憧れのお姉ちゃんと終末を過ごすことになりました。
この短編を含む「無垢な妹と残念な姉シリーズ」をよろしくお願いいたします。
はじめましての方ははじめまして、私の名前は日比谷琴音。十四歳の中学二年生です。
突然ですが、私には大学生のお姉ちゃんがいます。背が高くて、お胸も大きくて、長い黒髪が綺麗で、頭もよくて、優しくて、友達さんも多い、私の憧れのお姉ちゃんです。周りの人からはお姉ちゃん凄いってよく言われます。妹の私も鼻が高いです。えっへん。
さて、今日はそんなお姉ちゃんにドッキリを仕掛けようと思います。本日の日付は四月の一日────エイプリルフールです。「噓つきは泥棒の始まり」ということで、普段の生活では嘘をつかないように心掛けている私ですが、今日だけは特別なのです。
絶対にバレない完璧な嘘をついて、お姉ちゃんがビックリする姿を楽しみたいと思います!
そういうわけで、午前九時。日比谷琴音隊員は活動を開始します。リビングにてお姉ちゃんを捕捉しました。ソファに座ってファッション雑誌に目を通しています。
私は綻びそうになる口元をギュッと引き締めて、粛々とした雰囲気でお姉ちゃんのもとへ向かいます。
「おはよう、琴音ちゃん……どうしたの? そんな怖い顔をして」
「おはようございます、お姉ちゃん。実は、お姉ちゃんに伝えておかなければならないことがあります」
「ふーむ?」
お姉ちゃんは私の言葉に興味を惹かれたのか、雑誌を閉じて私と向き合います。
ドキドキという心臓の高鳴りを感じながら、私は一晩かけて考えた「嘘」を口にします。
「今夜…………世界が滅亡してしまいます!」
「…………えー?」
「宇宙から飛来した巨大な隕石が地球に衝突し、この星は真っ二つに割れてしまうのです!」
私が「世界の終焉」というフェイクニュースを披露すると、お姉ちゃんは「ふむ」と神妙な顔をして頷きました。もっとビックリすると思っていたのですが、とても淡白な反応です。これでは勇気を出して嘘をついた意味がありません。
「お姉ちゃん、あの────」
「琴音ちゃんも気が付いてしまったんだね。この世界の────終幕に」
「……えっ?」
「琴音ちゃんが何処でその情報を得たのか知らないけど、きっと賢い琴音ちゃんのことだから自分で辿り着いたのかな」
「ど、どういうことですか?」
お姉ちゃんは「ふぅ」と何かを諦めたように息を吐きました。
「大学で宇宙の研究をしているときに、巨大な星が地球に接近していることを観測してね……その星が地球に衝突するエックスデーが今日なの」
「……そんなはずはありません! だって、地球が滅亡するというのは私が考えた嘘ですから!」
「嘘? ああ、そういえば今日はエイプリルフールだったっけ。ふふっ、噓から出た実ってやつだね」
「そんな……」
ほんの冗談のつもりだったのに。お姉ちゃん曰く、今日で本当に世界が終わってしまうらしいです。私は愕然とするしかありません。
しかし、いくらお姉ちゃんが言ったことであっても、にわかには信じがたいです。テーブルの上に置いてあったリモコンを取って、テレビの電源を入れます。
『────見てください、このプルプルのお肌! これもコラーゲンのおかげなんですね~』
私の目に飛び込んできたのは、いつもと変わらないテレビショッピングでした。チャンネルを切り替えてみても、それらしい情報は出ていません。ニュース番組も難しい政治の話題で持ちきりです。
私は安堵に胸を撫でおろします。
「ほら、やっぱり大丈夫なんですよ」
「……本当にそう思う?」
お姉ちゃんはもの悲しさを滲ませた微笑を浮かべて、私の手を取りました。
「世界の終末をメディアが報じたところでパニックを招くだけ。だから、世界が滅ぶなんて情報を地上波に流すようなことはしないの。恐怖に怯えるよりも、知らないままの方が気楽で幸せじゃない?」
確かに、お姉ちゃんの言うことは筋が通っているように思います。知らぬが仏……そういうことなのでしょう。
「この事実を知っているのは……」
「私と琴音ちゃん、あとは研究機関の人だけだよ」
「それじゃあ、お父さんとお母さんも……」
「うん、何も知らないんじゃないかな」
お父さんもお母さんも家にはいません。お仕事に行きました。最後の日なのに夜まで会えません。心の中にポッカリと穴が空いてしまったような気がします。
茫然としていると、お姉ちゃんが慈しむように私の頭を撫でてくれました。
「こういう時はね、一つずつ整理していくことが大事なの。今日が終わる前に、琴音ちゃんがやりたいことをリストアップしてごらん? それを一つずつ叶えていけば、きっと悔いのない一日になるだろうから」
◆
【私がやりたいこと】
・お姉ちゃんと最後の時間を過ごす
・お父さん、お母さんに「大好き」「ありがとう」をいっぱい伝えて、だきしめてもらう
・お世話になった人に会いに行く
・美味しいものを食べる
・きれいな景色を見る
私の手は、そこまで書いて止まりました。B5サイズのノートはまだまだ余白がありますが、これ以上は必要ないと感じました。
隣でペンを走らせていたお姉ちゃんも、どうやら書き終えたようです。
「琴音ちゃんはどんなことを書いたのかな?」
「こんな感じです」
「ふむふむ…………かわいいなぁ」
「な、なんだか恥ずかしいです。お姉ちゃんのも見せてください」
「はい、どうぞ」
お姉ちゃんからメモ用紙を受け取ります。頭脳明晰、品行方正なお姉ちゃんのことですから、きっと崇高なことが書いてあるに違いありません。
【目標】
・琴音ちゃんとデートする!
あわよくば
・琴音ちゃんをペロペロする
・琴音ちゃんをぷにぷにする
・琴音ちゃんをクンクン嗅ぐ
・琴音ちゃんにちゅっちゅする
・琴音ちゃんをめちゃくちゃ抱きしめる
・琴音ちゃんと一緒に寝る
そこにはお姉ちゃんの欲望がたくさん詰まっていました。
そして、「琴音ちゃん」がゲシュタルト崩壊しました。琴音ちゃんって何でしたっけ……。
ぶんぶん、と頭を振って正気に戻ります。
「なんですかこれは!」
「なに、って私のやりたいことだよ?」
「変態さんみたいですよ!」
「変態さん!?」
お姉ちゃんは考え込むようなそぶりを見せながら「琴音ちゃんから変態さん呼ばわり…………アリね」などとよく分からないことを呟いています。
何はともあれ、これで私とお姉ちゃんの「やりたいこと」は抽出できました。
「とりあえず、今日は夜までお姉ちゃんと一緒にいることにします」
「私としては万々歳だけど、琴音ちゃんはそれでいいの?」
「はい。お父さんとお母さんは夜にならないと帰ってきませんし……それに、私にとってはお姉ちゃんと一緒に過ごすことが何よりも大事なことなのです」
「琴音ちゃん…………」
お姉ちゃんは感極まったように胸の前で手を合わせます。
「せっかくだから、おでかけして『お世話になった人に会いに行く』『美味しいものを食べる』『きれいな景色を見る』っていう琴音ちゃんの願いも叶えようか」
かくして、私とお姉ちゃんは最後の日をデートで過ごすことになったのでした。
◆
家を出ると、ぽかぽか陽気が私とお姉ちゃんを包みました。今日で世界は終わるというのに、ヒバリが春の訪れを告げるように鳴いています。
はす向かいの家に住むネコちゃんも庭先で日向ぼっこをしていました。今日も可愛いです。
「一度でいいのでネコちゃんを飼ってみたかったです」
「お母さんがアレルギーだからねー……」
「将来、一人暮らしを始めたら飼うつもりでした」
それも叶わぬ夢となってしまいました。
「お姉ちゃんにも叶えたい夢ってありますか?」
「いっぱいあるよ。例えば、琴音ちゃんのペットになりたいとか」
「……え?」
「冗談だよ」
「ですよね」
さすがお姉ちゃん、冗談もお上手です。私が「ネコちゃんを飼ってみたかった」と言ったので、気をつかってくれたのでしょう。たぶん。
「(ペットという立場もいいけど、やっぱりお嫁さんがいいよね。あー、でも、娘というポジションもありかもしれない)」
お姉ちゃんが何かをボソボソと呟いていますが、上手く聞き取れません。
お姉ちゃんと手をつなぎながら閑静な住宅街を歩きます。この町に十四年も住んでいますから、どこが誰のお家で、どこに抜け道があって、どこへ道が続いているのか勝手知ったるものです。
しかし、この見慣れたはずの風景も明日には見られないのだと思うと、まったく別の景色に見えてきました。
未視感というやつでしょうか。
まばたきを繰り返して、一瞬一瞬の風景を切り取るように脳裏へ焼き付けていきます。
この世界が悠久のものではないと知ってしまったからか、道端の雑草や雨ざらしで錆びた鉄柵、電柱の汚れでさえも美しいものに見えてきます。世界は私が思っているよりもキラキラしていたみたいです。
「これが瞬間の美学というものなのですね」
「琴音ちゃん?」
「人生は一分一秒も無駄にはできないんだということを学びました」
「……? 難しいことを考えてるんだねえ」
お姉ちゃんは私をギュッと抱きしめてくれました。胸いっぱいにお姉ちゃんの香りが広がります。
大きなお胸に顔を乗せて、上目でお姉ちゃんを見つめます。
「こうしてお姉ちゃんと一緒にいられるのも、あと何時間なのでしょう……」
私が弱気なことを言うと、お姉ちゃんはより一層強く抱きしめてくれるのでした。
◆
『本日臨時休業』
本屋さんの入り口には、本屋のお姉さんの手書きと思われる張り紙がしてありました。
「今日に限ってお休みなんですね……もしかして、本屋のお姉さんも世界の終わりを知っていたのでしょうか?」
「そんなことは無いと思うけど…………」
お姉ちゃんは首をかしげています。何かを思い出そうとしているようで────しばらくして「あっ」と声を漏らしました。
「そういえばあの人、今日はコンサートに行くって言ってた」
「そうなのですか?」
「うん。チケットが当たったってはしゃいでいた気がする」
「残念です……」
いつもお世話になっている本屋のお姉さんには挨拶をしておきたかったので、会えないのは寂しいです。しかし、本屋のお姉さんは最後の一日を幸せに過ごせているということなのですね。
『お世話になった人に会いに行く』という願いは叶わずじまいですが、時間は残酷にも進んでいきます。ぼーっとしている暇はありません。
「琴音ちゃん、これからどうしよっか」
「そうですね……お姉ちゃんにおまかせします」
「じゃあ、きれいな景色を見に行こうよ」
「きれいな景色ですか?」
「うん。とっておきの場所があるの。ちょっと遠いけど付き合ってくれる?」
私はこくこくと頷きます。
お姉ちゃんと、きれいな景色を見に行くことになりました。
道中、ファミリーレストランでお昼ご飯を済ませてから駅に向かいます。鈍行列車に乗り込むと、遠足に行くみたいでわくわくしました。
「お姉ちゃん! 見てくださいあれ!」
「おー、すごくきれいだね」
車窓から見える風景は自然豊かで、遠くに見える山は桜色に染まり、線路沿いの小川は柔らかな日差しを浴びてキラキラと輝いています。私たちの住む町からそれほど遠くない場所なのに、まるで異世界を見ているような気分になりました。
お姉ちゃんと一緒に美しい景色を堪能していると車内アナウンスが流れました。もうすぐ駅に停車するようです。
「次の駅で降りるよ琴音ちゃん」
「はーい!」
私とお姉ちゃんは小さな駅で降りました。駅員さんに切符を手渡して駅を出ると、香りの良い春風が吹き抜けていきました。
お姉ちゃんに手を引かれながら目的地に向かいます。お姉ちゃんの手をぎゅっと握ると、お姉ちゃんも私の手をぎゅっと握り返してくれます。それが何だか楽しくて、お姉ちゃんの手をにぎにぎすることに集中してしまいました。せっかく風光明媚なところに連れてきてもらったのに、駅を出てから景色よりもお姉ちゃんの手に夢中です。
でも、手をつなぐのもこれで最後かもしれないと思うと、どうしてもお姉ちゃんの手をにぎにぎしてしまうのでした。
「もうそろそろ着くから、少し私の話を聞いてくれる?」
「どうしたのですか?」
「ここから先は私が琴音ちゃんを誘導するから、いいと言うまで目を閉じていてほしいの」
「それは……そうした方が感動できるからですか?」
「ご名答」
お姉ちゃんなりのサプライズらしいです。指示された通り目を瞑ると、お姉ちゃんが私の両手を取りました。お姉ちゃんに導かれながら、ゆっくりゆっくり歩みを進めていきます。
目を閉じているからか、視覚以外の感覚が鋭敏になったような気がしました。耳を澄ますと、砂利を踏みしめる私たちの足音に混ざって、草木が風に揺れる音やウグイスの鳴き声が聞こえてきました。大きく息を吸い込むと、名も知らない花の香りが鼻腔をくすぐります。両手から伝わる柔らかな熱は暗闇の中であっても安心できる温かさがありました。
「着いたよ、琴音ちゃん」
時間にして五分ほど歩いたでしょうか。お姉ちゃんから声がかけられると同時に手が放されます。しかし、「いいよ」とは言われていませんから、まだ目を瞑ったままです。
ちょっぴりドキドキしながら待っていると、その時はやってきました。
「目を開けてもいいよ」
「………………ふわあぁ」
目を開けた瞬間、私は感動のあまり言葉を失いました。
視界いっぱいに広がっていたのは桜色のカーテンでした。前も後ろも山桜に囲まれた秘境に私は立っていました。風に舞う花びらが幻想的で美しいです。
「とってもきれいです」
「よかった。ここは、まだ琴音ちゃんが産まれる前に一度だけ家族で来た桜の名所なの。いつか琴音ちゃんにも見せてあげようって話はしてたんだけど、なかなか機会がなくて」
「お姉ちゃん、連れてきてくれてありがとうございます!」
「喜んでもらえてよかったよ」
桜舞う景色の中で風になびく黒髪を抑えながら微笑むお姉ちゃんは芸術作品のようでした。「絵になる」とは、このような光景を指すのですね。
「前もってシートとお弁当を準備していたらピクニックできたんだけどね。それはまた今度かな」
お姉ちゃんは苦笑してそう言いました。
また今度。
私は不意に寂寥感を覚えました。「今度」なんて、もう訪れません。明日には隕石のせいで全て消え去ってしまっているのです。
でも、今は考えないことにしました。考えたってどうしようもないことを考えるよりも、今の一瞬を大切にした方がきっと幸せですから。
夕日がさす車両には、私とお姉ちゃん以外に人は乗っていませんでした。桜並木の道を歩いて回ったからか、心地よい疲労感が全身を包んでいます。お姉ちゃんが「これ以上歩けない………無理」と膝に手を付いていたのは記憶に新しいです。運動不足ですね。
車窓から見える景色は、行きの時とは別の姿を見せていました。遠くに見える山々は茜色に染まり、線路沿いを走る小川の水面は夕日を映し返しています。
「今日は楽しかったです」
私が感想を述べると、お姉ちゃんは満足そうな笑みを浮かべました。
「私も楽しかったよ。ただ、山道を歩かされたのはキツかった。琴音ちゃんの体力を舐めてた。夜のお楽しみのための体力がほとんど無くなってしまった……」
「夜のお楽しみってなんですか?」
「なんでもないよ?」
お姉ちゃんは誤魔化すように私の頭を撫でてきました。くすぐったいけど、気持ちいいです。
この幸せな時間が永遠に続けばいいのに。
私はそんなことを思いながら電車に揺られるのでした。
◆
帰宅してからは最後のひと時を楽しみました。
仕事から帰ってきたお母さんとお父さんにたくさん感謝を伝えて、抱きしめてもらいました。
最後の晩餐は、お手製のハンバーグです。お姉ちゃんと一緒に作りました。
それから、お風呂と歯磨きを済ませて一息つきます。明日で世界は終わってしまいますから、本当はお風呂に入らなくてもいいし、歯も磨かなくていいのでしょう。しかし、これまで続けてきたルーティーンからは簡単に逸脱できないようで、機械的に就寝前の習慣をこなしていました。
夜の九時を間近に控えたころ、私は眠気に襲われていました。「九時になったら寝る」という規則正しさが身体に染みついていて、それは世界の終わりの日でも正確に機能しているようです。
リビングのソファであくびを噛み殺していると、寝間着姿のお姉ちゃんが何やらそわそわした様子で声をかけてきました。
「ねえねえ琴音ちゃん」
「なんですか?」
「お姉ちゃんのワガママに付き合ってもらっていい?」
「ワガママの内容によります」
「今日で世界が終わるのに意外とドライな返事だ……」
「安請け合いはよくないと思いますから。私にできることであれば、もちろん協力します」
「あ、そうだよね。とっても合理的で素敵」
「それで、ワガママとはなんですか?」
「……ちょっと付いてきて」
言われるままに付いていくと、その先は私の部屋でした。お姉ちゃんがシングルサイズのベッドに腰かけたので私もその隣に腰を下ろします。マットレスのスプリングが悲鳴をあげるようにギシリと軋みました。
お姉ちゃんは背筋を伸ばして居住まいを正しました。
「ワガママというのは………キスです」とお姉ちゃんは言いました。
私は要領を得ず、小首をかしげて「ふむ?」と呟きます。そんな反応を見かねたからか、お姉ちゃんは両手をつく勢いで頭を下げてきました。
「私にキスをしてくださいっ!!」
「わわっ」
「琴音ちゃんからキスしてほしいんです! お願いします! 短い後生でこれだけは叶えたい夢なんです!」
圧がすごいです。もはや執念すら感じます。
しかし、これだけお願いされているところ申し訳ないですが、内容がちょっとアレなので簡単に首を縦に振れません。
私がうんうん唸っていると、お姉ちゃんはしょんぼりした顔をして「姉とのキスは、やっぱり嫌?」と尋ねてきました。
お姉ちゃんとのキスは正直に言うと嫌じゃないです。私が寝ている間にたくさんキスされているらしいですが、特に不快感はありません。むしろ、愛されているんだなあという実感が湧いてきて胸がポカポカします。
でも、お姉ちゃんからキスをするのと、私からキスをするのでは話が異なります。
「自分からは恥ずかしいので嫌です」
「そこをどうにか!」
「そもそも、どうしてお姉ちゃんは私からキスしてほしいんですか? 手慣れているお姉ちゃんが私にキスすればいいと思いますけど」
「えっ……それはだって、意中の相手からしてもらった方が愛情を感じられて嬉しくない?」
「なるほど」
お姉ちゃんの言う通りです。愛情表現という意味では相手からしてもらった方が良いのは確実です。
だからといって、私からキスをするという行為が恥ずかしいという事実に変わりはありませんから、やっぱり私は一歩を踏み出せません。
どうしたものかと悩んでいると、お姉ちゃんは覚悟を決めたような凛とした顔で語り始めました。
「ねえ琴音ちゃん。この世界は今日で終わるんだよ。もし琴音ちゃんからキスされないままこの世を去ることになったら、きっと私は成仏できないよ」
「えっ…………」
「お願い琴音ちゃん。お姉ちゃんのお願いも叶えて?」
お姉ちゃんは潤んだ瞳でこちらを見つめてきます。
……そうですね、わかりました。
人生最後の願いとなれば叶えないわけにはいきません。それに、今日一日は私のワガママに付き合ってもらったのです。お姉ちゃんのワガママにも付き合うのが礼儀ではないでしょうか。
「恥ずかしいので一回だけですよ」
「いいの? してくれるの?」
「はい」
「うれしい!」
お姉ちゃんは唇をこちらに差し出してキス待ち顔をします。は、早すぎませんか。もうちょっと雰囲気作りとか気持ちの準備の時間とか……。
──ええい、やるしかないです!
私は覚悟を決めてお姉ちゃんの肩に手を置きます。間近で見るお姉ちゃんの顔は余りにも美しすぎて、心臓がバクバク跳ねます。
……ゆっくり、ゆっくり顔を近づけていきます。目を瞑って、顔を傾けて────唇が触れました。
柔らかくて艶やかなお姉ちゃんの唇。愛情が伝わりますようにと祈りを込めて、いっそう強く押し付けます。いつの間にかお姉ちゃんに抱きしめられていて、私のドキドキまで伝わってしまわないか不安になります。
すっと顔を離すと、お姉ちゃんと目が合いました。いつも凛々しいお姉ちゃんにしては珍しく、とろけた表情をしていました。
「どうでしたか?」
「こころがぽかぽかした」
えへへ、と笑うお姉ちゃんの顔を見て思わず目を逸らしました。もうキスはしていないのに、どうしてドキドキしてしまうのでしょうか。
顔が真っ赤になっていることを知られたくないので、私はお姉ちゃんの胸に顔を埋めて誤魔化すのでした。
それからしばらくお姉ちゃんとベッドの上でゴロゴロしたり抱きしめ合ったりしました。
「……ふわあぁ」
「琴音ちゃん、眠い?」
「ふあい」
「そっか。もう十時だもんね。琴音ちゃんにしては夜更かしだからね」
「ねます」
「うん、おやすみ」
部屋の電気を消して、お姉ちゃんにぎゅっとしがみつきます。お姉ちゃんの身体は柔らかくて温かいです。私専用の抱き枕なのです。
お姉ちゃんによると、日付を回るころに巨大隕石が地球に衝突するそうです。つまり、二度と私が目覚めることはありません。
眠りに落ちる寸前の脳内で、これまでの人生を振り返ります。日比谷琴音として生を受け、大切な家族と一緒に過ごした十年と少し。物心ついたときからお姉ちゃんにベッタリで、中学生になっても姉離れできませんでした。
後悔はたくさんあります。両親に恩返しもできていません。叶えられなかった夢もたくさんあります。
それでも、確かに幸せといえる人生でした。
日比谷琴音としての人生はここで終わりを迎えますが、願わくば次の人生も幸多いものになればいいなと思います。
「おねえちゃん」
「なーに?」
「うまれかわっても、おねえちゃんのいもうとになりたいです」
私はそう言い遺して永遠の眠りにつきます。最期の瞬間、お姉ちゃんの傍に居られた私はやっぱり幸せ者です。
◆
翌朝。何事もなく目が覚めました。
寝起きでぼんやりする頭はクエスチョンマークで埋め尽くされます。
枕元の時計を見ると午前六時ちょうどを指していました。アラームをかけなくても自動で目が覚めてしまう体質は今日も正常に機能しています。
「……あれ?」
むくりと上体を起こして状況を確認します。傍らで爆睡しているお姉ちゃんは何故か下着姿で、衣服はベッドの外に放り出されています。暑かったから脱いだのでしょうか。もう春ですからね。純白の上下セットが眩しくて目のやり場に困ります。
そして、どうしてか私の寝間着もはだけています。脱げているというよりかは、脱がされているような……まあ、いいです。それよりも考えなければならないことがあります。
「……何故、私は生きているのでしょう。昨日、世界は滅びるはずだったのに」
魔王のようなセリフが口から飛び出しました。世界は滅びの絶望とは無縁で、私は新しい希望の朝を迎えました。もしかして、巨大隕石は飛来してこなかったのでしょうか。もしくは地球に当たらなかったとか?
徐々に覚醒してきた私はベッドから降ります。衣服の乱れを整えてリビングに向かうと、そこにはいつもと変わらないお父さんとお母さんの姿がありました。とりあえず朝の挨拶をしましょう。
「おはようございます」
「おはよう琴音」とお父さん。
「おはよう、今日も早いね」とお母さん。
テレビに目を向けると、そこには日付を表す【4/2】が表示されていて、お天気お姉さんが今日の最高気温を教えてくれています。
「あの、隕石はどうなったんですか?」
「どうしたの琴音ちゃん。悪い夢でも見た?」
お母さんが心配そうに顔を覗き込んでくるので、私は頭を振ります。
「昨日、お姉ちゃんに教えて貰ったんです。四月一日に巨大隕石が地球に衝突して世界が滅んでしまうって」
「ああ、昨日はエイプリルフールか。ずいぶん分かりやすい嘘をついたんだな」
お父さんは朝刊から顔を上げて、そんなことを言いました。
……え、嘘なんですか?
私が目をぱちくりさせていると、お母さんが茶化すように言いました。
「琴音ちゃんは、そんな幼稚園児が考えそうな嘘に騙されたの?」
「…………お姉ちゃんに確認してきます」
「あ、ついでに起こしてきて。あの子ったら最近、春休みだからって昼前まで寝てるのよ」
お母さんからのサブミッションも受領して、再び私の部屋に向かいます。
ベッドの上では下着姿のお姉ちゃんが幸せそうな顔で安眠しています。
「お姉ちゃん起きてください。お話ししたいことがあります」
「むにゃ……琴音ちゃんのペットは私だ…………」
「なに訳の分からない夢を見てるんですか。お姉ちゃん、朝ですよ。起きてください」
「キスしてくれたら……起きるかも…………」
「しませんよ…………なかなか起きてくれないお姉ちゃんには二度とキスしてあげません」
「起きました」
お姉ちゃんの目がパチッと開かれました。次いで、何故かベッドの上で正座の姿勢をとりました。
この先の展開が、ちょっとだけ予想できてしまいます。
「おはようございます、お姉ちゃん」
「おはよう、琴音ちゃん」
「お姉ちゃん、私に嘘つきました?」
「嘘つきました」
「ほー…………」
まったく気が付きませんでした。私は、まんまと騙されていたようです。
「ということは、世界は滅びないんですね?」
「世界は滅びないし、そもそも私は大学で宇宙の研究に携わっていない。あと、琴音ちゃんは今日もかわいい」
「ありがとうございます」
世界は終焉を迎えることなく今日も明日も続いていくようです。
「えっと、一つだけ確認させてください。お姉ちゃんはどうして私に嘘をついたのですか? やっぱり、騙される姿を見て楽しみたかったからですか」
「あー……それはね」
お姉ちゃんは両手をついて頭を下げました。きれいな背中に、流麗な黒髪が扇状に広がります。
正座から土下座の姿勢に移行しました。見慣れた光景です。
「とりあえず、すみませんでした」
「はい」
「騙されている琴音ちゃんを鑑賞するのが楽しかったことは否定しません。どこで嘘に気づくのかなと内心わくわくしていたのですが、気づく素振りも見せなかったので私の妹ちょろ可愛いすぎでしょと萌えが止まりませんでした」
「ふむふむ?」
「それから、人生最後の日っていう嘘を押し通せれば普段はできないようなことがたくさんできるという思いもありました。多少のワガママなら聞いてもらえるだろうという打算です」
「なるほど」
「実際に琴音ちゃんからキスをしてもらうという偉大なアチーブメントを達成することができましたし、昨日リストアップした欲望もすべて達成することができました!」
お姉ちゃんは何故か独白しながら盛り上がり始めました。
確か、お姉ちゃんの欲望リストは────
【目標】
・琴音ちゃんとデートする!
あわよくば
・琴音ちゃんをペロペロする
・琴音ちゃんをぷにぷにする
・琴音ちゃんをクンクン嗅ぐ
・琴音ちゃんにちゅっちゅする
・琴音ちゃんをめちゃくちゃ抱きしめる
・琴音ちゃんと一緒に寝る
変態さんみたいな願いばかりでしたっけ。
「デートしましたし、抱きしめてもらいましたし、一緒に寝ましたけど、他は何もされてないですよ?」
「琴音ちゃんが寝ている間にペロペロもぷにぷにもクンクンもちゅっちゅもしちゃいました!」
「何ですかそれ!? 変なことしてないですよね!?」
「…………」
「なんでそこは黙るんですか!」
「すみませんでした」
お姉ちゃんはその一言で証言を締めくくりました。最後は何に対しての謝罪なんですか。嘘をついたことに対してなのか、変なことをしたことに対してなのか……。
私が戦々恐々としていると、お姉ちゃんが頭を上げました。
「しかし、琴音ちゃんにも謝ってほしいことがあります!」
「な、なんですか……」
その表情は毅然としていて私は思わず怯んでしまいました。お姉ちゃんは僅かな間をおいて、私の「過ち」を指摘してきます。
「そもそも、事の発端は琴音ちゃんからではないでしょうか。エイプリルフールだからと私を騙そうとして嘘をついたではないですか。隕石が地球に衝突して星が真っ二つに割れるなんて嘘を先に言い始めたのは琴音ちゃんです」
「確かに……!」
「嘘はよくありません。謝罪を要求します!」
「はわわ……」
お姉ちゃんの言う通りです。いつもの流れでお姉ちゃんが謝る感じになっていましたが、そもそも嘘をついたのは私です。自分のことを棚に上げてお姉ちゃんにだけ謝らせるなんて、それはダメです。
私は「ごめんなさい」と言ってペコリと頭を下げます。しんとした静寂が部屋を包みました。
「……ゆるしません! 謝意が足りない!」
「ええっ……どうすればゆるしてもらえますか?」
「キス! ごめんなさいのキスを要求します!」
「またキスですか!?」
「はい、んーっ」
お姉ちゃんは両手を広げてキスをせがんできます。昨日は世界が終わると思っていたから出来たのであって、今日は恥ずかしいです!
「できません! むりです!」
「できる! 昨日できたことは今日もできる!」
「うーっ……」
しぶしぶ、お姉ちゃんの太ももを跨ぐように腰を下ろして対面します。これでごめんなさいの気持ちが伝わるのならば、やらないわけにはいきません。
お姉ちゃんの頬に手を添えて、キスの準備を整えます。
感触を覚えているせいか、唇が勝手にムズムズし始めました。
……もう一度、お姉ちゃんとキスできるんですね。
だ、ダメです! なんだか変なことを考えそうになりました!
これは罰です。ごめんなさいの気持ちを込めた謝罪のキスなのです。
お姉ちゃんは目を閉じて私のことを待っていました。あまり長い間待たせると、ゆるしてもらえなくなる可能性があります。
こくりと生唾を飲みこんで、顔を近づけていきます。
いざ始めてみると、昨日よりも抵抗感が無くなっていることを自覚しました。一度キスを経験したことによって、ハードルが下がっているのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、私の唇がお姉ちゃんと────
────コンコン
触れる前に部屋のドアがノックされました。
「「────っ!」」
声にならない悲鳴を上げて、私たちはキスを中止します。身体を離した勢いそのままにベッドから転がり落ちた私は部屋の入り口を見ます。幸い、ドアは開けられていませんでした。
「ちょっと、いつまで寝てるの。朝ごはんできたよ」
扉の向こうからお母さんの声が聞こえてきます。私が返事をする前に、いつの間にか部屋着を身にまとったお姉ちゃんが「すぐ行く」と言葉を返していました。
「あーあ残念、邪魔されちゃった。まあいいか、朝ごはん食べに行こ?」
「…………」
お姉ちゃんは気持ちの切り替えが済んだのか、とてもあっさりしていました。対する私は不完全燃焼になってしまった胸のドキドキが未だに辛くて苦しいです。
あとちょっとでキスできたのに。
「お姉ちゃん!」
軽い足取りで部屋を出て行こうとするお姉ちゃんを呼び止めます。
振り向いたお姉ちゃんに抱き着いて、せいいっぱい背伸びをします。
ちゅっ、と一瞬だけ唇が重なりました。
「ちょ、え、今の……」
お姉ちゃんは私が不意打ちをしたせいで珍しくうろたえています。耳まで真っ赤に染まり、瞳も潤んでいました。
きっと、私も同じような顔をしていると思います。
「あの、その……ごめんなさいの気持ちを込めたキスです」
「は、はい」
「これで、ゆるしてくれますか?」
お姉ちゃんのことを見上げながらゆるしを請います。すると、お姉ちゃんは何かを堪えるように自身の胸をギュッと押さえつけました。
「かわいさの暴力だ…………」
「あの、お姉ちゃん?」
「残念ながら、琴音ちゃんの罪はゆるされません。何故なら琴音ちゃんがかわいすぎるからですっ!」
「え、どういう意味で────ひゃうっ!?」
据わった目をしたお姉ちゃんに身体を持ち上げられた私はベッドに放り投げられ────そこからはあまり語りたくありません。キスの雨あられが降り注いできたとだけ言っておきます。
やっぱり嘘をつくのはよくないですね。嘘をつくということは、それ相応の仕打ちが待っていることに他ならないということを学びました。
こうして、私たち姉妹のエイプリルフールは幕を閉じたのでした。
◆
突然ですが、私には大学生のお姉ちゃんがいます。
「あの、お姉ちゃん」
「なーに琴音ちゃん」
「今回の一件で色々と考えていたんですけど、もしも本当に世界が明日終わるとしたら、お姉ちゃんはどうしますか?」
「うーん、そうだなあ」
背が高くて、お胸も大きくて、長い黒髪が綺麗で、頭もよくて、優しくて、友達さんも多い、私の憧れのお姉ちゃんです。周りの人からはお姉ちゃん凄いってよく言われます。妹の私も鼻が高いです。えっへん。
「お世話になった人たちに、たくさんの愛と感謝を伝えるかな。あと、神様にお祈りするよ────来世も琴音ちゃんの姉でいられますようにって」
「えへへ……うれしいです」
「琴音ちゃんは生まれ変わっても私の妹になってくれる?」
「もちろんです!」
そんなお姉ちゃんの傍で過ごせるかけがえのない日々を、これからも大切にしていこうと思います。
【TIPS】
日比谷琴音
十三歳の中学一年生。品行方正な姉に憧れて丁寧な口調を心掛けている。
自分が嘘をつかないため、他人からも嘘をつかれないと思っている純真無垢な子。最近、お姉ちゃんと会話していると視線が唇に吸い込まれてしまうのが悩み。
お姉ちゃん
琴音ちゃんの優しさに漬け込む変態。
妹からキスしてもらうという夢が一つ叶って幸せの絶頂にいる。
生活習慣は割と不規則で、最近は昼過ぎに起床することが多い。それもこれも、夜更かしして隣で眠る妹に悪戯しているため。