの背後で一連の流れを見守っていた王妃は、
「ロクシス、言葉遣い」
とだけ呟いてにっこり微笑んでいたがその手に持っている扇子がミシミシと音を立てていた。
公の場ならアウトな言葉遣いなのはわかっているが、まぁ自分駄目王子とか常々言われてたんで別にいいかなって……という言い訳をしたらもっと酷い事になりそうなのでロクシスはその言い分を心の中にしまってきゅっと口を引き結んだ。
そしてついでにフローラはというと。
(なんだかとても買い被られているわ……!)
と内心で驚愕していた。
いやあの、両親に愛されないし自分の居場所がないしで、せめてもの居場所づくりのために頑張ってただけで、そこまでの覚悟を背負っていたわけでは……というのが本音である。王子が面倒くさがって何もしないなら王子の分まで働くからいてもいい居場所を下さい、とそんなつもりだった。
確かにそこまでの心情を吐き出したわけじゃないから、ロクシスがフローラの行動からそういう風に受け取ったとしても何もおかしくはないのだが、真実はもっとしょぼいのである。
だがここでそれは違います、と訂正すると話の腰を折る事になるし、フローラは空気を読んで黙るしかなかった。それどころかそれを否定しても、逆に勘違いされてしまいような気さえしている。
「こんなお荷物抱えてそれでも一人の足で立ち上がろうとする女性と、最初から人に寄り掛かる前提の女を同一視するのは難しいよ。それに、フローラならたとえ足が折れても砕けてもそれでも誰の助けも求めず意地でも自力で立ち上がるだけの気概を持ってる。精神構造が面倒くさいよね。
もっとわかりやすく言ってあげようか。
今更お前の出る幕はない。王妃の生家だからとて、王家を虚仮にしていい理由にはならない。社交界で大きな顔ができると思うな」
マリーナではなく侯爵夫妻に視線を向けて言ったというのに何故かマリーナから小さな悲鳴が上がる。
それはそれとして、ロクシス様私の事面倒くさいって二度言いました? とフローラはそこを深堀するべきか悩んだがやはり話の腰を折ってはいけないと空気を読む事に徹した。
「言葉遣いはともあれ、ロクシスの言う通りであるな。今更婚約者の取り換えを申し出られても王家には何の得もない。ましてや、折角我が息子が最近やる気を見せ始めているというのに、その発端ともなったフローラ嬢を戻されたら元の木阿弥ではないか。
侯爵よ、此度の話は公式の場ではないという事で聞かなかった事にしておこう。だからこそ、これ以上愚かな事を言ってくれるなよ」
これ以上王子に任せていたらどんな暴言が飛び出てくるかわかったものじゃない。そう思った国王がどうにか収めようとして言えば、侯爵もやや表情を青ざめさせつつ頷いた。
最近になってチラチラと優秀さを垣間見せるようになってきた王子が敵に回るかのような発言をしたのだ。下手をすればフローラを別の家の養子に出されて侯爵家が潰されるなんて事も、やらかしたっておかしくはない。いや、やると決めたのであればこの王子ならばやりかねない。そう思えるだけの何かが潜んでいた。
これでもさらにごねるようであったなら、宰相が金銭的なお話からその他現実的な具体例を交えつつ今更婚約者を変えたところで何一つメリットなんてない、というのをくどくどと説くところであったのでそうなる前に退いた侯爵たちはある意味で命拾いしたと言えなくもない。
何せ宰相のお説教は心の柔らかい部分を容赦なくえぐるように刺してくる。
武力という点で最強にはならないが、精神攻撃という部分で見ればこの国最強は恐らく宰相である。
そういうわけで、この一件は何とか無事に決着した。
一歩間違ってたら宰相無双か王子無双が開幕していた事を考えれば、とても穏便に事が済んだ。
「それはそれとして。私やっぱり面倒くさいですか……?」
全てが終わったその後で、フローラは思い出したようにロクシスに問いかけていた。
あの場で。両親たちの前で自分の事を面倒くさいと二度ロクシスは口にしている。
面倒だと常々言っている相手だからこそ、面倒にならないように気を付けていたというのに。一体何がどう面倒なのかもフローラにはわからなかった。
ロクシスはフローラが何を言い出したのだろう、と思ってちょっとだけ目を瞠ったけれどすぐに思い至った。
実のところロクシスがフローラの事を面倒くさいと思ったのは一度や二度ではない。本人がいる場所で口に出したのはそう多くはないが、思った事ならそれ以上だ。
「そうだね。面倒くさいよ」
「そ、ぅですか……」
落ち込む様子を見せたフローラが、果たして何を思ったのかをロクシスは理解できない。
面倒ではある。面倒ではあるのだ。
あるのだけれど……
「でも、面倒な女は嫌いじゃないよ。
それから、俺にとってきみは世界で一番面倒な女だと思っている」
表情一つ変化させない真顔のままで言ってのけるその言葉。内容が違うものであるならば、本心かどうかをまず考えなければならないところだったが。
こんな所でわざわざ腹の探り合いのような会話をこの面倒くさがりな王子がするはずもない、とフローラは既に知っていた。それなりに関わるようになって、何となくわかるようになっていたというのも大きい。
それ故に。
その言葉が王子なりの愛の告白だという事に気付けないはずもなく。
王子は一体私の何がお気に召したのだろうか……!? と混乱したフローラは、思わずふらりとバランスを崩しそのまま壁に頭をぶつけるという醜態をロクシスに晒す事になってしまったし、いきなりぐらりと倒れかけたと思ったら頭をごんと壁にぶつけたフローラを、どうにか事前に阻止しようとしたけれど間に合わなかったロクシスが咄嗟に抱き留めたところで。
フローラの意識はすぐに現実に戻ってこなかったし、ぶつけた部分がたんこぶになってやしないかと焦るロクシスが近くにいた使用人に「氷、いや氷嚢を」と言いつけているのを。
突然のアオハルですわね、陛下、と王妃だけがにっこにこで眺めていたのである。
なお国王はこの状況でそこまで笑顔になれる王妃の精神力の強さに戦慄した。
一応息子にもそういう情緒はあったのだな……と思いはしたが、口に出すのはどうかと思ったが故に思うだけに留めてある。
――その後に関しては、特に言うべきこともない。
ロクシスが王として即位した時は国民たちもそれなりに不安を抱いていたようではあるけれど、下手をするとすぐ王の分の仕事まで片付けようとし始める王妃を留めるためにロクシスは仕事をため込む事なく早々に片付けるようになっていたし、優秀な側近たちも空き時間で色々できる事をあれこれやっていった結果、あの怠惰な王子が即位したら色々とやりやすくなるぜ、とか思って裏でコソコソ悪事を働いていた連中は証拠をばっちり押さえられ大捕り物が繰り広げられたくらいである。
気付けば王子が三人王女が二人生まれる事となったし、犯罪組織もこの頃には暇を持て余した優秀な側近たちがほぼ潰してしまったしで、国内はとても平和になった。
国王夫妻の夫婦仲も良好。
民から税金を多めに徴収して横領していた役人も逮捕され、不当に徴収されていた分は遡って返却されて税金も下がった事で、国民たちも大分過ごしやすくなったとにっこにこである。
そもそも横領されていた分を遡って返却とかとんでもなく面倒な事だろうに、しかし優秀な側近たちがとんでもなく暇を持て余していたのでできてしまった事でもあった。
最近では暇すぎて仕事を奪い合うまである。
とりあえず言える事は――
今日も王国は平和である、といったところだろうか。
やればできる子ならぬやればできる王子のロクシスさんは
1 ギフテッドだった
2 人生何周目とかのチートだった
3 神様から何かやばい加護もらってた
などの疑惑がありますがそこら辺は適当に想像しておいてください。




