煩悩と私
「先生、はいってもよろしいですか。」
こう教授の部屋の前で言い始めたのはいつのことであっただろうか。私たちはコロナが始まった2020年に入学した。かわいそうに、なんもできなくて哀れだと言われた世代であった。確かに、我々はよく分からない存在にことごとく振り回された世代であった。未だに大学の主要行事のことをまともに知らないところが、その証左であろう。
私はそんな哀れな目で見られる視線がどことなく冷笑の視線だとどうしても感じてしまっていた。確かに散々何か知らな奴に振り回されていた。でも、何もできないことなんてそれは全くもって嘘であったからだ。この世に生まれてこの方、事がうまく運んだ経験をほとんど味わってこなかった。むしろ何かに妨害されたり、縁がなくて途方にくれたりしてきた人生であった。
「何が哀れな学生だ、くそったれ!!」
ただその世代に災厄を経験した人間だ、それ以外何の違いが他の人間とあろうか。私は別に意識高い系の学生ではない。ただ好きなことを学ぶために入っていっただけの学生だ。時間のある限り、何かしてやらあという気力で色んなことをしてきた。
自転車で寺院現地取材、クラブの立ち上げ、仏教書の通読などなど……
今の自分はこんな時期があったなと懐かしんでいるが、はてここで我はここでいいのか止まってしまっては何か腐ってしまうものがあるのではと感ぜられた。だからこそ、この足が使いもんにならなくなるまで歩き続けたいと思った。
しかし、私の母は「もう休めてもいいだろ。また、歩き続ける時が来る。それまでの短い休みの間、そなたを休めるがいい」と。だが、この言葉に納得する自分なんぞどこにもいなかった。
これでいいのか、これでいいのか……これでいいのか……
ただただ疑問でしかなかった。
私はまだ暗闇の海面上を歩いている。